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ホン雑記 Vol.291「口車力向上学兼対口車防御力向上学」

未来のどこかでなんらかのビジネスをやりたいと思う時が来るかもしれない、と思った時のために独学してることのひとつに、修辞学を入れようかなぁと思った。(何段階あるん)
これもまだ思ってる段階。だいたいこの段階で、オレの物事のだいたいは終わっていく。

英語でレトリック、のほうがまだ聞く単語か。ま、ほぼほぼ聞かん言葉だわね。他に、弁論術、雄弁術、説得術、レートリケーなどと言うらしい。

昨日の記事でも書いたけど、それだけ言葉の持つ力を重要視しているからだ。それがあるかないかで、モノの売れる売れないは大きく変わる、と思っている。

修辞学を学ぶ、なんてことを言わなくても、現代文や詩や歌詞なんかに、それらを取り込もうと思いながら触れていれば勝手にレベルアップすると思うんだけど、それだと「より美しく表現する」という片半分。


たとえば、内閣府は昭和47年から「国民生活に関する世論調査」で、

「物の豊かさと、心の豊かさ、どちらがだいじだと思うか」

というアンケート調査をおこなっている。
が、これ実はなんの意味もないという。命題からしておかしいのだと。

物の豊かさは、これを三種の神器、食べ物、お金、などと言い換えても同じことだ。訊かれれば、各々がイメージする物を欲しいか欲しくないかを考えさせる。
そして昭和47年あたりで回答した人は「物がなくても幸せである状態」があることも当然知っている。
いいモノを食べられても、いい所に住んでいても、まったく幸せでない人がいることも、いまほどではなくても知っている。

ところが心の豊かさのほうは、逆に物がなくてもいいかという二者択一を迫られるものではなく、物がなくても大富豪でも、心の豊かさを感じる人もいれば感じない人もいる。
つまり「心の豊かさ」のほうは「幸せなほうがいいですか」とほぼほぼ同じことを言っている。どんなに貧しくても、本人が「幸せだなぁ」と感じていれば心は豊かだ。
問うほうもそれに気づかずに設問を作り、答えるほうもそれに気づかずに回答してしまう。

これは「心の豊かさ」がほぼ「幸せ」を表しているのに、「心」は「精神」とも繋がり、つまり「物」の対義語であるかのように思わせるので、この命題が二者択一で成り立つと思わせてしまうレトリック(この例では敢えて仕掛けたわけではないが)のためだ。

オレがよく使う「ホンモノ」もそうだ。「ホンモノの男じゃない」と言ってもそれは女性だということではなく、「ハイレベルの、理想の」という意味で使っているし、受け手も勝手にその文脈と解釈するだろう。

じゃあなぜ、実際にタイトル画のグラフの推移が起こるのかというと、これは推測なんだけど、このあたりから食べ物・お金に困ることが減ってきただろうし、それによって他の問題、充実感の渇望なんかが出て来たんだろうと思っている。
「心の豊かさ」という概念を意識し始めたということ。それまでは食べるだけで必死な時代だっただろうから。
要は国民みんなでマズローの三角形をひとつ登れたよね、っていうだけのこと。
逆に、この調査を原始時代から始めてたら「は? 物? 心? なんで分けてんの?」って言われるかもしれない。し、その時代に生きた人々が、物がないからといって幸せじゃなかったわけでないのは明白だろう。



こういうことに気づかせてくれるのが、修辞学の恩恵のもう片半分だ。

なんか、学ぶほどイヤなヤツになりそうな気はする。




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仲大輔
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