ホン雑記 Vol.245「邂逅」
心の中にある鮮烈な原風景のひとつに、とある飲食店がある。
たぶん保育園のころだったと思うのでかなりうろ覚えだが、「和」を感じさせる店内は薄暗く、たしか小川があって弓なりの橋が架かっていた。オレが見た光景の中で、最も桃源郷を感じたところと言えばきっとその店で、それほどに異世界のような幽玄の趣を感じさせた。
建物の外観のおそらくは右上に、ネオン管で「雷電」と店名が記されていた。
その名から察する人もいるだろうが、そこはちゃんこ屋で、何回か親に連れられて行った記憶がある。
タイトル画は、1978年に放映されていたサントリービールのCMで、当時人気力士だった麒麟児と旭國が加山雄三を持ち上げるといったストーリー。
キリンとアサヒがカタカナなのはもちろんライバル社への煽りで、休みを表す「や」の席があるのは、四股名にサッポロを冠した力士が居なかったためだろうか。
こんな話題を持ち出したのは、さっきYahooニュースで天龍源一郎へのインタビュー記事を見たせいだ。
その記事で、麒麟児が今年3月に亡くなっていたことを知った。
そうか… 残念だ。
彼に抱えられた可愛らしい幼子は… そう、オレだ。
たまたま名古屋に地方巡業にでも来ていて、県内のちゃんこ屋にでも寄ったのだろうか。
こんなことになった経緯は知らないが、とにかくビビってるのか、モジモジと手遊びをしている最中らしい。
天龍氏へのインタビューは「いま伝えたいことは何か?」をベースに、「尊敬できる後輩」をテーマにした内容だった。
そう聞かれて真っ先に思い浮かんだのが麒麟児であったという。
彼の父親は当時国鉄の駅長で、それなりに裕福な家の息子だった。そんな身でありながら、中学を出たてで相撲の世界に来るのはすごいことだという。よほど相撲への想いが強かったのだろうと。毎日相撲に邁進する、努力の人であったと。
恥ずかしながら、オレはそこまで読んで初めて、天龍源一郎が元力士であったことを知った。
天龍氏がプロレスに転向する際、周りは腫物に触るように近づいて来なくなった。
そんな中、麒麟児だけが「もう1度相撲で頑張りましょうよ。プロレスラーにならなくてもいいじゃないですか」と引き止めたという。あの状況下で、兄弟子に対してなかなか言えることじゃない、勇気があった、と評した。
麒麟児は、普段は大人しく、それでいて他の新弟子たちと違って自立していて、偉ぶることもなく、よく気が利く男であったらしい。
天龍氏がプロレスに転向したばかりのころには、新弟子を引き連れて観戦に行ったこともあった。相撲を辞めてからもずっと想ってくれていたのが嬉しかったという。
少なからぬ縁を結んだ人が、静かで勇ましく優しかったということは、こんなにも誇らしい想いを遺すのか。
人生は自分だけの歴史じゃないんだなぁ。
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