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ホン雑記 Vol.93「愛憎」

多少なりとも文章の勉強でもしようかと思って、中日新聞のコラム「中日春秋」を読み始めた。


今日の内容は、国連関係機関が発表する世界の幸福度ランキングについてだった。
いくつかの項目を巡り各国民が感じる幸福度をまとめた結果であるらしいが、1位は4年連続で今回もフィンランドになった。

フィンランドは教育のほうも世界一優秀な国(15歳児童の学習到達度国際比較)とされている。
テストがない、校則もない、授業時間が少ない。 また、小学校から大学に至るまで授業料は無料で、教科書代もタダである。

くわえて、学校へ行くことは義務ではなく、学習すること自体が義務だという。
これは「デカいぞ」と思った。
日本では、親は「勉強しろ」「宿題やったか」のような意味無き(むしろやる気を削ぐ)声かけをしてはいないか。
だが、「学校には行かなくてもいいから何を学ぶか考えろ」と言われた日にゃあ、きっとヤンチャ坊主の耳にだって入る。
「スジだけは通せ」「女に手を上げるな」「弱い者イジメはするな」あたりはヤンチャ坊主でも聞き入れやすいが、それと同じようなニュアンスか。

オレは両親に勉強しろと言われた記憶はまるでなく、「武器だけは持つな」「1発やられたら2発やり返せ」という(しかもオカンから)、今思えばイビツな教育を受けたので、今現在の非暴力最良の価値観に持っていくまで大変だった。昔の子は誰も似たようなものかもしれないが。


ちょっと話がそれてきた。

日本の幸福度は56位だという。先進国の中では見劣りする順位だ。
これは表に出す態度のせいだと、オレは勝手に思っている。謙遜の文化もいいかもしれないが、幸福を感じた時にそれを表わすなと言われればそりゃあ脳ミソのほうも愛想を尽かす。

いつだったか、剣道の勝利で思わずガッツポーズをした選手の一本が無効になった話があったが、当時も今も変わらず理解不能だ。オレのアンチニセモノアンテナがビンビン反応する。

礼節を欠いた相手に無礼な行為だ、というのだ。
そもそもスポーツの成り立ちは、疑似闘争だ。人が動くさまを見て、周りが勇気や感動を与えられようが、興行にしようが、そんなものは二の次だ。

行動が第一目的の演奏や描画と違って、スポーツは喧嘩の代替行為でしかない。つまり勝敗を決めるというイベントを、様々なルール下で行っているだけのものだ(芸術点のあるものについては知るところではない)。

とするなら、剣道はシンクロや新体操などに比べて遥かに勝負事、しかも世にも稀な殺し合いの代替行為だ。殺し合いに無礼もクソもなかろう。
いや、そこまでは極論かもしれない。
が、これが感覚的に間違いでないだろうことは容易に想像がつく。

なぜなら、もし自分が負けた剣士で、相手がガッツポーズしたことで相手の一本が無効になるぐらいなら、オレは二度と竹刀を握らないだろうからだ。
どんな顔をして(見えないか)そのあと打ち込めるというのだ。ルールに救われたヤツが。
個人的にはだけどね。恥ずかしすぎてね。他の人はしらんけどね。
いやぁ、でもオレには無理だな。アホらしくてやっとれんわ。勝ちを無効にされた選手の、むしろ相手のほうを貶めることになると思うのはオレだけだろうか。

きっと極真の大山倍達も同じようなことを言うのではないか。
いや、しらんけど。



ところで、台湾のデジタル大臣、オードリー・タン氏の優秀さを見るたびに、龍馬の「日本を今一度せんたくいたし申候」を思い出す。
日本独特の、騙し騙しのしゃんしゃん文化ではどうにもならないところにきているのではないか。
あまり政治批判はしないオレが思うぐらいだ。


が、そうやって国歩を憂う時には、逆接詞から始まる長渕剛の「CLOSE YOUR EYES」も、いつも思い出すのだ。




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