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ホン雑記 Vol.524「愛だろ、愛っ。」
為末大氏の言語化力にいつも驚かされる。
国を継続していくことは「生まれた後の命と生まれる前の命をバランスし続けること」と言い換えられると言う。大雑把に言えば生まれる直前から生まれた後の命を担当するのが医療、生まれる前の命を担当するのが社会の枠組みや政治だ、と。
なにより、生まれる前の命が抱える最大の弱点は、票として表現することができないところだ、とも。
彼とは「国をどうしよう」の感覚がすこぶる一緒なので(何様だー。でもまぁ近いんだからしょうがない)、いつも彼のnote見たあとの首肯に忙しいんだけど、これはホントに上手いこと言ったなーと思う。
結局これ、オレが最近思ってる「すまんがジジババを世に居残らせるより、子供たちの希望のほうがだいじ」っていうことなんだよね。
そんなこと口が裂けても言えないじゃないっすか。命vs希望なんで。
上の言語化と似たようなことを為末氏がTwitterかなんかで書いてたら「それじゃぁ、あなたのご両親とかが早く亡くなってもいいんですか?」という、クソここに極まれりな返しが湧いていた。
第一にね、相手見てモノ言えよと思う。
「もし自分に同じことが起こっても同じことを言えるのか」という問いは、宇宙五指に入るほどくだらない。逆にそういうことを考えないままに、彼が数学的脳で出す取りあえずの最適解(少なくとも彼にとっての)をこさえ、あまつさえ公の場にその考えを表すと思うのかと。
相当にアホな相手にだったら、この問いを投げる意味もあるかもしれない(相当にアホなら買い言葉で「言えるに決まっとるだろーが」が反射的に返ってくるんでやっぱり訊く意味もないのか)。
次にね、程度問題でしょうが、って思う。
「歯にしみるんで冷たい飲み物はちょっと」と遠慮する人間に熱いお茶を出して、「猫舌なんです」と言われたら「どっちやねん!」とキレるがごとき発想。オマエには0か1しかないのか。こういう現場を見たら心理学者のガリー・バフォン氏は「それは過度の一般化ですよ」とたしなめるに違いない。
自分の中にあるものさし、そのうちのどれを添えるかだけでなく、目盛りの細かさも人によってまったく違う。
だいたいにおいて、アホは目盛りの数が少ない。やっぱり少ない。あぁ、これも過度な一般化だな。聡明でどんぶり勘定な人もいるだろう。いるか?
最後に、そのうえで「うん、全然いいよ」って言うと思う。
そんなしょうもないツッコミが入るのもたぶんわかってて、「うん、自分の親がすぐ死ぬぐらいでいいんだったら、子供たちの未来を選ぶよ」って即答すると思う。
オマエらが居酒屋の席でクダ巻いてるのと同じレベルに著名人の発言の重みを見るなよ、と思う。あぁ、この「著名人」も過度の一般化をしてしまった。しゃべるって難しい。
ま、とにかく為末氏においてはきっとそうだ。考え尽くして出た最後の抽出物を提示してくれているのだ。まぁ、しらんけどな。
世界はフラクタルだ。自分の上位も下位も、我々と同じ構造を取っている。
我々は大洋であると同時に、ひとつの個体の中の細胞のひとつずつだ。
言葉は悪いが、「ジジババ(先に居た者)が死なないこと」を最優先にする生命体など有り得ない。それも本当に死なせたくないのならまだしも、死なせると叩かれるという恐怖におののいて、だ。
おののいてと言ったが、もちろん医療関係者が悪いんじゃない(人は死ぬ生き物です。いちいちあーゆーこと訊く人は覚えてないんでしょうか)。我々全員の責任だ。
だから今月24日の尾身会長の発言を無責任だと責められるものではない。たとえ世界一ウィルスについて詳しい人を呼んできても、もうその人にもどうすることもできない。正解などないのだ。
自分たちで考え尽くすしかないのだ。きっとそれよりちょっとだいじなことは、自分と違う答えを出す人を責めないことだ。
これはかなり自分に言っているぞ。うん。
もうそろそろ、かつてないスケールで(未科学的とさえ言える)、自分たちのことを真剣に考えるフェーズに入っているのかもしれない。
生まれる前の命の票は、生きたあとの命の票と同じ領域にある。
先に地球を卒業していった人たちは「今のままのやりかたでいいよ」って言ってるかなぁ。
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