雑記1151「かつてない駄文」
微妙に散歩を復活させた。
まだ早起きは復活してないけど、ゴミ捨てのついでに1kmほどテクテク。
こないだウチのアパートの前に住んでるおばあちゃんとひっさびさに挨拶して(散歩行かなくなったんでほぼほぼ会わなくなった)、なんだかそれだけで人生のすべての憂鬱が7割ほどフッとんだ感じになった。
だもんだから「あぁ、オレも人間だったんだなぁ」なんて思って、日本語の「人間」って考えた人天才だなとも思ったんだけど、散歩自体にその憂鬱フッ飛ばしの3割ぐらいの効果があるもんだねぇ。やっぱり四角の光る画面ばっかり見とったらアカンのやろねぇ。
今日なんかゴミ捨て行ったら、上下黒のTシャツとけーっこうな短パンの若いお母さんに挨拶してもろて、その3割が10割になってたところだ。
うひは。
今日の雑記はそのことを脳内で反芻しやすくするためだけに書いている。ここまで読んでくれた数多くの人たちよ、すまんな。
散歩。
子供の頃は「はぁ?」だったなぁ。意味わからんかった。
走りに行くでもないし、なんか見に行ったり買いに行ったりでもない。
どっかに早く着きたいなら走れよ、とか思ってたしな。
この考え方って、いまもゲーム内だけはやってる。ゲーム内だとずっと走ってるよな。RPGとかでずーっと歩いてるとかそんなヤツいないと思うんだよ。
ってことは心ん中ではやっぱり早く走りたいんじゃない? んー、まったく疲れなきゃ走るんじゃない? って言ったほうがいいか。
いやいや、でも子供の頃も疲れてたと思うよ。そりゃ。
ただそれ以上に、ワッキュワッキュが強すぎて、もう目的地に早く着きたくてしょうがない。プレゼント、早く開けたくてしょうがない。おいしいもの、早く食べたくてしょうがない…だったんだよねぇ。
あー、ってことはもっかい逆に、実はそんなに疲れてないのになんだか大人になっちゃって、疲れるように感じちゃって、それゆえに「早く何々したい」が弱まっていったのかもしんないね。
そして、今日の記事はあまりにも内容が無いようなので、どこに着陸させようかと思いながらいま書いてる。ここまで書き続けてる。こうも何も浮かばない日も珍しい。
最初に「微妙に散歩を復活させた」って一行を書きさえすりゃーなんとかなると思ってここまできたけど、どうも無理っぽい。
が、そうは言ってもオレのことだ。何かしらいい感じの気づきになる話を持って来れるんだよ、こっから。
うん、来れるんだ。
そう、そのうち来るから。そのうち。
………。
今日は着陸せずに飛んでいきます。
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