ホン雑記 Vol.278「老いらくの楽しみ」
ゆるゆるの涙腺は一旦緩みだすとゆるみに拍車がかかるのか。
オレ自身よりも、心のずっと奥のほうが先に反応して「なんで泣いてんだオレ?」なんてことが増えてきた。
心に手を引かれ、心の中を覗いてみて初めて「あぁ、これに反応してるのか」なんてことが。
NHKの「SWITCHインタビュー 達人達」を観た。
スジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫氏と、日本のサブカルチャーの生みの親と言われる評論家・津野海太郎氏の対談だった。
鈴木氏は72歳、津野氏は82歳。
で、中身は全部(全部?)はしょるんだけど、後半、津野氏のホームで鈴木氏が自らの老いについて相談するような形になった。
そこで津野氏は「80になると70っていうのがとても若く見えてくる」、そして、
「70なんてまだまだじゃん!」と、生き生きと付け加えてみせた。
そう、ここですよ。画は溌溂とした場面なんだけど、ポロポロ…。
えっ? ってな感じですよ。なんで泣いてんの? と。
で、心の中を覗いてみて、あぁ、オレは慰められたんだなぁ、と気づいた。
たとえば、現年齢を半分にして、それ以前と以後の体感時間の感覚の長さは当然1:1なわけもなくて、ホント4:1ぐらいに感じるんだよね。4倍ほどのスピード感を。
これもっと歳喰ったらどうなるんだ? っていう儚さが最近常にある。40代になってからは余計顕著な気もする。
だから昔ほど、日々をはっきりと踏みしめている感覚はなくなって来ている。普段から、思い出思い出、過去過去、ノスタルノスタル言ってるオレには耐え難いものがあるなぁと。
それが、82の人が72の人に「まだまだじゃん!」と伝えるその10年の濃さのようなものを目の当たりにして、結構な安堵をもらったんだろうなぁ。
つまり、46なんてどれほど「まだまだ」なのかと。なんだって出来るじゃないか、と。
津野氏は再び「80になると…」と言った。
かつては自分も老い方を気にしていたが、80を越えるとそれから解放されたと。そこまで来れば「寿命が来るまで生きてりゃいいだけ」に変わるのだと。
あぁ、そうなのか。心配は減るのか。
思わず拝みそうになった。
たしかに、ずっと憂いながら生きなきゃならんほど、天のほうもいびつな設計はしてないわな。
それでも苦しけりゃきっと呆けを賜るだろう。
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