散文日誌「種々雑多」2022/01/04
三が日も過ぎて、お屠蘇気分も急に冷め、現実に戻る瞬間。よし頑張るぞと思う人もいれば、また辛い日々が始まるんか〜❗️と思う人もいる。はたまた、再就職がんばらにゃいけんと思う人もいるし、仕事出来る様にまずは、自分の病を治さないといけないという人もいる。大変だと思うのは、病気しながら働いてる人。辛さを隠しつつ、健気に働かなきゃいけない。そう思うと胸が痛い。
失業給付でなんとか出来る人は良いと思う。うちの場合はドクターストップかかった状態だから出ないんだよね。残念ながら。求職者登録できないのよね。そうすると本当に何も出ないんだもんな。だからといって、生活苦しいから、主治医の先生に、意見書、就業可にして欲しいっていうのも何だか、小狡い気がして。自分に対してウソをつくというより、先生に大丈夫なのか判断してもらわないと。やっぱり、ウソ書いて欲しいなんて言えないわ〜。思うに単に自信を無くしてるだけのような気もするのだけど、そのせいで、パニックになったり、怒ったり物に当たったりして周囲の人を不快にさせる可能性が相当高い。しかもそのような状況が今の私の病状では容易に想像できる。ーそりゃドクターストップにも成りゃ〜すよ。悲しいけどそれが現実。他人に迷惑をかける人物程、集団の中で不要なものはない。だから、どの集団にも求められない人物になっちまうんだよ。どんなに学歴が高くても、どんなにIQが良くても、集団生活に馴染めない時点でアウトなのだ。
人間だから感情はあるけど、その感情が激情に近いし、喋り出すと止まらなくなって他人を邪魔するし…もういるだけで迷惑千万じゃないか‼️私は何のためにここにいる?何のために組織に弾かれ、独りになった?
どんな事にも多分意味があると思う。こうやって苦しい思いをするのも、現世での修行なのだと割り切ってしまえばいい。そうすれば、苦しみを乗りこえるというより、苦しみと共に生き、苦しみから経験した事を糧として、こういうブログ的エッセイや、抽象表現へと出力する力となる。苦く、辛い経験程、出力変換するのは難しいけれど、その思考錯誤の過程もまた、自らの良き経験となる。
会社で学ぶ事より、組織から自由になり、自らの学びの方法を手に入れた事で、自分なりの成長の仕方が何となく、分かってきた気がする。ただし、まだとっかかりの段階であり、どう成長するかは、枝分かれした先に出来る複数の成長点のどれを選ぶかにかかっている。徒長し過ぎてもダメ、最も活発な成長点を選び、他をバッサリ切らなければ、自分自身の成長は望めないと思う。そのためには、いい庭師についてもらわねばならぬ。親兄弟ではない、きちんと私自身の成長点を見極めてくれる第三者が必要だ。幸いそういう方に巡り会うことができた。主治医をはじめ、役所の職員の方々、Twitterで繋がった方々である。
休み明け、いよいよCOVID -19の第6の波の兆候が出始めている。今度はδ株ではなくο株である。仕事は会社でなくても出来る。今はテレワークがあるから、出社せずとも、作業ができる。もう、テレワーク、デフォルト(初期設定)でいいんじゃね?そしたら、いくら暴れても、誰にも迷惑かけないんだけどねぇ…。