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170年の歴史をつなぐ電線 津田電線株式会社 前編
電線アンバサダーが全国の会員社さんを取材するシリーズ、電線ノート。今回は、京都府伏見にある津田電線株式会社さんの本社へ行ってきました。
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津田会長
「創業170年の津田電線は、京都の歴史を支え、日本の産業化をリードしてきました。江戸末期、創業者の津田幸兵衛が京都の高野川で水車を使った銅線引き工場を始めたのがきっかけです。」
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なんと、西本願寺からのオーダーもありました。
「銅線を電線として使う前は、京都の町屋や寺社の瓦屋根を固定するために使っていたんです。会社としての転換期も、明治時代までさかのぼります。
1868年、天皇が京都から東京へ移られた東京奠都(とうきょうてんと)をきっかけに、京都の街は活気をなくしてしまいました。
そこで立ち上がったのが京都の近代化事業です。日本初の事業用水力発電所と日本初の路面電車に私たち津田電線が深く関わらせてもらいました。伏見工場は、鴨川運河の終点に合わせて作りました。琵琶湖疎水は、運河を京都南部の伏見まで伸ばすために作られたものなんですよ。」
以前、津田電線株式会社創業の地や、京都の近代化の歴史を取材したこともありました。
170年の歴史の中には、私のように電線を眺めるのが好きな人もいたのでしょうか。ロマンが広がります。
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資料室には門外不出の資料がずらりと並んでいます。新しい展示室の棚は、従業員の方がホームセンターで資材を買ってきてD I Yで作ったそうです。
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杉本人事総務部長に展示物のお話を伺いました。
京都水力発電
伏見工場を描いた絵の中にも電線ドラムがあります。
以前、国内で電線が描かれた絵画を集めた展示を観に行ったことがありますが、その中でもこういった絵はありませんでした。なかなか一般に公開される機会のない貴重な電線絵画です。
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1915年に大正天皇の即位式に併せて開催された大典記念京都博覧会に出品されたときの賞状や、1918年の京都博覧会で金賞を受賞した電線のサンプルもきれいに残っていました。
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杉本人事総務部長
「この賞状は、もともと東山区にあった本店の蔵の中でバラバラになっていたものを見つけたんです。拾い上げたら、あれ?なんか文字が書いてあるぞと気になって繋ぎ合わせました。かけらはそれぞれ、接着剤でくっ付けています。」
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ガラスケースも頑丈です。
しかし、100年以上前に作られた電線がピカピカなのはなぜなのでしょう。
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加藤伊賀工場長
「たしかにきれいですが、まったく変化していないという訳ではありません。高い純度の銅であることはもちろん、潤滑油が塗ってあるので、時間が経っていても錆びないんです」
戦時中に使われた注文帳や銅の配給書などもしっかり残っています。
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杉本人事総務部長
「当社は空襲を免れたので、こうして現物が残っているんです。研究者が取材にやってくることもあります。」
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加藤伊賀工場長
「銅はひとかけらも捨てたらあかん、銅を大切に扱うことは、私たちの仕事に誇りを持つことだとも思います。私たちの会社に銅を捨てる人はいません」
一人ひとりの仕事によって、大切に繋げられてきた津田電線の歴史。
後編では、令和の時代から未来へつなぐ従業員の方にお話を伺います!
撮影:日本電線工業会
取材・執筆:石山蓮華
INTERVIEW DATE 2024/9/27
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