群青の子
じゅりあんが目を閉じると、まぶたの内側に色とりどりの魚の群れが現れる。楽しそうに海の中を跳ね回る数万匹もの魚たちを遠巻きに見ている1匹がじゅりあんだ。魚影を掴まえるように筆を振るう。きらきらと色を変える魚魚魚魚魚を追いかける追いかける追いかける追いかける追いかけるあかあかあかあかだいだいむらさきあおおおおおおおおきみどりゆうぐれ。
海面のはるか上の方から呼ばれた気がして、イルカが息継ぎをするように目を開ける。振り向くと呆れ顔の母親が立っている。
じゅりあんは口がきけない。少なくとも周りの大人はそう思っている。だからじゅりあんが何かをするたびに、母親の中に住んでいる魚が不安と期待半々の色に変わるのだ。海の魚たちはあんなに色とりどりなのに、母親も、先生も、大人たちの飼っている魚はいつも鰯の腹のように身構えている。
「ふみおくん。入ってもらうで」
その後ろからじゅりあんと同じくらいの背丈の少年が顔を出す。
「よお画伯。やってるな」
ふみおはじゅりあんの絵を観にくるただ一人の客だ。1時間か2時間、休みの日には1日だって絵の前に座って、立って、歩き回っては近づいたり遠ざかったり、ひっくり返したり踏んづけたりする。そしていつもきまって「やっぱりよおわからんわ、おれ、色見えへんから」という。
じゅりあんはふみおの秘密を知っている。ふみおは頭の中に魚を飼っていない。色がわからないのもそのせいだ。村の学校では、魚を飼っていないのは死んだ人間だけだと教わる。
人が死んだら魚が抜け出して、海に帰るのだ。同じように海に帰った魚たちと、オオナムラとかオオナさんとかとよばれる群れを作って新しい命を得る。暮れに亡くなったじゅりあんの祖父もそうだった。瞼の下から魚がつるりと飛び出すのを、父親が用意していた桶で受け止めた。祖父の抜け殻が真っ白の骨になるまでの間に、火葬場からほど近い浜でうすむらさきの魚を放流した。沖にはオオナさんが迎えに来ているようで、波頭がぱしゃぱしゃと色とりどりに泡立って見えた。冬の海は寒かろなぁと誰かが言ったが、誰も答えなかった。
〈ふみおは死んでるん?〉じゅりあんがそう聞くと、ふみおは「あほ、生きとるわ」とじゅりあんの頭を小突く。じゅりあんの頭の中で小さな魚がくすぐったがるように身をよじる。
ふみおは30分ほど黙って絵を観たあと、口を開いた。
「お前美術の時間にまた怒られとったな。いっつもゲージュツばっかり描いとるから」
写生の時間に魚を追いかけはじめたじゅりあんが、画用紙をぐちゃぐちゃにしてしまったことを言っているらしい。美術教師の福井は東京の美大を出たとかで無駄にプライドが高く、「子供に抽象は百年早い」「ただの出鱈目」と大人げなくじゅりあんを罵った。わざとじゅりあんと比べるみたいにして、絵の具のチューブの見分けがつかないふみおのことは「色が独創的や」と褒めるのだ。ふみおはそれに腹を立てていた。
「福井のことはほっといたらええねん……せやけど、お前の絵は出鱈目とも違うんよな」
ふみおの手がじゅりあんのベッドの下に伸びて、鍵盤ハモニカを探り当てる。
「絵の具の組み合わせで階段みたいな光の山ができてて、いっつもその山と山との距離が決まってるんや。そうや、鍵盤みたいに」
そう言って、鍵盤ハモニカの蛇腹式のチューブの先を咥えていくつかの和音を鳴らす。
「ほら、あっちの絵も。この絵もそうや」
ふみおが色を音として表現しているのだと、じゅりあんはすぐには分からなかった。しかし、その音階はたしかに魚たちのことばに似ているような気がした。
「じゅりあん、これ、楽譜とちゃうんか?」
じゅりあんは目を丸くして、しばらくふみおと見つめ合う形になる。窓から差し込んだ夕陽が二人の頬を照らして、反対側に濃い陰影を作る。その瞬間、じゅりあんの目には、赤や緑の魚群が入り乱れてだいだい色の渦になり、次々に身を翻して闇に消えてゆくのが見えている。ふみおの目には、のったりとカーブを描く光の束が山の稜線のようにせり上がっては弛緩するのが見えている。
その時間は日没とともに唐突に去り、ふみおは「げえっ、間接キス」と鍵盤ハモニカのチューブを吐き出す。
*
高速を降りて海岸線を左手に見ながら30分も走ると、灰色がかったピンク色の建物が見えてくる。伊野海洋ケアセンター・通称「魚群館」だ。安っぽいチャペルのような入り口のドアを抜け、受付で名前を言うと、入館証を渡されデッキへ降りるように言われる。海岸線からからまっすぐ海の底へと入水するようなエスカレーターを下ってゆくと、岸壁の淵に飛び出すように設えられたドーム状のデッキが現れる。頭上から足元まで360度海水に囲われた潜水艦、いや、棺と言ったほうがいいだろうか。
ベンチに座っていた老人が私に気づいて立ち上がった。
「連絡させていただいた、週刊××の肥川です。本日はよろしくお願いいたします」
「こんにちは、伊野です。遠いところをわざわざどうも、お疲れ様です」
伊野老人がオルガンのような装置の前に立って「じゅりあん」と呼びかけると、ドームの外壁がざわざわと波立ち、その表面に赤や緑や青の光の粒が無数に現れる。
しばらくすると、薄青い闇の向こうから巨大な魚群が姿を現した。魚群はドームの発光と呼応するように色とりどりの光を反射する。伊野氏がオルガンに指を滑らせると、音が鳴る代わりにドームの発光パターンが変わる。それに合わせて魚群も色を変える。目をこらすと、群を構成する魚一匹一匹が異なる色で発光しながら、前後左右に重なり合うことで全体として一つのパターンを形成していることがわかる。
「かれは長老のクロードです。ご存知ですか? クロード・モネ」
「もちろんです。印象派の……」
私は絵は全く分からんのですがね、まあ一種のジョークですよと老人は苦笑いした。
「昔話を聞くならかれほど適した人材はいませんよ。オーギュストは話を大袈裟にしすぎるし、ポールは誠実だがまだ若すぎる。おっと、翻訳器を入れますね」
老人が鍵盤を操作すると、目の前の魚群——〈クロード〉がまた発色パターンを変える。それに合わせて天井のスピーカーから女性とも男性ともつかない声が流れる。
「こんにちは、ヒトザル。私の子どもたち。昔話を聞いてくれるのかい。そう、あれはまだ、月の赤ん坊がアコヤガイの中で眠っていた頃……」
今どきのアトラクションにしては安っぽいな……そう思いつつ、呆れ笑いが漏れないように内頬を噛む。魚群生命体とはじめてコンタクトを取ったとされる色彩言語学者の伊野文緒。アカデミアを追われてからはイタコのような商売で食っていると聞いて取材に来たが、こんなテーマパーク崩れに引っかかる人間がいるのだろうか。まあ、近場に温泉街もあるし、手近なB級スポットとしては悪くないのかもしれない。
〈クロード〉によると、かれら魚群生命体は宇宙から太古の海に降り注いだ。ひとりぼっちだったかれらは仲間を増やすため、地球生物の自己複製機構を間借りするすべを身につけた。人類は頭の中にかれらの稚魚を飼うことで、かれらのことば、つまり色彩を理解し、よき話し相手になった。しかし、やがて人類が自力で身につけた音声言語や文字言語が色彩言語を追いやってしまった——。
おとぎ話風にアレンジされてはいるが、内容は伊野の著作で展開されている与太話と同じだ。時計を確認すると40分が経過していた。欠伸をこらえて伊野に向き直ると、老人は壁にかかった抽象画をぼんやりと眺めている。七色の絵具が飛び散り群青をなすその絵は、どこか魚群と似ていた。
「ああ、もうよろしいですか。遠いところをわざわざどうも、お疲れ様でした」
老人がオルガンの脇に飛び出したスイッチを倒すと、〈クロード〉の声がぶつんと切れた。人が死んだら魚になって海に帰るという、よくある漁村の昔話の途中だった。私の口からは隠しようもない乾いた笑いが漏れていただろう。老人に聞こえたかもしれないが、気にしないことにした。
「ありがとうございました。いい記事になりそうです。掲載号が完成したらお送りしますよ」
*
「じゅりあん」
ふみおが呼ぶと、散髪したばかりのどんぐりみたいな頭が振り返る。午後の堤防には生ぬるい潮風が吹き付けて、二人の髪をすぐにごわごわにしてしまう。
その日の朝、じゅりあんの父親がふみおの家の戸を叩いて「ふみおくん、ちょっと一緒におっとったってくれへんか」とじゅりあんを連れてきたのだった。じゅりあんに妹が生まれるらしい。「おっちゃんせやけど、じゅりあんもう中学生やし」ふみおが言うと、「ほんまやな! わはは」と笑ってそのまま原付で行ってしまった。その間じゅりあんはずっと黙っていた。
「お前とこ、盆は船出すんか」
ふみおが聞くと、じゅりあんは〈うん〉と小さく頷く。人が死んだ家は盆に船を出す。その家で一番眼の効く者を乗せて、沖合に一夜停泊してオオナさんを迎えるのが習わしだ。じゅりあんがその役になることは誰もが知っていた。じゅりあんはオオナさんのことばがわかる。誰も口にしないが、誰もが知っていることだった。美術の福井は街のモンやからそれを気味悪がっとるんや。ふみおは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「お前ビビっとるんちゃうんか。しゃーない、俺が代わったるわ」
ふみおが言うと、
〈乗る。オオナさんにじいちゃんと妹のこと頼まなあかんから〉
じゅりあんがはっきり答えるので、ふみおはおどけることもできない。
「オオナさんにお前の絵、見せたれ。お前のじいちゃんにも」
そう言って、ふみおは水柱を立てて暗い海に飛び込む。
じゅりあんはさかなになってうみにかえる。
おれはしんだらやかれてほねになる。
じゅりあんはさかなになってうみにかえる。
おれはしんだらやかれてほねになる。
色のない海に揺られるまま、頭にできた空洞の中で繰り返す。
[第2回かぐやSFコンテスト落選作品を改稿]