秘伝のノートと町工場 三陽電工株式会社 前編
電線アンバサダーが全国の会員社さんを取材する「電線ノート」
今回は、埼玉県戸田市にある三陽電工株式会社さんへ行ってきました!
今回からリニューアルしています!気分も新たに出発です。
西川口駅前の繁華街を抜け、10分ほど歩くと閑静な住宅街に着きます。周囲には川や学校があり、子どもたちの姿も見えました。
三陽電工株式会社さんは1948年設立の電線メーカーです。創業当時は辺りに牧場があり、西川口駅も会社の敷地から見えるほど、のどかな場所だったそう。
その時代から働いていた経験のある先々代の工場長は、現在88歳。80代まで現役で働かれていた先々代の工場長は、今も会社の設備をふらっと見にきて、一台ごとのクセや整備のポイントといったノウハウを手描きのレポートにまとめてお帰りになるんだそうです。
井川径成(いかわ みちなり)社長にお話を伺いました。
「先々代の工場長をはじめ、私たちにとって会社の設備は子どものように大事な存在です。機械といっても、一台ごとのクセや特徴がある。一般的なマニュアルを作るだけではどうしてもこぼれてしまう部分があります。このレポートを通して若手の社員が大先輩のノウハウを継承でき、とても助かっています。」
井川社長はもともと、別の業界で働いていたそうです。
「私は鉄鋼商社やコンサルティング会社などで働いていました。ものづくりの業界に飛び込んだら、こんなにあったかい世界だったんだというのに驚きました。」
金田秀寧(かねだ ひでやす)営業部長にお話を伺いました。
「私の伯父にものづくり業界で働く人がいて、幼い頃から電線の山が身近にありました。電線メーカーには、地域ごとのカラーがあるんです。会社同士で日々助け合いながら、横のつながりを作って、会社ごとの得意分野を把握しています。自分のところに来たお客さんでも他にもっとフィットするところが浮かべば、そちらをご紹介することもあります。」
「でも、仕事で楽しいのは相手のリクエストをしっかり聞いた上で、完璧なご提案ができることです。すでにある電線のカスタム製品であっても、1点ずつ要望に合わせて設計します。営業担当であっても、ものづくりの具体的な工程や素材などを知ることが欠かせません。」
社員31名、住宅街の町工場にはどこにもないユニークな電線があり、見ても触っても驚きがあります。どこにもない電線は、どんなきっかけで作られるのでしょう。
牧野修取締役 製造統括 兼 技術・開発部長にお話を伺いました。
「いつもなにか新しいことができないかなと好奇心を持って、色々と実験をしています。これまでも三陽電工では、南極・北極で使える耐寒ケーブルの開発を行ったり、84年にはアメリカのスペースシャトル「チャレンジャー」号に私たちのケーブルが搭載されたりしているんですよ。その時には、NASAから証明書が送られてきたはずなのですが……、あれってどこにありましたっけ?」
社員の皆さん曰く、貴重な証書は気がついたらどこかへ行ってしまったそうです。町工場で作られた電線がスペースシャトルで使われるというのは、まるで小説のよう。
次回は、ユニークな電線がどう作られているのかを伺います!
INTERVIEW DATE: 2024/4/19