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ホン雑記 Vol.773「ほっときーな」

最近心のよすがとしてる言葉に、
「他の作と不作を見るなかれ 己の作と不作のみを見よ」
というものがある。あの釈迦の金言だ。


皆さまいろいろと悩みは尽きぬことと思いますが(どしたん急に)、これねー、究極の人生訓だと思ったね。これがあれば他のやついらないってぐらいに。

作・不作ってのは文字通りものごとの良し悪しもそうだし、やったこと・やらなかったことも表すらしい。当然、あの人はこれこれで羨ましいとか、あいつはけしからん、なんて考えもそこには含まれるだろう。

近ごろAIウツになりかけてるのかもしれんオレは(そんなたいそうなもんじゃないです)、一応自分をなんらかの作り手のはしくれとカテゴライズしてるんだろう。だからイラつくのだ。
苦悩(最近これこそが「作る人」の大前提な気がする。創作物のレベルではなく)なくして、プログラムに描画させたものを「描けた」と喜ぶ一般大衆がイヤでイヤでイヤでイヤでしょうがない。当てはまる結構な数の人、すまん。ワシがアホなだけなのは重々承知やで。自分だってそっち側で在ることも有ることだしね。
たとえば、ボーカロイドが出てきた時は「そんなもん自分で歌えや。歌えない? ほなやめとけやハゲが」って思ったもんだけど、シンセサイザーのシーケンサー(音符を打ち込んで演奏させる)はそれを知った時にはすでにあったものなんで「すっげー! 便利ー!」なんてキャッキャしてたしね。シーケンサーが出て来た時には音楽家の中で「そんなもん自分で弾けや、ハゲが」なんて思った人いっぱいいたと思うんで。
自分が生まれた時にすでにあったものは認められるってのはあるよね。

で、そういったイラつきに対してもそうだし、誰かが意地悪してくるとかもだし、自分はこんなに努力してるのに世間に認めてもらえないとか、なんかいまいち人生を謳歌できてないとか、時間が早く…いや速く過ぎすぎてもうイヤすぎるとか、自分はこんなままでいいんだろうかとか、自分なんか価値ないんじゃないだろうかとか、エトセトラエトセトラ……

これらぜーんぶ、他者を気にしてのことなんだよね。もっと言えば、そしてイヤな言い方をすれば、「うまくしてやったかどうか」でしかない。ほぼほぼ損得勘定と言ってもいいかもしれない。
あいつはあぁなのに、自分はこうなのに。くらべる(見かけ上の)幸せがなければ、時間が早く過ぎるのがイヤって感覚もないはずだ。それは自分よりも充実してる(ように見える)誰か他の人生のパターンをしらなければ「この時間の過ごしかたはもったいなさすぎるのでは?」と思いようもないからだ。


ということで、脊髄反射的に湧き起こる批判的思考はマジでかなり意識して抑えていこうと思いました。はい。
相手が大悪党とかでもそれは関係ない。そもそも道義的に照らして、それがほっといてもいい咎め事なのか、大罪なのか、判断する能力はオレにはないはずだ。

それに、そんなことをしてる時間も。




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