『MOTHER2』は、『MOTHER2』がぜんぶです。(ほぼ日MOTHERプロジェクト)
1998年8月27日に『MOTHER2 ギークの逆襲』は発売されました。
それから30年経った、2024年の8月1日から9月8日の期間で開催された「MOTHER2のひみつ。」というイベント。
その最初に、来場者に対してどうしても伝えたいこととして記された挨拶文がありました。
その中でも、特に印象深かったのが以下の部分。
たまたま無理なく行ける圏内で開催されるということで、「せっかくなら」くらいのかるーい気持ちで足を運んだのですが、先の一文を読んだ時に、ピシャーン!というかズドン!というか、とにかく自分にストレートに刺さった感覚がありました。
つまり、
『自分』は『自分』がぜんぶ
ってことじゃん…!
さて、なぜ話が急にこんなにも飛躍したかと言いますと…
私はこの時、自分ではどうにもできなかった困った出来事を、心の片隅でウジウジ引きずっている時期でした。油断すると、自分の力のなさを悔いてみたり、もっとできることがあったんじゃないかと焦ってみたり。とにかく、今更どうしようもないことに囚われて、"不十分な自分"の存在を否定する日々。
そこに、あの言葉です。
ずいぶん心が弱っていた時なので、勝手に良いように解釈しているとは思うんですが、なんだか「今のあなたは、ちゃんと一つの完成形だよ」と言ってもらえたような、全肯定してもらえたような気がして。自分の今の状態ってありってことでいいのでは!という驚きが全身を走りました。
世の中の様々なコンテンツ・プロダクト・サービスがそうであるように、勇気と覚悟をもって"完成"を決断することは尊いし、それができるのは実際に携わっている人だけです。
かの名作も、色々な可能性の中からつくり手が「これだ」と選んだたった一つの"完成"にたどり着いたように、今の自分も紆余曲折を経て、その時々で良いと思う判断をくりかえし続けてきた成果物なんだとすると、めちゃめちゃ尊い"完成"じゃん?
自分を"完成"とするかどうか決めていいのって、自分なわけじゃん?
結果的に不十分なところが見つかって、思いがけない状況が生じてしまったとしても、それはリリースしたからこそのフィードバックなのであって、存在が否定される必要なんてないってことじゃん?
選ばれなかった方の可能性が「本来の姿」だったなんて、一生懸命下した判断に失礼だろ!そんな野暮な錯覚に囚われてないで、次の"完成"を目指せばいいんじゃん!
…って思えたんですね。
まぁ、常にそんなに理路整然と進むことだけを考えられるほどできた人間ではないので、引き続きそれなりに落ち込むこともありますが…。
それでも、展示の前のメッセージから自分を肯定できる気づきをもらい、ちょっと心が軽くなったいい状態でMOTHER2のひみつを垣間見る時間は、とても心地の良い学びとリフレッシュの場になりました。
なお、「MOTHER2のひみつ。」については、書籍が発売されることが決定しているので、気になった方はぜひお手に取ってみてはいかがでしょうか。
編集後記
拙いところもあったと思いますが、お読みいただきありがとうございます!
実は、noteへの投稿を思い至ったきっかけは別に存在していて、自分の中ではそれを #1 にする予定でした。しかし、今現在その言葉のソースを明確に示すことができない状況で…
大事なきっかけの言葉なので、きちんと明らかにしたいと思って早数ヶ月…
せっかくチャレンジしたい気持ちが沸いたのに、このまま燻ってしまうのか…!!??と思っていたところで、今回の言葉と出会いました。
「これは書かねば!順序にこだわって、今回のズドンの鮮度さえも損なうなんて、なんてもったいない!」と、半ば勢いに任せて書き始めました。
なんだかんだ、自分なりに納得のいく言い回しを模索したり、ヘッダーのイラストを描いたりするのに時間をかけてしまったものの、この度めでたく(?)勇気を持って"完成"とするに至ることができました。
今の所、コンスタントな投稿は目指さず自分なりに楽しみながらアウトプットの場として使っていきたいと思いますので、やんわり見守っていただけると幸いです(ΘvΘ