雑記1181「2曲も宣伝してすんまそん」
今日は時間もないんで、過去曲を紹介して終わり。
さっきぼけーっと自分の「オリジナルミュージックマガジン」の歌詞だけ見てたら結構刺さったのがあって。ってか泣いて。
自分で自分に刺せるってありがたい仕事(まだお金は頂いておりませぬ)だなぁとつくづく思った。
その時の自分といまの自分ではまた別人だでね。学ぶこともあるだわね。こういう感覚、だいじよん?
そのまた逆に、他人を自分だと思ってみるゲーム、だとかもね。
おひまなら飛んでやってくだされ。
で、こんな自画自賛してええんかと思うんだけど、あぁ、この人(別人と思って話しますで)は、金子みすゞの持ってたような胸のカメラを持ってるなぁと思ったのね。
すげー曲だなって。いや、別人だからさ。褒めさせてくれよ。
みすゞねえさんは「魚は何も悪いことしてないのに自分に食べられるのが可哀想」ってな内容のことを言ってらしたけども、あぁ、自分の歌もそんなことを言ってんだなぁって思った。
自分に食べられるのが可哀想って、これは3つ目の視座があるよね。詩人は言いまわしが上手い人だと思ってたんだけど、みすゞやドリアン助川さんに出会って、そういうこっちゃなく、普通にカメラが違うのだと思わされた。
絵や音楽と違って、言葉は誰でも置けそうなんで、そこオレもわかんなかったんだけど、カメラが違う、もしくは有るってことがベースで、彼・彼女らはいたって普通に口話してるだけということがままある。
だから、「私に食べられるなどと捻ってみよう」とは思ってなく(まったく勝手な推測ですがな)、カメラがいろんなとこに勝手に動いたりズーム・ズームアウトしてその場での心象をしゃべるからそうなるのでは、と思う。
賢治の「眼にて云う」なんかはそれがあまりにも顕著で崇高でワシ涙ちょちょ切れるねん。
で、オレさんの歌も、「あなた」が最初ウインナーとして登場するのがいいなぁと思うのだった。
いいなぁっつったってイヤなもんなんだけど、それでもああいった悲しさとか汚さとかえげつなさとかどうしようもなさに、たまに気づける時が自分にあることは、いいなぁと思うのだ。そうでないよりは。
そして、これは恐れ多いんだけど…っていうのはあんまり好きじゃない。最初にそれっぽいこと言っちゃったけどさ。
やっぱりね、あなたたち自画自賛しなさいよ。
そうじゃないとあなたの隣人たちもすごくない人の隣にいることになっちゃって、そんなことしてたら死んだ人がどんどん偉くなっちゃう。己の中に湧く死者への畏敬の念とは別に、偉くなっちゃうんだな。そこに「あの人はこう言ってただろ」って威を借るヤツがしゃしゃってくる。そうやって最後は戦争までいく。
私みたいな者は…って言うんだったらその道やめろ。
って、昨日すれ違った女子児童が言ってたよ。
【今月のオリジナルソングさらし】
月末に新曲アップしてます。コメント大歓迎ちゅう😗