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ホン雑記 Vol.96「クラウドブレイニング」

今日は嫁ちゃんの誕生日だ。


友人・知人が極端に少ないオレは、何かを作ったり残したりすることが生きる意味のすべてで、やたらに顔の広い人をどうも信用しきれないところがある。

もちろん顔の広い人をディスってるわけじゃなく、こういうのはもうポジショントークにしかならないと思っていて。
子供なんか別に要らんと言ってた芸人がパパになった途端に、手首にベアリングでも付いてるんちゃうかと思うほど手のひらグルングルン返すように、オレも人付き合いが増えていったら、今の自分を「青いこと言うとったなー」となるに決まってる。

が、意図的に増やさないようにしてる感もある。
メンドくさいというのもあるが、うーん、あまのじゃくなんだろうな。これはあまのじゃくゆえに人間関係を築けないということではなく、人間関係を築かないからあまのじゃくという意味だ。

「結婚できないんじゃなくて、しないんです」と同様の言い訳がましさを言ってる本人が感じているが、実際そんな感があるのだ。病的あまのじゃくと言ってもいいだろう。
でも、自分では、そのあまのじゃく性の高い人を「バランサー」と呼んでいる。
バランサーはバランサーを嫌うこともあれば、戦友のように映る場合もある。この辺がなかなか難しい。自分でも、どのバランサーとウマが合うのかは分からない。


って、ぽっかーーーん。

話そうとしていたこととまったく違うことを言っているぞ。あービックリした。

そうそう、嫁の話をしかけといてなんでこんな遠方まで来たかというと、「人間関係なんてっ」と思っているオレが、人との関わりから大きく学ぶことがあるんだなーと思ったからだ。思い出した。

たまに話題にするが、オレは人七倍ぐらいのノスタルジャー(ノスタルジーする人)だ。
なぜ、過去を切り取って残す、写真家になっていないのか自分でも意味が分からないほど、過去好きだ。それは同時に、喪失嫌いでもある。死んだり死なれたりが誰よりも怖い。
いや、誰よりも、は止めておこう。ほとんどの人がそうだろうしな。

でも、わりと上位にランキングされると思う。男のクセに異常に歳を取りたくないし、肉体が衰えるのが本当にイヤだ。
嫁に聞いたら、全然イヤじゃないというので、やっぱりオレはイヤ側人間なのだろう。
誕生日は嬉しいもんだが、歳だけは取りたくない。そんなタイプのアホだ。


が、嫁の誕生日は違う。
ファンファーレこそ鳴っていないが、祝福感しかない。「あぁ、またひとつババアになったなぁ」とは露ほども思わないのだ。

振り返った道のりの長さに頬がゆるむとでも言おうか、こんな自分でもひとりの人間と深く関係を結んで来れたんだなぁと思わせる、増えて嬉しい数字なのだ。

こんな感覚は、きっと自分ひとりだけでは感じ得なかった。



こういう発想をのべつ幕なしに繰り返していると、自分の脳ミソだけでは考え得なかった事柄や概念を、嫁の脳を資源に借りて考えようとしているような錯覚に陥る。

詳しくはいつの日か書くかもしれないが、それを錯覚でなくするのが死ぬまでの目標のひとつだったりする。




サポート大歓迎です! そりゃそうか!😆 頂いた暁には、自分の音楽か『しもぶくりん』への「やる気スポンサー」としてなるべく(なるべく?)覚えておきます✋ 具体的には嫁のさらなるぜい肉に変わります。