散文日誌「種々雑多」2021/09/02
今まで随分といろんなものを書き散らしてきた。中には読んでいて不快な物もあっただろうし、不可解な物もあったに違いない。言葉の向くまま、気の向くまま、人生同様、モノを書くということには終着点はない。
例えば今日も目玉焼きがきれいに焼けたとか、どうでもいい事をつらつらと思いつくまま書いているのだ。最近衝動買いが酷くて、自傷も激しい。気持ちは自分の肚の中にはいつも収まってはいない。足はそわそわして、どこかへ出かけるたくなる。冷凍庫のアイスを出しながら、次にどう書こうかしらなどと考えているのに、一時保存してアイスを食べ始まったら何してたっけって感じで、続きを書くのを忘れてしまっている。だから書きかけにするのはなるべく控えている。とは言え、ADHDの集中力は、過集中ゾーンにでも入らない限り、持って15分。がんばって30分。あとは、「飽きた〜!眠〜い‼️休む〜!寝た〜い。それじゃなきゃ出かけた〜い!コンビニでシフォンケーキ買いに行くんだ〜。レモンスカッシュ買いに行くんだ〜」って具合だ。
だもの、幼稚園や小学校の先生にご迷惑をたくさんお掛けしてしまうわけだ。もちろん親にはその何十倍の迷惑をかけているだろう。
−なんだよ、また無職かよ?なかなか楽にさせてもらえねえな…。帰省時父親がポツリと言った。父親の描いていた理想と現実のギャップがそう言わせたのか…。院卒でこの体たらく。もう笑うしかねえじゃん?
要は、自分の脳みそは、上の絵みたいに、画素がうまく繋げてないんだわ。ばあちゃんの一撃でも正常に映らない壊れたテレヴィジョンのブラウン管なのよね。いまは液晶モニターだからなかなかこんな壊れ方しないと思うけどね…。
最後の職場で、心をじわじわと蝕まれていくうち、私が密かに持っていた、この会社でもう就職活動は終わりにしようという、願いは打ち砕かれた。裏表のある上司のせいで、私はしなくてもいいことまでしなきゃならなくなった。
私の体は悲鳴をあげ始めていた。情緒も、元々不安定だったのがさらに不安定になった。仕事中に勝手に涙が出る様になり、友人(のふりをした他人)も、心配してくれて(いるフリをして)いた。事務所5階の廊下で、死にたいと連呼した時も、同僚(らしき人たち)は「席に戻ろう…」としか説得してくれなかった。「お前らは、オレの心の中の何をみている?こんなに、『死にたい』って泣きじゃくるってことは、窓さえ開けば、ここからすぐにでも飛び降りたって構わない!って言ってるんだ⁉️お前らには、それが、これっぽっちも分からねぇのかよ‼️」…助けてくれよ。もう限界だよ。
2019/4/5。あの人の様子がおかしい、周りからそういう聞いていたのか、最高責任者から、休職を勧められ、その日の午後から、私は会社と言う社会組織から離脱することになった。何回か、会社の団体保険と提携しているカウンセラーのカウンセリングを受けたがしっくり来なかった。結局心身症があるので、心療内科を受診することにした。自宅から一番近い心療内科を調べると、そこは初診だけは予約制で、一回ではなかなか繋がらなかったので、何度か電話して、ようやく初診日が2019/5/10に決まった。会社は、それまでは年休消化で休業扱いとしてくれた。休職の話は、先生が診断書を書いてからどうするか、事務の責任者が説明することになった。
受診まで1ヶ月もある。気が急いて仕方が無い。とりあえず、外をうろうろ散歩して回る。たとえ早めの八重桜が咲いていても、その他の美しい花々が咲いていても、私には景色に感動を覚えなくなっていた。すべての色が無い感じ…色は見えているけど、感じられないのだ。すべてがセピア色の写真のような気がしていて、うれしいとか、たのしいとか、そういうポジティブなものは心の底に溜まったヘドロに飲み込まれてしまっているようだった。思い出すのは、憎たらしいあの顔ばかりだ。どんなに頭を振っても拭えない、焼きついた烙印のような記憶。しんどいけど、そのたびに振り払うように散歩の速度を進めた。
あのころはまだ、経済的には何とかなっていたから、そこそこ、やりたいことはできた。社会保険費も、なるべく顔を見せるようにしたかったので、手渡しにすることを選んだ。
5/10の受診日がやってきた。受付のお姉さま方は若干無愛想だったが、それでも、入り口に熱帯魚が泳いでいたりして。なかなか雰囲気はよさそうだ。こういう、心身症を扱う病院は極力、患者を緊張させない雰囲気作りが大事だからなぁ…。
しばらく待つと、私の順番が回ってきた。私の前にいる先生の、第一印象は「なんか、頼りなさげ…大丈夫かな?」だった。
先生が私の名前を確認すると「よくがんばってきたんだね」と声を掛けてくれた。その瞬間、私の目からぶわ~っと涙があふれた。診察中は、泣き通しで、先生の質問にうなずくのが精一杯だった。(本当…先生、頼りないって思ってすみませんでした。)
診断書と薬をもらったその足で、会社に向かった。診断書には「適応障害」とかいてあった。心身症の診断名には最も多くかかれる病名だ。
その後、傷病手当申請書の書き方や、社会保険料の納める期限等を聞いて、とりあえず、5月分の傷病手当申請書だけ提出して帰宅した。とにかく疲れた。というより、この会社には、誰も労をねぎらう奴らがいなかったことにショックを受けた。「お疲れ様」とか、そういうのは挨拶であって労をねぎらってはいないのだ。そういうことに、多分今も、直近までいた会社の誰一人として気がついていないんだろうなぁ…。
病院には週に1回のペースで(現在も)通っている。希死念慮があることと、自傷癖、浪費癖があるからだ。
2019年5月の終わりごろ、先生が紙を一枚渡した。「この、チェックリストを来週までにやってきてくれますか?」
そこにはこういうタイトルが書いてあった。
「成人期のADHDの自己記入式症状チェックリスト(ASRS-v1.1)」
…え?まさかの「発達障害」しかも今?まあ、今わからないと復職したとき環境整備とかしてもらえないかも知れないしなぁ…。ということで、Grミーティングのときに、このことも交えて、あの上司を除くメンバーに伝えることにした。
Grミーティング当日。白紙のチェックリストを全員に見てもらい、自分がADHD(注意欠陥/多動性障害)の疑いがあること、もし、復職する場合はそれに対応する環境整備をしていただくことになるということを話した。どういうことか、メンバーは飲み込めていない様子だった。要するに、そういう性格だとわかったから、今までと同じような扱いで良いと思っていたのかもしれない。しかし、発達障害は「性格」ではなく、「生まれつき」のものだから、どんなに直そうとしても直らない。口伝えされたときは、頭で分かってはいるのだが、メモを取ろうとした次の瞬間には、さっき聞いたほぼ8割5分の情報が脳みそから飛んでいる。Volatile過ぎるメモリである。
それだからみんなに要望を書いて配ったのだが、事務の責任者に「これじゃ要望書じゃなくて、要求書だよ」と言われた。そうだよ。要求書だよ。これだけのことをしていただかないと、私はあそこでもう一度働くことはできませんということなのだから。こうして、だんだん、会社への不信感は募っていき、心のヘドロも溜まっていく。希死念慮(きしねん君)にはごちそうだ。
そして、次の受診日。チェックリストを先生に渡した。「うん、あなたは、間違いなくADHD。なので、昔のエピソードとかあったら、お母さんに聞いてみて。」と言われた。その瞬間、今まで悩まされてきた、さまざまな「苦手」なことは、「苦手」ではなくて、やろうとしても、出来ないことだったのである。暴れたり、奇声を上げたり、授業中でもけんかしたり、ノートや教科書のいたるところに落書きをしたり、先生の話も聞いているようで聞いてなかったり…数え上げたらきりが無い問題行動の原因は、ADHD!お前だったのか~!!やっと原因が分かってすっきりした反面、この「生まれつきの障害」とどう付き合っていくか…それが分からないと、復職もへったくれもない。大人の、しかも中年の発達障害ってどう思いますかね?
7月の終わりに、会社で復職可能か否かの面談があった。そのとき、事前にアンケートをとっていたメンバーが私に対して直してほしいところを部長相当職の方が読み上げた。それはもうひどい言われ様だった。仕事中に死にたいなんて騒ぎを起こさないでほしいとか、期限は守ってほしいとか…。いや、期限は守りたいさ。でも、あの上長の審査が厳しいからいつまでも差し戻されてやり直しさせられるわけで…。上長がどこかで妥協してくれれば良いだけの話じゃないの?死にたい騒ぎだって、早く収めたかったら、守衛の119番に電話して救急車呼ぶなりすればいいだけの話じゃないか?結局私が悪者になってしまっているではないか?おかげで大泣きして話の半分も覚えてないよ。大体書いた人の見当はついているのだけど、犯人探ししてもつまんねぇから、さっさと帰ったよ。
年度末からCOVID-19の流行が日本にもやってきた。そのため、2020/4月から、郵便と銀行振り込みに切り替わった。こちらとしては、嫌な顔を見なくて清々したからいいけどね。
で、2020/9/30、前もって主治医より退職の意思を伝えてあったので、2020/10/31付けで退職しますとすでに印刷してあった退職届に判を押して、7年と10日お世話になった会社にバイバイすることになったのだ。とりあえず、離職票の離職理由はC2になってたので、まあ、これが精一杯のお詫びと思っておこう。
こんな感じで、書き散らしてみた。まあ、結局は辞めた会社に対する愚痴とか、今の自分に対する不満とか、病状とかそんな感じなんだろうな。
闘病日記とかを書こうとするとまた長くなるので、とりあえずは、このへん書き散らすのはやめておこう。次からはもう少しテーマを絞って書くべしだな。まあ、散文だから適当で良いか。それでは。本日の書き散らしはここまで。