りあむには絶望もないが希望もない
ストーリーコミュ60話「Enjoy my life !!」と「OTAHENアンセム」を受けて考察する夢見りあむにこれから必要なこと
恥ずかしながら帰って参りました。
◆コミュニケーションから抜け出せない
「現代は皆孤独だ」と標榜する夢見りあむにとって、コミュニケーション、りあむでいうところの「誰かにわかってもらいたい」思いとは、全ての人間に宿る感情であるという大前提が彼女の中にあることが、今回のコミュと曲から得られる最高の収穫と言えるだろう。
私のりあむに対するかねてからの疑問点は一貫している。
りあむは炎上してでも売れたいのか
この一点である。
さて、自発的コミュニケーションの強度を上げていけばいくほど、炎上の可能性は高まるものだ。例えば、自分の主張を公言していくTwitterアカウントと、RTしかしないTwitterアカウントであれば、何かのきっかけで炎上する可能性が高いのは前者であることは自明の理だろう。
では、なぜ多くのアカウントは炎上しないのか。もちろん、モラルという超えてはいけない一線をわかっているからだ。明文化されていないながらも、多くの人間はコレを肌で理解して大人になる。コレを理解することこそ、大人への条件といっても過言ではない。例えば、「政治と宗教と野球の話はしない」のような。
という訳でりあむにはモラルがない、と断言するのはあまりにも短絡的だ。夢見りあむにはモラルの白線はきっちりと見えている。線の内側に下がって待っていれば鉄火場にその身をやつすこともない。
だが、だがだ。りあむには白線の内側に居場所などないのだ。家族がいない。彼氏がいない。趣味の共通しないただ話してくれるだけの友達がいない。没頭できる趣味も、身を焦がす青春もない。白線の一歩先にはマグマが広がっているとわかっていながらもその身を燃やして人と関わる道を選ぶしかない。
なんと可哀想な女の子なのだろう。彼女は自ら燃えにいくのだ。自分が明日を生きていくために、パッションの発露を目指してステージに立つ。
◆じゃあなんで「OTAHENアンセム」なんだ
シンデレラガールズはすごいと思う。
誰かの個人曲(私が今想像しているのは秘密のトワレだが)で他の誰かを踊らせても、何か違和感がある。
それだけ曲がキャラクターに密着しているということで、逆に曲がキャラクターの一部であるということだ。
そのシンデレラガールズが夢見りあむの曲として出したのが「OTAHENアンセム」な訳だ。
「お願い死んでくれ」と「うんこ」が取り沙汰される。この曲は狙った通りの効果をマスに対して十全に発揮し、またシンデレラガールズ外のオタクに夢見りあむを思い出させた。
バズは最強の自発的コミュニケーションだ。もちろん火力も最強。
そんな曲を引っ提げてりあむはこう叫ぶ。
ぼくもオタクだから、バカになって楽しみたいんだ!
「バカになる」とはどういうことか。要するにライブで見知らぬ隣の席の人とハイタッチしてしまう現象だ。コール&レスポンスという、夢見りあむが一番ネイティブな言語での交流。
「OTAHENアンセム」はりあむの最後の希望を奪った
夢見りあむがこれこそコミュニケーションだと叫んで、信じて疑わない「ライブ」での交流を、「OTAHENアンセム」は既に内包している。
このヤバさが理解できるか。ついでに、これに気づいてしまった時の私の感情も少し理解してくれるとありがたい。私も恥を忍んでこんな物書いているのだ。
これを読んでくれている方の中にも、この曲をヘビロテして生活音になって気づいたという人がいるのではないか。私もそのたぐいなのだが。
きっとりあむは、これから一生「OTAHENアンセム」を歌う限り、褒められ続ける。認められ続ける。
だがそれはあくまで「歌詞」だ。
彼女の求めてやまないコミュニケーションはそこにはない。いうなればファービーの下位互換。自分の声を数種類録音して、自分の喋ったことに合わせて再生するようなもの。
「こうコールしろ」と言われて「はい」と答えたオタクと一緒に曲を作るのは、現場ではさぞ楽しいだろう。
さあ、このオタクは「何故」楽しいのだろう。
りあむに気持ちを伝えられているから?
おいオタク!推しががんばってんだからもっと声出せ!
愛で負けんな!オタクが差し出せるのは愛しかないんだ!
アイドルに本気出せないやつはどこでも本気出せないぞー!
違う。「バカになれているから」だ。
DJがRYUSEI流してるからとりあえずランニングマンやるノリだ。
彼等の目に夢見りあむが映ることはないだろう。それでも、夢見りあむは「アイドルは楽しい!」
と踊り続ける。なぜか。
◆白線の内側にはもう戻れない
夢見りあむはもう、ステージの下にいることが許されないのだ。箱での居場所は板の上。それはりあむ自身が選んだ道だ。
「アイドルは楽しい!」
だれよりも純粋なアイドルオタクだったからこその発言だと、今になればわかるだろう。「OTAHENアンセム」はそんなりあむの立場を最もうまく利用した最高のマッチングだ。
ただ、もう後には引けなくなった。夢見りあむは夢見りあむとして舞台の上でしか生きられなくなった。「このコールは僕へのものじゃない」なんて気づく暇もないほどに、自分の為に一瞬のステージを楽しむしかなくなった。
では我々はどうすればいいだろう。私から言わせれば、あのコミュのプロデューサーは清々しいほどに利己的だ。そして頭がいい。夢見りあむを虚構の檻に閉じ込めて夢を見させ続けようというのだから。
我々はどうすればいいのか。
それは、本物のコールをしてやるしかないのだ。本当に愛してやるしかないのだ。コールを本物に変えていくしかないのだ。
もはや彼女に必要なのは順位ですらなく、ただ純粋な愛だ。