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ホン雑記884「憂いは脳の錯覚」
バラエティ番組でもよく見かける元官僚の岸博幸氏が「多発性骨髄腫」に罹ったのち「余命10年を告げられて毎日が楽しくなった」と言っているんだけど、これ、オレは人類にとっての福音であるとさえ思う。
最近オレが軽度難聴になって、音楽に向き合う時間と深みが増大してきたせいか、岸さんの思いがよく…まではまだわからんが、なんとかわかる側に入ってきた感ある。
つまり逆に、ちょっと高音が聞こえにくくなった程度の枷が、こんなにも「音楽できる時間」を意識させるなら、余命を告げられるという事実は、どれほど残りの人生を輝かせるだろうか? と、なんとなくイメージがつくようになってきた。昔なら、しょいこむ十字架がひどきゃひどいほど、当然悲惨だと思ってたからねぇ。
ただ岸さんも「無菌病棟にいる患者の中で、ひとりだけ明るい顔をしていたので、奇妙に思われていたかもしれません」と言っているぐらいで、やっぱりたいていの人にとっては深く落ち込む現実だろう。
でもこれってね、単に勉強だと思うんですよ。心と人生観についての。
彼みたいな人が出てくると「そりゃあなたが強いからだよ」という輩が絶対出てくるんだけど、それって相手の人生はもちろん、自分の人生もナメきってるドグサレ野郎なんだよな。学びなさい学びなさい。
オレも保育園の時は心身共にクラス最弱だったし、いまでも平均よりはビビリだ。いつもビクンビクンしてるし、自律神経失調気味なんで耳「ボワン」なるねん(この症状調べても載ってないんだよな。で、ボワンなる時に目を左右にョロキョロさせると左右の端で耳ボワンボワンなる)。
そんな弱虫ちゃんのオレでも、自分で言うけど「あぁ、ここまで来れたなぁ。たいしたもんだなぁ」とはなんとか思えるんだよ。
もちろん人並み以上の劣等感も抱えつつ、それとは別に「すごいなぁ」ってのもあるのだ。別スジというか別軸というか。
で、そのために必要なことは、まず「そういう人が存在する」と認識することなんだと思う。恐怖を歓喜に換えられる人がいることを知らなければ、さすがに己で閃くのは仙人レベルだろう。
だけど、ただ一度でも見さえすれば、凡人の我々もそこにたどり着けるのだ。あとは同じ凡人でも「自分でもそこに行けるのかもしれない」と思えるかそうでないかの違いだけだ。そこは気力体力に優れているかとは関係ない。まぁ関係なくはないけど、優れてない人は「それでも自分でも行けるかもしれない」と思えるかどうかの差だ。もはや努力も必要ない。1回でもオツムがその思考に至れるかどうかの差だ。つまりは運の要素もあるのかもしれんね。
足ちょっぱやの桐生くんが9秒台を出してから、続けて3人がそれに続いたのもそういうことなのだよ。目に見えないもうひとつの遺伝子みたいなシロモノが確かにあるとオレは思うんだな。
だから、窮地から復活する人をひとたび認識するのはメタンコだいじなことだし、またその人は人類の宝である。特に元気がない、と言われるような昨今ではさ。
岸さん、ホンマよう言うてくれた。
それでも「いや、そうは言っても自分にはやっぱり無理。落ち込んでいきます。落ち込んでいくこととします」なんてヤローは、体をメインに考えなさい。ってかもう、己の体のために生きなさい。
そんな絶望好きなしょーもないアタマがついてても、文句も言わずに動いてくれてるんだから。
養老センセは「魂のようなものがあるとすれば、それは精神よりもむしろ肉体に近いところにある」って言ってたよ。
アタマでばっかり考えてたらそりゃツラいのも無理ないぜ~。
脳は心配性だからね~。
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【今日の過去曲】
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