今はなき「ホテルきのこの森」を惜しむ
1 そもそものきっかけ
思えば2004年のことです。所属している「日本家政学界服飾分科会」の見学会があるということで、参加しました。宿などについては全く考えていないまま、先生方についていきました。今日はここに宿泊するということで、到着して驚きました。建物全体がきのこで満たされていたのです。
桐生市は古くから織物の町として栄えたところです。家政学会の見学も、桐生市を中心に行われ、足利市にある栃木県立足利工業高校の資料などを見学してから、宿に移動したと記憶しています。どなたがこの宿を決められたのかはわかりませんが、なかなか良い選択であると思いました。
2 宿泊してわかったこと
この施設は単なるイロモノではありません。きのこ産業の父と言われる森喜作氏の経営する森産業株式会社が母体となっていたホテルです。
彼は1942年、世界で初めて純粋培養菌種駒法の発明に成功し、確実に椎茸が出来る技術を完成させたのです。
こうしたキノコ尽くしの施設を作ることは、森氏のとっての念願だったのでしょう。
思えば、きのこ柄とモチーフへのこだわりが半端ないホテルでした。
食事する施設もきのこ関係の名前がついていたように思います。この施設に泊まったのが2004年のことなので、約20年前、まだインターネットやスマートフォンも普及していなかった頃です。もし今なら、海外からもきのこ好きが押し寄せたに違いないと思うと、残念でなりません。
3 森氏の偉業
調べれば調べるほど、森氏の業績は偉大であることがわかります。
森産業のHPに書かれている、森氏がキノコの研究をはじめられたきっかけです。
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今は昔、およそ一世紀前に遡る1933年の春先のことー
のちの森産業創業者となる森喜作は、山村農家の生活実態に関する
卒業論文調査のために訪れた大分県の山村で悲痛な光景を目にしました。
それは貧困にあえぐ老農夫が、切り並べられた原木を前にひざまずき祈る姿でした。
「なば(椎茸)よ出てくれ。おまえが出んば、おらが村から出ていかんばならんでな」
当時の椎茸栽培は、借財して用意した原木に椎茸の胞子が自然付着するのを祈るしかない一か八かの難事業。
失敗すれば一家離散が待っていました。その姿に胸を打たれた森喜作は「一生を椎茸の研究に捧げよう」と強く決心し、以来、故郷の桐生にて寝食を忘れて研究に没頭しました。
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こんな素晴らしい方の理念でできた宿なのに、閉館とは残念なことでした。今ならSNSでお客さんも集まると思うので、もしインフラなど残っているなら、どこかの企業さんが再興されないでしょうか。クラウドファンディングという方法もあります。
所在地はこちらでした。
〒376-0051 群馬県桐生市平井町8-1
似内惠子(日本伝承文化保存会)
(この文章の著作権は日本伝承文化保存会に属します。無断転載・引用を禁じます)
【参考】
https://www.drmori.co.jp/company/group/ 森産業HP
【謝辞】
https://www.kanto-kinoko.com/profile_tsuyuki
この原稿を書くにあたり、情報提供をしてくださった「関東きのこ会」の露木 啓 (つゆきのこ)氏に御礼申し上げます。
【関連サイト】
NPO法人京都古布保存会HP
http://www.kyoto-tsubomi.sakura.ne.jp/
NPO法人京都古布保存会FB
noteでの法人紹介です
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