本日で、被爆75年の長崎
こんにちは。
dentalicです。
今回は、「被爆75年の長崎」について書いていこうと思います。
私は、今でこそ歯学部に通うために、親元を離れましたが、もともとは「長崎」に20年以上住んでいました。
長崎の人間からしたら、8/9は特別な日です。
幼稚園、小学校のときから、夏休みに学校に行き、黙祷を捧げるということを幾度となく、していました。
また、被爆者の方の講話も何度も聞き、いかに原爆が悲惨なもので、大勢の人間を苦しめた核兵器だったのかが身に染みました。
数年前に、広島で原爆の講話を聞きに来た修学旅行生が、語り部さんに対してひどい物言いをしたというニュースが話題に上がりました。
たしかに、今の子達からしたら、戦争なんて関係ないもののように感じるかもしれないです。今は、SNSやネットが普及し、昔の面影が残っていないいレベルで発展をしています。
でも、昔の方の頑張りや、辛い日を乗り越えた精神力があるから、今こうして私達は、楽しく笑えていることを忘れてはいけないです。
「誰かのためをおもう」
「誰かの役に立ちたい」
「誰かととを取り合って、頑張り合いたい」
そういう人間になるためには、相手の気持ちや考え方を尊重することが必要だと思います。これは、戦争そのものをなくすための1つの解決策です。
でも、人間そう、うまく行かないです。
やはり、人種や差別というものは、これからもなくなることは難しいですし、なくなることは無いと思います。
でも、一人でも「相手の気持を理解する」という行為を行えば、それが広がって大きな影響を与えることや、抑止力になると私は思います。
原爆だけではなく、戦争そのものが現実に起こっている国がまだ存在するという事実により目を向けて、私達も関心を持っていかないといけないなと強く思いました。
また、長崎人からしても、受け取った語り部さんの大きな講話を、後世に伝えていく必要があります。
人は歳を取る者で、先人は続々といなくなってしまいます。
いかに、これからも根ざすことなく、伝えていくか。
これから、長崎人として「原爆」という大きな負の遺産を、どう捉えていくか。もっと考える必要があるなと感じました。
ご覧頂きありがとうございました。