ホン雑記 Vol.108「世鏡」
西野亮廣氏が書き物で時事ネタは扱わないと言ってから、オレも密かにそうしてきた。資産にならないからだという。
芸能人の浮気などには興味がないというのはもとより、その話題に割いた時間が未来の資産にならないからというわけだ。なるほどと思わされてオレも見習っていた。
歳を食ってくるとどうも「おまかせ」の価値が上がってくる。
寿司屋に行って、好きなネタばかりをたらふく食うという、一見最高レベルに見える幸せよりも、大将に「おまかせで」と伝え腹八分目で帰る、というそこはかとない幸せが際立ってくる。
オレは回らない寿司屋に自分のお金で行ったことがないので、これは全部勘で話している。
スーパーに行っても、自分の好きな総菜を買うよりも、あまり興味のなかったものが半額になっていて、それを「うまそうだな」とカゴに入れる時の幸せは、仮想通貨で日に何万も資産が増えた時以上のモノがある。
秋元康氏なんかは「普段本屋で立ち読みする棚の、それぞれ5mずれた場所の本を読んでみるといい」と言っていたが、それも普段の情報と違う彩りを持った「知」に触れなさいという意味だろう。それも聞いた時にワクワクしたんで、今ここに書いている。
時事ネタに触れるとは、そういった面もあるのではないか。
新聞のwebコラム「中日春秋」を読んでいたら、20年近く続いた米国史上最長とされる戦争から、米軍がついに撤退するという内容であった。
バイデン大統領は9月までに、アフガニスタンに駐留する米軍を完全に撤退させると正式に表明したという。
オレが子供の頃に比べ、暴力というものの意味合いはだいぶ変わってきた。昔はケンカに負けて帰ってくると怒られるというのがわりかし普通にあった。運悪く、祖父といとこなんかはクラスで一番ケンカが強いとかいう有り様で(伯父も大人になってからも人をフルボッコにするような人だった)、保育園の時に女子に見間違えられるほど可愛いらしく、ヘタレメンタルなオレはそれはそれは居心地が悪かった。
今では「ケンカしなさい」というような親はひとりもいないのではないか。内心はどうあれ、子供がよその子にケガを負わせでもしたら、それはそれはメンドくさいはずだ。
それは少しばかり、心もとないことかもしれないが、きっといいことだろう。
撤退をセレクトしたことの栄光。
コラムには「輝かしい勝利宣言で締めくくられることもなく終わりそうな戦争」とあったが、戦火を消せるリーダーは、それだけですでに輝かしい。
戦勝国の価値が落ちた、と言ってもいい。勝てば官軍と言われた時代はこれからどんどん遠ざかるだろう。それは情報流通のスピードの加速とも関係あるのだと思う。
と、時事ネタに触れなければ、こんな記事を書くこともなかったし、その作業の中で「オレはこんなことを思っているのか」と思うこともなかった。
世界に起こることに目を凝らすのは、結局は自分の深奥に触れにいくことになるのかもしれない。