雑記1224「😩」
ブッダさんの言ってた「他の作と不作を見るなかれ。己の作と不作のみを見よ」って言葉に「そうだよなぁ~」としこたま納得なもんであんまり言いたくもないんだけど、これは言っていかなあかんと思ってさぁ。
小田和正主体の『クリスマスの約束』。
今年で終わっちゃったけど。好きでずっと見てたんだけど、ずっと疑ってもいた。で、やっぱ確定した。
オートチューン。
確定したって言ってもなんの証拠もないんだけどね。
番組名とオートチューンでググってもなんにも出てこないし。なんの証拠もないほど、日本で誰も…いや、それは違うな、少なくともそれについて言及してる人はいない。でも間違いなく音程補正使ってる。
ほとんどの人が聞いたことがあるだろうオートチューン使用曲がこれだ。
0:30あたりの「One More Time♪」がそれだけど、こういう明らかにギミックがわかる使い方は全然問題ない。
だけど、その技術をうっすーく、バレないよ~~~に使うことに、いったいなんの意味があるんだろうか。そこに罪悪感がないことが恐ろしすぎる。
30年ぐらい前、「BOMB!」っていうウハウハ水着雑誌をよく買ってて、よくウハウハしてたんだけど、そこでレタッチを使いまくってシミひとつ毛穴ひとつないオニャノコばかりになった時の憤慨をまだ覚えてる。
「これ、なんでバレないと思うんやろ」
ウソこくこともそうだけど、それがバレないと思ってるバカのバカさ加減にブチ切れたもんだわ。いったい誰がマネキン見てヌ…画像を楽しみたいねんと。
オートチューン問題は、その時の比にならんぐらいに怒っている。
言うても、怒る元気ももうないんで、しょげかえっておしまい。
ほそぼそと音楽と、オンライン仲間とカラオケ三昧やってるツレでさえ、そういうのがあることをまったく知らなかった。し、上の番組みたいに巧妙にオートチューンかけてこれるエンジニアが本気でやってきたら、オレでもまったく気づかんだろう。
素人さん(お前もやん)が聴いて、これが一番わかりやすいだろう根拠となりそうなのは、「クリ約」で22人の合唱があった時に(しかも声部もかなり多い)、これがまっっったくズレてないってことなんだな。あんなもん、あのメンツで1億回録りなおしたところで、あんなに合うことはない。
一応ハーモニーがウリなんであろうリトグリでさえ、たった6人でさえ、オレの耳には結~~~構な不協和音で(嫁も言うてる)、「あ~、ゴスペラーズってスゴかったのね」と思わせられる。リト・ゴス間にはそれほどの差がある。
それがだよ、22人の合唱で完璧っていうね。それはもう全員がスーパーフライでも有り得んような響き。
その「合い方」の有り得なさだけでも十分証拠にはなるんだけど、耳のいい人なら、「クリ約」の合唱にびっっっっっみょーな金属音を感じることができたと思う。どこかフェイザー的というか、コーラス系のエフェクト感をびっみょーに感じるんだよ。
で、このオートチューン、ライブでも掛けられるんだな。
そもそもボコーダーが何十年も前からあるんだから、その場で音程補正ができない道理もないのかもしれん(オートチューンとメカニズムは違うらしいが)。
1:06あたりからはじまる機械的な音程のある声がボコーダーの効果。マイクにしゃべりながら鍵盤弾くだけで、声が全部そのキーの高さになる。
ということなので、もう目の前でマイクなしで歌ってもらうしか、本当の歌のうまさはわからない時代になってしまった。なんて悲惨。
ただ、歌における「音程変化」と「節回し」というのはやっぱり違うようで、そのテクニックを使えない人に完璧な音程変化を掛けたところでそれはバレる。
たとえば、演歌なんかでコブシを回せない人の歌に、どれだけ完璧にオートチューンでコブシ風の音程変化を作ったところでそれはさすがにバレる。コブシは音質(音色)も微妙に変わるでね。当たり前だけど。
真の芸道と、ウソを言わないってことは、もう不可分でしかないと思ってたんだけど、それをこうも平気でウソこけちゃうってのはもう商売オンリーってことなんだろうなぁ。売れないと困るんだったら、音楽やめて違うことしたらいいのに。
真の音楽家は売れたらそりゃ売れたいだろうけど、売れなくて困ることはないわ。タダで音楽できるだけで至福なわけで。
そういや、スーザン・ボイルさんを輩出したオーディション番組の姉妹番組である『Xファクター』でさえ、オートチューン掛けてて問題になった。
最悪なのは、落とす人間には音痴に聞こえるように掛けてたことだ。オーディション番組でそれするかね。
ということで、こんなんホントは言わんでもいいことなんだけどね。
でも、ヘタクソがウマいって言われてるのはどうにもガマンならんのでね。
とはいえ、ホントは自分がウマくなることだけ考えてたらいいんだけどね。
とはいえ…
はぁ~。
【今週のオリジナルソングさらし】