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散文日誌「種々雑多」2022/03/12

変わるということは勇気がいる。なんでもそうである。地球も、もしかしたら、自分自身が一回転することが怖いのかもしれない。日付が変わり、寿命が近づく。我々にとって何十億年は長い年月かもしれないが、地球や宇宙の規模にとっては、ほんのくしゃみをしただけの時間に過ぎないのだから。

私自身、もう社会には戻らないと、思っている。でもそれでは、生産性の面で何もない人間になってしまう。だから、こうして社会を斜めに見ながら、何となくジャーナリスト気取りで、物書きをしたり、ポーリングアートをしたりしている。しかし、それでも、足りないのはやはり、生活資金である。特に絵描きは、絵の具やキャンバスの値段もバカにならない。通常の絵の具を溶媒に混ぜて作るのにも、なかなか気に入る濃さにならないからかなりの量を使う。溶媒の値段も9000円位するから食べ物を我慢して何とかやりくりしなければならぬ。

表紙のドラクロアの絵を見て美しいと思う。ただ、こんな風に描けなくてもいいから、自分なりの夜明けの絵を描きたい。新しいアートの夜明けになる絵かもしれないし、本当の意味での自分がおもう夜明けの絵かもしれないが。

我が家から少し足を伸ばせば太平洋がある。11年前の3.11の時には3mの津波に見舞われて、多くの沿岸の家や旅館が長きに渡り、営業が出来なくなってしまった。わたしがTwitterをはじめたのも、震災がきっかけだったけれども、結局は、会社や上司の文句のはけ口になってしまった。

いつか、水戸駅で下り列車を待っていたとき、ふとホームから飛び降りたくなった。いろいろな人から理不尽な要求が来ていたからだ。でもここで死んだら馬鹿にされるだけだと思いとどまった。バカにされても、話しかけてもらえなくても、私だってここの人たちとは話したくないと思っていたから、ちょうど良かったよ。…などと負け惜しみを言いつつ。上司に切れて、上司も切れて、やがて、その会社の営業部門は独立して、私を指導してくれた人は、ぶち切れて人殺しになっちゃたし。ろくでもない会社だから、多分人が何人も、入れ替わり、たちかわりしてたんだろうな。あまり悪く言うのは止そう。私も悪い人間になってしまう。

たくさん働いて、その対価としてお金をいただけるのはありがたいし、これ以上のことはない。しかし、その対価は、時間と見合っているだろうか?時間と見合った対価をきちんと会社からもらえているだろうか?余計な残業をしなくても、それだけで暮らしていける対価をもらえている人間はどのくらいいるのだろうか?廃人になるまで働かねば暮らしていけないなんて、どれだけ「クライアント」が「マスター」から分捕られているのか?

思うに入社時に、教育として心の健康や先天性の見かけ上分からない障害についてもみっちり1週間かけて、やってもらいたい。また、寛解した欝の体験者の公演を聞くなど、他人事と思っている事を身近に感じてもらえれば、あくまで個人的意見だが、少しずつ何かが変わってくるのではないかと思っている。

COVID-19の急激な広がりで、障害者にも在宅ワークと言うチャンスが出来た。在宅ワークがスタンダードになれば、我々、一人で黙々とやるほうが仕事が進む人間にとってはチャンスなのだが…。なかなか、田舎の人は頭が固いみたいね。顔を見なきゃ仕事が出来ないって…でも、そのためにリモートつけたんですよね?あ、もしかして、リモートって、そもそもなんだか分からなかったりしてね。朝早くからラジオ体操は出来るのに、新しいことには疎いって、これだから。おじちゃんはもう。

事務所行かなくてもいいように、早くオールリモート元年来ないかなぁ?
だって、来年度あたり来そうかなと思ったから、もう髪の毛、好きな緑色に染めちゃったもん…。

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