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散文日誌「種々雑多」2022/04/21

人間不信で引きこもるようになってから、間もなく1.5年。引きこもり歴としては全然ひよっこなのだが、その間、かつての友人知人とはほとんど連絡もとってない。というより、あんな事言われたら、今更ながら飯でも食いにいくか?なんて口が裂けても言えやしない。ええい!クソが!

社会との隔絶は、鬱病をさらにひどくさせる。自分が必要とされていないという、孤独感と、こんな私が他人様のお金で暮らしていいのかという、罪悪感と。それらが将来の絶望感と三位一体になった時、初めて「希死念慮」という感情が生まれる。

私の場合は、幼い頃から親に叱られてばかりで、叩かれたりして、ここには必要ない人間だと思ったことと、幼稚園や小学校に行ってもやっぱり先生に叱られて、みんなに変人扱いされたことで、私はきっと大人になっても同じ扱いをされるだろうという絶望感が、5歳にして希死念慮を生み出すことになってしまったのだが。

それはさておき、今日は、役所の担当者が、我が家に来て、様子を見に来た。ヘルパーさんを頼むのに、家がどんな状況で、汚れているのならば、それなりに整理しなくてはいけないからである。

ADHDで整理整頓が苦手な私。重労働覚悟で、5月の連休明けに一斉清掃しましょうということになった。ヘルパーさんの意見書依頼は役所の方から先生宛に送るとのことだった。

使える制度は使ってくださいねとは言えども、しんどさが和らいだ時くらい、自分でやろうという気にならんのかね、本当にこのバカタレは。目玉焼きだけ立派に作れても、誰に食わすわけでなく、自分がただ食いたいだけで作ってるわけで。確かに家庭料理って、自分が食いたいものを作るためにあるんだよなあ。それを人任せにしてもいいのかなって?なんとなくそんな罪悪感が出てきたり引っ込んだり。まあ、面談あるって言うし、それで決めればいい。決める前から色々な事を心配するのは自分の悪い癖だ。今は粛々とやるべき事を片付けるのみ。

今頃になって、他人のありがたみを実感する。役所の担当者には本当に世話になりっぱなし。主治医は、概ね的確なアドバイスをくれるし。
親は年老いても、親としての責任を果たしてくれている。感謝しか無いでは無いか。

障害者になって一つもいいことないなんて言う人もいる。精神障害者は、犯罪加害者になったり、急にパニックになったりしておかしなヤツだと思われがちだからだ。でもそれはほんの一握り人たちである。しかもそういうことを起こすには必ず、理由がある。幻聴だったり、大きな音だったり、そういうことから逃げたくて、気がついたら、とんでもないことになってしまっている…。本人も我に返った時、なんて事をしてしまったのだと酷く後悔するのだ。家族も、そんな精神障害者を抱えて生きるのは、しんどい。訳もなく暴れたり、自らを傷つけたり…。

しかしながら、大方の精神障害者は、家で不安や社会人からドロップアウトした悔しさ、何の楽しみもない学校に行くのが憂鬱でつらいとか、そういう理由で部屋に引きこもっている人ばかりだ。中には、薬を飲みながら、社会人を続けている人もいる。自分が鬱病などであることを言わずに勤めている人だっている。

私は精神障害者になってよかったとか、どうとか、そういうことはどうでも良いと思っている。今の自分をそっくり受け入れて、ありのままで生きようと思う。別に引きこもっててもいいじゃない。引きこもってた方が誰にも害を与えないのだし。それに、独りでいる時間がたくさん取れる。他人との関わりは必要な時に求めればよろしい。そのくらいの人間関係の薄さがちょうどよい。

引きこもりを無理に出そうと思うよりも、本人が出たくなければ、そのままにしておけばいい。趣味を持ったりすれば、そのうち、広い世界が見たくなってくるんだろう。それまでは、親は辛抱だな。

引きこもってた心のドアが、自然に開くまでは。

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