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雑記1206「日に日に増える伴走者」

今日もまたおこがましい話。
人をディスってるかおこがましい話かのどっちかしかない雑記。


こないだは天才への道を歩むのが趣味、みたいな話をした。
ウソ。してない。
でもま、そんな感じでやってますーみたいな。こと鍵盤奏法に対してだけど。ということで鍵盤上の天才を目指してるおっさんだ。

昨日の基礎練でオレは開眼した。
1年半ほどの2時間練習をずーっとやってても(だらだらとは保育園からやってたが)気づかなかったことに昨日気づいた。
ウソ。気づいてた。
でもま、昨日体験した。体験はだいじだねぇ。昨日もディスったけど、頭でっかちのインテリ”キャラ”のクソどもにはたどり着けない境地だ。


「オレ以前オレ以後」なんて呼ばれるような鍵盤奏法メソッドを確立するのが夢なオレ。ま、他にもいっぱいあるんだけどさ。
もちろんトップクラスのピアニストにいまから勝てるはずもないのは言わずもがなだけど、とある形の運指・奏法においてはオレにしかできない、そのうえ意味がある(鼻で弾くのが世界一上手いとかそういうバカな方向じゃない)弾き方ってのをマスターしたいのだ。今後の時間をかけて。

そこでいろんなピアノの先生の動画を見まくって、上手い人を見まくって、そして習熟について、特に脳についてもだいぶ調べた。
独学でしかもいまさらなオレが、ピアノの天才たちに勝る唯一のことは、ニューロン(神経細胞)について徹底的に知ることぐらいだ。

そのニューロンのクセがなんとなくわかってきたのだ。
もちろん、こと「習熟」においてだけだが。


ピアニストや研鑽を重ねる学生の発言や、脳についてのことが書かれてるものをいくつか知っていくと、だいたい平均の説が読み取れる。たとえば、

・弾けない同じフレーズ(長さにもよるが数秒)をくり返し30分以上弾くのは効果的ではない

・フレーズをくり返して間違いが多くなってきたら休憩の目安

・休憩は10~30分まで。休憩から戻った時に休憩前と違うフレーズを弾くのはよくない。30分後ぐらいまでは、休憩前に弾いていたフレーズがいわばボーナスタイムみたいになっていて神経細胞がつながり(習熟)しやすい。30分以上経っても、また、違うフレーズに変えてしまっても、「しばらく休憩したのちにまた同じことをする」ことの染み込みやすさは解除されてしまう

などなど。
最後のはわざわざ人集めて研究した人がいた。もちろんこれは勉学やスポーツにも横展できるだろう。
そして、オレがネット上をザザーッと見ただけでも平均的な説が出てくるってことは、それらの説がある程度受け入れられてるってことだろう。


んが、事実は違った。昨日オレは説を破った。
弾けないフレーズを1時間繰り返しやる。それはいままでもあった。いままでは、弾きたい速度(弾けないから当然それよりも遅いんだが)とその半分の速度を交互にやるっていう方法だ。それがオレ的には一番染み込んでいきやすいと思ってた。

昨日、数回フレーズを弾くごとに1BPM(1分間での四分音符の数)ずつ上げていった。BPMが1変わったところで体感的に差はまったくわからない(オレには)。それを1時間やる。
結果的には、なんでもっとはやくこれを試さなかったのか、と思えるほど効果があった。忍者が跳躍の修行に麻の苗を植えて毎日それを飛び越えていたというが、それを思い出した。
が、実際には地道なのはイメージだけで、たった1時間狂ったようにやっただけで、それまでの練習法よりはるかに効果があることがわかってしまった。

それと、その1時間の間、指なのか頭なのかがもつれて、もたってくることがある。間違いが増えて来たのだ。
昨日はそれでもやめることなく、寛平ちゃんなんかを思い浮かべながら、ずーっと弾いたった。そしたら、もたってくる前のマシな状態を超えていくことがわかった。ちょっと谷があってそれをブチ殺すとちょっとだけ谷以前よりも上がるのだな。
この時ばかりは、少年時代の極貧だった麒麟の田村が経験した「味の向こう側」が思い浮かんだ。白飯を味がしなくなっても噛み続けてると、 フッと味が立ちのぼってくる(気がする)瞬間があるらしい。

こういうオツムの時には「鍵盤基礎練イヤーっ!」ていう普通のオレはもうまったくそのあたりにいない状態で、多くの伴走者が脳内で背中を押してくれている。

で、あんまり詩的な言い方するのもイヤなんだけど、こういう状態の時には「あぁ、この場所にはまだ来たことがないな」っていう感覚に強くとらわれる。もちろんその場所は自分ちだ。なんだけど、大森林の奥の方(上から見た奥)に佇んでいる感覚がある。
その時にモロにオレは「神は細部に宿る」という言葉の意味を知っている。人から見たらつまらん地味な作業中に、オレはえげつないグレートジャーニーの旅に出ているのだ。

で、おこがましいのはここからなんだけど、その場所が柔道のヤワラちゃんや角田夏実ちゃんが居た場所なんだろうということだ。

事実は世にある説とはまったく違う。そんな平均の説があること自体、ほとんどの人間が自分で確かめに行きもしないことを教えてる。オレも昨日やる前は界隈の説に捕まってた。
が、なんのことはない、どうしようもないダラケ人間だと思ってたオレでさえ、1時間を超えてから開き始める扉がある。30分そこそこで休憩なんかしてたら元の場所(習熟の感覚の場所。あるいは、やる気的なものがデカいのかもしれんが)になかなか戻れなかったかもしれん。
で、どうやら戻れなかったっぽいって感覚は、これがねー、水泳が教えてくれてるんだな。25mを100本目ぐらいの時に、なぜか疲れない数本が現われる。それを超えると糖分が足らんくなるのか、急に疲れ出す。
だから、これはもうちょっと行けるんじゃないのかってことがなんとなくわかったのだ。

ここまで役に立つ連携された知は、どっちも体験談だ。そしてそれは音楽や勉学やスポーツや暗記などの、作業自体によっても違うだろうし、(おそらくは)それ以上に、人によってそもそも違う。人によってそもそも違う。2回言った。
だから平均の説が教える平均的なやりかたに倣っていては、自分が才能あるかもしれんことがらの平均的なところまでその才能を落としてから、ことに当たってることになる。

で、ヤワラちゃんや夏実ちゃんを挙げた。
特に夏実ちゃんのほうは、昔「虎砲」の練習をしてたという。

そう、「修羅の門」のこれ。普通じゃないわ。
こんな技、柔道に関係ないじゃないですか。でも強くなれることならなんでもやる。
これテレビで観てたけど、吠えたもんオレ。まさかこのおなごの口から虎砲が飛び出すとは思わんじゃんか。

これを「そんなの意味ないじゃん」って言っちゃうのが、世に渡る平均的な説だ。
そんなもんロクなもんじゃねーし、そんなもんじゃなーんもできんわさ。知識の運び屋どもがいじってるような知じゃ。


オレは「好き」はマジですごいってよくここでも言うけど、同じぐらい自分のカラダも(もちろん脳も)尋常じゃなくすごいんだぜ。
数億の人が横流ししてるだけの知より、自分ひとりの内側にたずねることのほうがよっぽど上だし、よっぽど真。





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仲大輔
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