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ホン雑記 Vol.77「言葉はなぜうまれたのか ~後編~」

「ホントにとりとめもない雑記」の域を自分的には超えてるんで、外してもいいヤツだなこれ。後編とかなってるしな。ま、細かいことはいいか。

ということで前回、言葉を扱うには「発声学習」、「意味」、「文法」、「社会性」の4つが必要で、このうちどれが欠けても、言語の習得には至らないという話をした。
すべての生物の中で、この4つを習得しているのは、もちろん人間だけだ。


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発声学習は他にオウムやクジラなどがその能力を持ち、犬や猿でもマネできない。なぜ、陸棲哺乳類の中で人間だけに発声学習の能力が備わっているのか?(昨日の記事では陸棲を付け忘れて、クジラを度外視してしまっていた。どーしても魚だと思っちゃう。情けない追記もしといた)

という、回またぎをやってしまったが、今いよいよその答えを明かそうと思う。


あ~~~~~。ひざがしらむずむず病の発作で続けられなくなりそうだ~~~~~。
ではまた明日~~~~~っ。

………………。

って、もういい? もう、こんなん、いらん?
申し訳ない。また数少ない「スキ」を稼ごうと姑息な手を打つところでした。


さて、陸棲哺乳類の中で人間だけに発声学習の能力が備わっているその理由……

答えは「自分の意思で呼吸を止められるかどうか」だ。
自分で意識的に呼吸を止められる生き物だけが、発声学習ができる。音楽で言えば休符を作れるということ、つまり音の無い時間を作れるということだ。

オウムやクジラになぜその能力があるのか。
それは、風の強い日の空気抵抗や、強大な水流によって呼吸に影響を及ぼすためだ。なるほど、自分で息を止められなければ、口腔内や気道や肺がふぉんごふぉんごしてしまいそうだ。

ではなぜ、犬や猿にできない呼吸のコントロールを、ヒトだけができるのか。それは、ヒトに天敵がいなくなったからだ。

他種族とは比較にならないほどの社会性を身につけた人間は、生まれた時からもう捕食される恐れがなくなった。人間が群れをなしている限り、他の動物に負けることがなくなったのだ。

そこで生まれたばかりの人間の赤ちゃんはこう考える。
「どうせ食われないなら、大声出して親をコントロールしたほうが良いんじゃね?」
この発想が、他の動物にはない大音量の産声を誕生させる。他の動物にとっては、出産という防御力ゼロの時に、大声を上げて自分の居場所を知らせる暴挙など致命的だが、天敵のいない人間にはそれができた。

そしてそれを可能にするために、呼吸のコントロールを試み、一度息を止めてからそれを爆発的に吐き出すことで、生まれた瞬間の大声を手に入れた。

これらのことを赤ちゃんが考えておこなってきたという、その証拠となる実験がある。
人間の赤ちゃんは最初「オギャーッ」しか言わないが、生後1カ月頃には「アウアウ」など弱めの泣き声を組み合わせてくる。これによって母親はお腹がすいたのか、眠たいのか、など色んな欲求を嗅ぎ分けられるようになるわけだが、これらの一切を無視して放っておくと、最初の「オギャーッ」だけに戻ってしまうのだという。呼吸のコントロールというエネルギーの消費に意味がないなら、より生き長らえる方法に戻すわけだ。


この研究をしている岡ノ谷一夫氏は、言葉の始祖は歌ではないか? という仮説を立て、その説明をより細かく記述しようと試みている。
鳥のさえずりなど、歌の研究を通して、意味と文法がまったく独立に進化し、それらがある日結びついて突然言語ができた、と踏んだ仮説だ。



「こんにちは赤ちゃん」という歌があるが、まさかママのほうはその笑顔も、泣き声も、小さな手も、つぶらな瞳も、今後自分を制御するための愛らしさだとは思うまい。




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仲大輔
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