偽装累犯障害者と理想累犯障碍者の備忘

転居に伴い随分と本を処分した。
何度も読んでいる著書は大体要点は抑えているが健忘症が酷いので
ここで纏めてみる。散文的な引用と私的見解を交えた記述。

序章 安住の地は刑務所

だったという現実から著者が執筆に至った経緯から始める

自由と尊厳を超えて過酷なのは塀の外。福祉事業所で

当事者に会って話を聞いたりすると少なからず該当する人は存在する


塀の中で半世紀を過ごした放火犯

過去一〇回にわたって刑務所に服役していた。実刑判決を受けた罪名はすべて「放火罪」だ。収監先は一般刑務所だけではなく、医療刑務所。

一般刑務所での処遇が困難となった、精神障害や知的障害のある受刑者服役する施設。

福祉施設の一部が刑務所の代替施設と化しているとも感じた。

第一章 バンダ帽の男 浅草・女子短大生刺殺事件

友達になりたかったと包丁をかざし逃げられて刺殺してしまう。

多くの知的障害者は、他人とのコミュニケーションを苦手としている。

つまり人と交流を通して身に付けるはずの倫理的基準、知識がない人。

よしんば反省に辿り着いたとしても、その意思を外に向かって発信するスキルがないので再受刑者となる。

第二章 障害者を食い物にする人々 宇都宮・誤認逮捕事件

刑務所にいることが分からない受刑者。

軽犯罪で服役し措置の精神薬を飲みすぎて本当に壊れた知的障害者。

身元引受人となり障碍者年金を搾取する。

福祉行政が動けないから組織犯罪が行われる。

第三章 生きがいはセックス― 売春する知的障害女性たち

福祉に対する嫌悪感と自我意識の乖離

「生きがい」や「やりがい」が「異性」や「恋愛」となる。

私だって人間だもの!と言いながら売春斡旋者に覚せい剤を打たれて逮捕され行きついたのは福祉作業所。

関係者は厄介払いするように障碍者の恋愛を嫌う。(職員がトラブルに巻き込まれる)

第四章 ある知的障害女性の青春 障害者を利用する偽装結婚の実態


養育手帳を所持していないし、公には「知的障害者」と認められないというかひらがなも書けない「女の子」

密入国ブローカーによって短期留学生と偽装結婚させられ逮捕。

釈放されたが福祉の世界より裏社会に居場所を感じている。

第五章 多重人格という檻 性的虐待が生む情緒障害者たち


繰り返し行われた近親相姦により乖離性人格障害になった女性。

トラウマから別人格に移さないと壊れてしまう。

触らぬ神に祟りなしと性的虐待を認めない児童相談所。

入所治療といっても専門的な対処はできていない。


第六章 閉鎖社会の犯罪浜松・ろうあ者不倫殺人事件


被害者も加害者も「デフ・ファミリー」

旧刑法では心神耗弱と同列に扱われ実質、聾啞者を人間と見ていない。

ーけいさつの中 つうやくの人の手話 よくわからないことが多い ウソ通訳するー

抽象的な話は一向に伝わらないし、解釈も出来ない。

第七章ろうあ者暴力団「仲間」を狙いうちする障害者たち

前章は色情の縺れからの殺人事件。

この章は文字の読み書きもできない手話もできないろうあ者だけの暴力団。

9歳の壁といったモノ。それは高等教育をうけても相応の学力が身につかずハンディキャップが生まれ「デフ・コミュニティ」で身内を喰いあう。

終章 行き着く先はどこにー福祉・刑務所・裁判所の問題点


長期刑を終え出所した76才の男性。

障害のある受刑者は身内や親族が面会に訪れることはまずない。

知的障害者と精神障碍者は軽微な犯罪で「施設」に帰ろうとする。

ホームレスかヤクザか閉鎖病棟。

ただ「処遇困難者」と寮内工場で隔離だけでは刑罰にもなっていない。

あとがき 文庫版あとがき 

変わりつつある刑務所

監獄法は1908年に施行された前時代的なものだから、職員が矯正教育を逸脱する。(受刑者への暴行)

規律維持優先の日本社会独自の仕組みから、短に刑務作業をすることだけでなく生活訓練を取り入れる。

優生主義的発想に根ざしているのであれば「魔女裁判」のような危険性を感じざるを得なくなる。

我が国の福祉の現状を知るには、被害者になった障害者を見るよりも。 受刑者を視たほうがよりその実態に近づくことができるからである。

障害程度をADL(日常生活動作)の優劣一辺倒で判断するのではなく、社会困難度という物差しも重視するという発想は今後、触法障害者のみならず障害者福祉全体の裾野を広げる起爆剤になるかもしれない、と別の意味での期待を寄せている。

KY(空気がよめない)」なる言葉に象徴されるように、今、日本社会は、少しばかり気の毒な人たちをいとも簡単に排除してしまうような気がする。

地域で暮らす知的障害者が、不審人物として通報され、警察が駆けつけた時にパニック状態で暴れだしてしまい、その結果、「公務執行妨害で逮捕され危険人物として通報され、「未成年者略取拐罪で逮捕された知的障害者など、実際にあったこうした例を挙げればきりがない。

生まれながらの障害を抱えるがゆえに孤立し、排除されてしまう。その後の行き先が刑務所、ということでは、あまりにも理 不尽すぎる障害があろうがなかろうが、差別することなく、すべての人々をインクルージョン(包括)
それを実現できるかどうか、まさに国としての力が試されているのだ。


解説 江川紹子


特にテレビの場合、犯人の事情に時間を割くより、哀しみや憤りを吐露する被害者側の訴えを報じた視聴者の共感を呼び、視聴率アップにつながる。そんなこんなで、障害者の犯罪を深く掘り下げる報道は、皆無に等しい。山本さんの指摘には、ジャーナリズムの一隅にいる者として、私忸怩たるものがある。

こんな風に、マスメディアが報じてこなかった、障害者事件の「その前」と「その後」を、山本さんはこの『累犯障害者」で詳しく伝えている。

読んでつくづく感じるのは、この国の福祉のネットワークの網目がいかに粗いかである。もちろん、福祉に関わる方々は、それぞれの現場で、精一杯の仕事をされているはずだ。しかし、カバーしている範囲があまりにも限定的なうえに、それが横のつながりを持ちにくい。

刑務所は、法務省が管轄。 一方、福祉は厚生労働省の所管という縦割り行政に加え、実務は地方自治体が行う。 自治体にしてみれば、福祉は住民サービスの一環なので、 住民登録のない出所したばかりの元受刑者には関心を払わない。そのうえ、そうした サービスを受けるには受益者が申請するのが基本。

知識がなかったり、事情をうまく説明できなければ、せっかくの制度も活用できない。

福祉の網目がもう少し細やかかつ柔軟になれば、防ぐことができる事件は、多くあるはずだ。

私が本書の中で一番驚き憤慨したのは、第二章だ。知的障害者に、彼がやってもいない罪を着せた検察。

事実が分った後も、一言の謝罪さえしようとしない。彼らの人権感覚は、いったいどうなっているのだろう。しかも、後半で報告されている福祉制度を悪用するヤクザに障害者が食い物にされている現実

こんなこともあるのかと、愕然とした。

知的障害者の女性は、偽装結婚をさせられて有罪判決を受ける原因となったヤクザ男のところに自ら舞い戻っていく。彼女は、この男と一緒にいる時だけは、表情が豊かで、自然体なのだという。

愛情を注ぐでもない親元にいるより、福祉の支援を受けるより、ずっと居心地がいいらしい。山本さんは、障害者を利用してきたヤクザ男に対して怒りながら、彼の女性へのまなざしに一片の希望を抱く。

「自由」と「愛」が存在する場所を求めている女性が、「ここなら生きていられる」と実感できる場所が、果たして社会の中にあるだろうか、と問いかける。

売春婦をしていた知的障害者の女性たちが紹介されている第三章でも、彼女たちに とって幸せな場所はどこなのだろう、と考えさせられる。

風俗産業に食い物にされても彼女たちは、品行方正を求める福祉関係者より、自分を抱いた男たちを懐かしんで「あたしだって人間よ。あたしみたいなバカでも、人間なのよ」「あたしを抱いてく れた男の人は、みんなやさしかった」

そんな彼女たちの叫びが、切ない。

「福」も「祉」も「幸せ」という意味で、福祉は本来、人を幸せにする営みのはず 。

障害を持つ人が生きることに幸せを感じ、犯罪の被害者にも加害者にもならずにすれ 福祉のあり方とは、いったい何なのだろうか。そういう社会を、私たちはどうやって作っていったらいいのだろう。

少なくとも、より多くの人が事実を知ることが、何らかの変化がもたらされるきっかけになると信じたい。そのためにも、一人でも多くの人に、この本を手にとって欲しいと願う。

最後に、著者の山本さんについて触れておきたい。衆議院議員だった山本さんは、 政策書の給与を事務所の運営費に流用したことが報じられるや、事実を認めて辞任。

一審の実刑判決を上級審で争うことなく受け入れた。

金を私用に使ったわけではな ましてや私腹を肥やしたわけでもない。永田町では、秘書給与の流用は、台所事情の苦しい議員がよくやる手法という噂もある。

上級審で争えば執行猶予が得られるという意見もある中、服役する道を選んだ潔さや、その後も自らの罪を問い続けてい 真摯な姿勢は、同じように秘書給与問題が明るみになった他の議員たちと比べて際だっている。

こうした取材活動の一方で、自らヘルパーとして障害者と関わり続け、刑務所での処遇。出所後の更生保護、そして福祉行政に関しても、積極的に働きかけを行っている。

その尽力もあって、刑務所に社会福祉士が配置されるなど、行政の枠組みを超えた新しい動きも出始めている。


秘書給与事件によって、私たちは前途有為の政治家を失ったが、代わりに、優れたジャーナリストと果敢な福祉活動家を得たのだ。

二〇〇九年二月、ジャーナリスト



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