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祭の民俗学的観察

1 祭の保護者会パトロール体験


祭りを見るのが好きです。祭の雰囲気が好きとかでなく、人間のレアな姿が観察できます。なので大好きです。

小学校の役員関連で、祭のパトロールを仰せつかったときは、嬉しかったです。宇治市の「こんぴら祭」の会場パトロールをしました。この会場をパトロールすることに。

女の子は浴衣が多いです。彼女らにとって祭は勝負タイム。
男の子はなぜか7名単位で行動しています。

子供がたくさんいるのは、学校と同じですが、祭ではいろいろな制約がなく、服装も自由。男女とも、小さくても本来の性質が出てくるので、観察しても面白いのです。女性は着飾り、男は群れて動きます。

小学校高学年で、すでに浴衣をきて流し目したりする子もいて、やはり祭は欲望達成の場なのだと思います。異性に自分をよく見せようというエネルギーが幼い男女からも放出されています。

ちょっと会場から離れると、バイクにノーヘルで女の子をお持ち帰りしている男性もいます。これが、何世紀も前から、しかも全世界で共通というところに、祭のすごさがあるのです。だからパトロールも必要なんでしょう。

2 何かが起きる祭

何かが起きることを期待して集まるのが祭です。
さて、それで暑いなか見学してきた祭、なぜ普段と違う男女も姿が見られるかというと、それは「ハレ」の場だからです。

先日徳島に行った折も、「阿波踊りは農民対応のレクリエーション」だったというお話でした。人は日常と違う場を求めるのです。上手な支配者は、その場をうまく演出して、エネルギーをそこで発散させてきたのですね。この「ハレ」の場では、男女が非常に動物に近くなります。

男性は群れて他のグループと競争したり、時には闘ったり。女性は着飾って男性の気を惹こうとしたり。

学校や職場は、成績や仕事のスキルが優先ですが、祭は100%自分の個性で闘う場です。数年前、子供たちを宇治市内の祭に連れていったら、暴走族の人たちが特攻服でたくさんやってきて、さすがに警察が横についていました。

3 昔から変わらないもの

江戸時代もこういうことがあったのでしょう。江戸どころか、原始時代までさかのぼれるかもしれません。文化でなく、人間の本質が発揮される場です。
これを見て、「ああ、人間は動物だなあ」と感じるのが楽しいのです。

そうなると、365日のうち、364日を祭の準備に宛てている人たちがいても、不思議ではないのです。京都の祇園祭も、他の地域に比べれば地味な祭ですが、「誰と」行くかなどについては水面下のバトルがあります。

祭はまさに動物に戻れる場であると実感しました。

似内惠子 NPO法人京都古布保存会代表理事
(この文章の著作権はNPO法人京都古布保存会に属します。無断転載・引用を禁じます)
【関連サイト】
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