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ホン雑記 Vol.38「言葉のパワー」

進路。
この言葉って好きな人いるのかな?

たぶん中学ぐらいで知りはじめて、長い間オレの人生に灰色の雲のように覆い被さっていた感覚があって、それを言語化したのが「進路」っぽい。
といっても、話25%ぐらいで聞いてもらえるといいかもしれない。そんなに覆い被さられてもいない。でもなんとなく、そんな感覚。

小学校の頃が手放しで幸せだった。
そして最近になってようやく、歴代幸福度記録が「今」に更新された。
ようは、また、あんまり考えないで生きられるようになったのかもしれない。しかも子供の頃よりも自由だ。


言葉の持つ力はすごい。もう逆に現実に悩んでいるほうがアホウになりすぎているのではないかと思う時がある。

たとえば、トメさんがウメさんに人生相談したとする。
トメさんは真面目な人で、責任感があって、間違ったことがキライ。
ウメさんはこうアドバイスする。

「トメさん。人生に立ちはだかる壁はね、よじ登るだけが正解じゃないよ。壁に穴を開けたっていいんじゃ。なんなら壁を横から通り抜けてもいいんじゃよ」

そこでトメさんは、「アハーッ!」とアハ体験をして、次の日から元気に生きて行く。
「そうか、悩みの解決方法はいくらでもあるんじゃ。ひとつの方法にこだわっていたワシがどうかしておったんじゃ!」

お分かり頂けただろうか?
この2人は、この対話の中でなんにもしていない。なーんにもだ。

ウメさんは、意味の分からないたとえ話を持ち出してご満悦。
トメさんは、「ハヒーッ!」となって悩みがどこかへ吹き飛んでしまった。
トメさんの現実の悩みは何1つ解決していない。

このトメさんに「その壁、万里の長城ですよ」と告げたら、すぐさま落ち込むに違いない。
「横から通り抜けるなんて無理じゃーっ!」って。

でも、これが人なのだ。
なんとなくの現実の把握で自分を殺すほど絶望し、なんとなくの仮初の光明で希望を見出すこともある。


オレは進路という言葉がキライだった。
「進路相談室」なんて字面を見ようもんなら、「網走刑務所」と同じ程度には身震いする。

なので「進域」という言葉が流行らないかなぁ、と思っている。
ウソ。たった今作った。

進路という言葉は、どうもレールの上を走るトロッコのようでイヤだ。
日本の自殺率が高いのも、新卒が価値高いのもそんなとこから来てるんじゃないのか?
レールの上を外れたら終わり、1回退場したら終わり。

でも、オレが常日頃から提唱(大ウソつきになった)している「進域」は違う。
なんとなくそっちの方向に進んでればいいんじゃね? の感覚である。

そっちの方向に行けば、そっちの方向を目指して振り落とされた人たちもウヨウヨしている。
どこに行ったって、どんなに「ここはヤベーんじゃね?」と思ったって、誰かがそこにいる。世界は広い。必ず先駆者がいる。

そして、その場所で初めて、過去の自分がいかに狭い了見をもって世界を見ていたのかを知る。
その経験はいつの日にか、途轍もない武器になる。
父親が自殺したオレが言うんだから間違いない。



今にもくずおれそうな人よ。

ウソだと分かっててもいいから、
「俺は(私は)すごい」と3回、迫真の演技で口にしてみるといい。
最高のアクター、アクトレスになったつもりで。
必ず何かの変化が起こる。

言葉はウソでも世界に押し出すと、真に迫る。




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