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雑記1130「ひたすらに生きる」

敬愛するサッポロ一番袋女子の酒井美穂子さんと、オレも手製の地蔵を持ってるその作者の山際正己さんが、NHKのSDGs関連の歌で出て来てビックリした。
『くりかえしの歌』ってやつみたい。


彼女らに邂逅して何度も号泣したけど、こうやって客観的に見ると…いや、前もNHKで見たんだけど、歌のPVの中の人としてより客観的に見ると、「あぁ、明らかに天はこういうスペシャルな人たちを地上に点在させているなあ」ってことがわかる。

みんながいろいろできたらそりゃいいよ。でもそれだと生命体が遠くまで行けない。時間的にも空間的にも。

だから我々は分化した。そもそも、生殖細胞の時点で分化する。脳への道を選んだ細胞は、もう小指になることはできない。
ひとりで魚も獲れて猪も狩れて、病気も看れて、流しでさすらったりできたらそりゃいいけど、そうもいかない。だから命はいろんな可能性へ分化した。


だけどいま、あまりにも多くの人がひとつの道を歩みすぎてしまった。
ラクな方向だ。
「安全で、早くて、便利で、コスパ良くて、さらにタイパも良くて、もっともっと都合良くぅ~都合良くしてぇ~ん」
アホどもが。
かくいうオレもそうなんだろう。相当に気を付けてはいるつもりだけど、所詮は普通人の戒めだ。時流には流される。

ひとつの浅い道がパンパンすぎるから、時流に流されない人を天は作る。
「この中にあるよ」って。
効率能率を気にするような普通人の頭では、どうやったってサッポロ一番の袋を触り続けるなんてことはできない。その生き方は、表層的には「損」だと思ってしまうからだ。

だからアーティストなんかと同様、損得を考えずにそれ専門の魂の仕事をする人を天は配置する。おそらくは、「全体」を良くすることにとってちょうどいい配分で点在させる。


そういう特別な仕事をしてる魂を、我々普通人は、この目に見えるだけの狭く浅いルールに従って「障害者」と名づけた(ここは「障碍」でも「障がい」でも同様)。
まったく意味がわかってないのだ。アホなのだ。本当は、はしくれからおかしくなりはじめる人間の(生命全体かもだが)、修復者であるのに。

おふたりを擁する「やまなみ工房」の施設長である山下完和まさとさんが言ってた。
「障害っていうのはこっちが勝手に作った壁のことだ」
と。彼らは「みなさんしんどそうな生き方してるわねぇ」と思ってるかもしれないよと。

たしかに、ちょっとユニークな人が目の前に来た時に、どちらも困ったことがなければ、障害者なんて発想が出てくるはずもない。どちらっていうか、ほぼほぼこちら…自分はまともだと思い込んでる側にとっての障害…バリケードだろう。

つまり、やっぱり、障害はこちら側にあるし、この人間全体のスタンスは、人間という全体の狭量さを示してもいる。
こんなことで困ってると思ってるんだから。
(もちろんオレもそう思ってるんだろう。オレは隣に誰が来ても対処できるぜーだなんてよう言わん。だからこそ障害者支援施設や介護施設で働く人には本当に頭が下がる。仕事を専門で任せちゃってスマンなぁって思う。時たまだけど)


コツコツコツコツコツコツと、前に進んでいないようにも見える営々と紡ぐその作業の中に、なんかしらの目に見えないだいじなことがらが埋まってると思うんだけどなぁ。

で、それは傍観者からは見えないこと。
傍観者は「そんな面倒なことせんでも」って大概笑うだけ。

自分が笑ってる側の時もまーぁあるんだろうけど。




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