良妻賢母の行くて
数年前、当時は研究者だった夫について、アメリカの「ニューロンドン」という街で開催された学会に行きました。期間はかなり長く、6日も滞在したでしょうか。
そこで研究成果を発表し、疲れて戻ってきた夫の足を揉むというのが私の主な業務でした。
他にすることはないのです。
食事やお茶の時間になると、配給される場所まで出向き、あとは室内で何もしないで待つという日常でした。
滞在したのは、Colby-Sawyer Collegeという学校です。という経緯をたどってきたようです。訪問した当時は夏休みだったので、学生はいませんでした。そこを学会が借り切ったようです。
アメリカ東海岸らしい、美しい風景でした。周辺は緑の芝生、点在する校舎の建物に、クラシックな寮、と食事の味付け以外は申し分のない滞在でした。
建物を探索するうちに、レリーフを見つけ、説明にあるようにここは以前女子短大だったことがわかったのです。
アメリカ東部・歴史あるカレッジ・寄宿舎、とここまできて「あしながおじさん」を思い出される方も多いでしょう。私も同じです。
「そうか、ジュディがあこがれて入学し、サリーと友達になったのはこういう場所なのか!」と、本の記憶と実体が結びついた次第です。
アメリカにも良妻賢母の育成が行われた時期があったのです。キャンパスは女性向けに各所が美しく、東海岸らしいレンガ作りの建物が並んでいます。
周囲は緑に囲まれて、景観を損ねるものは何もありません。
私たちが滞在したとき、このカレッジはすでに共学になっており、学校の説明を見ると「スポーツ教育に力を入れています」とありました。
今、日本中の女子高・女子短大が存続の危機に瀕しています。
ブランド力のある学校は別として、まず子供人口が少ないのです。これだけ男女交際が進んで、なんでいまさら別学、という声もあります。
恐らくこれからも多くの女子短大が、このカレッジのように4年制大学の下部組織になるか、廃校になるという運命をたどるのでしょう。
女子短大には別の役割・意味もありました。当時の日本でたいていの家庭は子供が二人、姉弟・兄妹の男女になる確率は半分です、ここで当時の家庭では、「男の子は頑張って大学にやろう。女の子は短大でいい」という判断をしたようです。短大を出て、少し社会に出し、あとは結婚というのが、当時の親たちの考えた道筋です。短大はそうしたニーズもあったのです。
良妻賢母、とは言い換えれば経済的な自立はしないという選択なのですから、卒業後の行く先は大樹でなければならないのです。
思えば、その当時、開業医であった母をうんざりさせた依頼は、
「先生なら若いお医者さんをたくさんご存知でしょう?どなかたうちの娘に紹介していただけませんか?」
というものでした。今はどうなっているのか不明ですが、大学病院の教授秘書はほとんど無給でも人が集まる職場だったようです。
いや、「釣り場」「狩り場」というべきでしょうか。そこでは将来の医師夫人を目指す女性たちが、狩と釣りを行っていました。
今の女性たちにそうした志向がないとは思わないのですが、彼女らが望むことを総合的にに評価すれば
まあまあの生活+自分のキャリア+好きなように生きられる自由>>>
裕福な生活+キャリアの喪失+周囲に気をつかう生活
となるに違いないのです。
そして、種々の経済的な事情もあります。子供を一人大学に出すためには、妻も年収500万円以上ないと難しい、という数字もあります。女性は仕事をやめる訳にはいきません。
独身を続けても、この少子化時代、子供が二人なら、待っているだけで半分の確立で親の家が手に入るのです。
そこまで結婚に強い希望を持つ人が少なくなっているのです。
あしながおじさんに続いて思い出したのは、「赤毛のアン」でした。
アンは養女からスタートし、頭がよいので学校の先生になり、そしてゴールは「開業医の奥さん」でした。教員になってすごく頑張っているアンを応援して、シリーズを読んでいた女性は、結婚をゴールにしたアンをどう思ったのか、気になるところです。
孤児に生まれたアンには家族が必要だと言うことで納得したのでしょうか。
結婚、それも条件のよい結婚がゴールだった時代が終わり、その準備をするための学校が次々になくなってゆくのです。
これも時代の流れなのだろう。
カレッジの芝生に座り、そんなことを考えました。
似内恵子(京都古布保存会代表理事)