電線さんぽ 京都電線遺産めぐり編
日本各地の電線を愛でながらまち歩きを楽しむ「電線さんぽ」が始まりました!
初回は電線とつながりの深い京都で、電線観光コースをご案内します。
お散歩気分でお楽しみください。
京都といえば、言わずと知れた観光地。そして梶井基次郎の『檸檬』や森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』をはじめ、多くの小説や映画の舞台にもなり、電線の歴史が動いた土地でもあります。
個人的にも京都は大好きな場所です。何度も旅行で訪れては、その度に「いつかここで暮らしてみたいなあ」とうっとり。コンパクトな街に素敵な喫茶店やバーがいくつもあって、気ままな散歩にぴったりなのです。もちろんいい電線もたくさんありますよ。
京都電線遺産めぐり
京都と国産電線の発展には深いつながりがあります。
1869年、明治天皇が京都から東京へ移ったのをきっかけに、京都はそれまでのにぎわいを失ってしまいました。
そこで、京都に活気を取り戻すために行われたのが三つの近代化事業です。
一つめは、1890年に琵琶湖から水路(琵琶湖疏水)を引いたこと、二つめは1891年に日本初の事業用水力発電所「蹴上発電所」を京都に作ったこと、三つめは1895年に日本初の路面電車「京都市電」を走らせたこと。
京都で生まれた二つの「日本初」は、電線が支える電化の歴史でもあるのです。
人気の観光地である蹴上インクラインは、琵琶湖疏水からやってきた船を台車に乗せ、高低差およそ36メートルの坂の下にある南禅寺船溜まで移動させるための設備で、現在もレールが保存されています。
インクラインは、蹴上発電所で作られた電気を動力源にして動いていました。
すぐそばにある蹴上発電所の跡地や大きなパイプ。
実はどちらも電線遺産なのです!
この二大プロジェクトを電線で支えたのが、1854年に創業し、現存する日本最古の電線会社「津田電線」です。電車に使う電線「トロリ線」を日本で初めて作った会社なんですよ!
そして、津田電線が電線の導体となる銅線を作り始めたのがこの場所です。
高野川にはきれいな水が流れていました
写真は現在の高野川。辺りを緑に囲まれ、すぐそばを街道が通っています。
銅を産出する面谷銅山(おもだにどうざん)のある福井と京都を結ぶ街道沿いであり、高野川の水運も利用できる物流に便利な場所だったことから、工場用地に選ばれたのです。
あっという間のお散歩、いかがでしたか?
電線をキーワードに巡ってみると、これまで知っていた京都とは全く違う姿に見えたかもしれません。
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