ホン雑記 Vol.309「発想の超転換」
ロバート・キヨサキ氏の著書、『金持ち父さん 貧乏父さん』を前の会社の仲良かった(と勝手に思っている)パートさんにあげたんで、次の著作である『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』を読んでいる。
前作と書いてあることはほぼほぼ一緒なんだけど、こちらのほうがちょびーっとだけ、メンタル面というか考え方について寄っている気もする。
具体的な金持ちの成りようよりも、その意志が途切れない発想のほうがオレにはありがたいんで、こっちのがちょびーっとだけ向いている気もする。
ちょっとだけよん?
あらゆる本は読み直したほうがいいと気づいてきたんで、最近は蛍光ペンでマーキングしている。
で、ピンク色の蛍光ペンで線を引いていたら、黄色のペンで引かれた線が現れた。うわ、興ざめるわぁ。
そう、古本なのだ。気に入って読み進めていた本の中に出てきた黄色の線は、なんだか前の読者の足跡を見たようでひどく汚く感じられた。
線を引いてある箇所も、理由やポイントというよりもむしろ目的であるような部位に多く見られて、それは自分とはまったく違う感性の持ち主、まぁ有り体に言えばすこぶるアホに見えた。
読み進めるたびに出てくる黄色のアホな線はどんどん汚く見えて、以前ここを通りがかった犬のヘタクソなマーキングにも思える。
鱧の小骨のような微々たるイラ立ちと共に文中を行くと、自分が要所だと思ったところにマーキングがしてあった。
(クッ、こんなヤツと……)
黄色の蛍光ペンなんで、余計にマーキングだ。
汚いわ。
それがもう2度ほども続くと、奇妙な感覚が湧いてきた。
あぁ。認めたくないこの感情は、どうやら親近感であるらしい。
そこでふと「オレがマーキングしてない要所を、前の読者が教えてくれている?」という錯覚というか妄想が浮かんできた。
まだ「オレがそう思っている」というレベルではないんだけど、そんなこともあったりして、ぐらいの感覚。
教えてくれている、ほどではないにしても、少なくともオレとは違う感性がだいじだと思って通った箇所だ。
あ~ら不思議。いったんそう思えると、目障りだったはずの先行く犬が、まるで旅の伴走者のように見えてくるではないか。
いったんそう見えると、「やっぱり古本はこれがあるからイヤだなぁ」という感情は吹き飛び、新品以上の価値があるように思えてくるではないか。ふたり分の脳ミソで捉えられるというかね。
アホ同士でもふたり寄れば、一人旅より知恵にも近づこうってもんだ。
自分の外側の事実よりも、内側の思惑の調整に目を向けるほうがよほど世界は変わるなぁ。
あ、これ書いてたらつらいことに気づいた。
人間嫌いのオレは、いったいどれほど自分の色眼鏡によって他人を邪魔者扱いしてきたんだろう。同じ人物を友と見る人もいるんだろうなぁ。
あ、でもそれに気づくのはつらいことじゃーないか。
それに陶芸家のセンセイもいつも怒ってるっぽいし、まぁええか。