安らぎよ 光よ 水の形よ

劇場で「この世界の片隅に」を観たときは「この世界の、片隅に…」という気持ちになったものですが、先日「シェイプオブウォーター」を観て今度は「シェイプオブ、ウォーター…」という気持ちになりました。僕です。

負け犬、ひねくれ者、声なき者に寄り添うのは映画の使命のひとつだ。スクリーンに光が映されている間、客席の僕らは声も姿もない幽霊になる。互いに名前も素性も知らない幽霊たちが数人か、数十人か集まって、わずかな時間、ひっそりとひとつの物語を共有する。映画は孤独と共感をたゆたう弱者の娯楽であり、だから僕らは21世紀になっても映画館に足を運ぶ。そんな映画館を生温かい青緑の水で満たすのが、シェイプオブウォーターだ。

この映画で繰り返し登場する青緑。老年ゲイのジャイルズは青緑色のパイに一喜一憂し、ヒスな軍人ストリックランドは成功者の証である「ティール」カラーのキャデラック に心の安定を託す。緑のゼリーは豊かな家庭生活の象徴だ。そして発話に障害をもつ清掃員イライザは青緑の"彼"と惹かれあう。誰もが青緑に焦がれるが、それ以上に画面には随所に青緑が溢れている。実のところ、青緑はいつも水のように僕たちを包み込んでおり、結局はみんなそれに気づかずもがいているだけなのかもしれない。水の形とは、僕たちを包む世界の形、僕たちを反転させた鋳型ともいえる。世界との違和感、満ち足りた生活、どちらも同じ青緑の水の形。その形を決めるのは怪獣と意思疎通する想像力、愚痴を言い合えるよき隣人、卵を茹でるひとときのやすらぎ、相手に悟られずに罵倒する言語的武器、飼い猫を食べられても相手を理解しようとする寛容さなどなどだ。

さて、この映画のラストシーンを観て、あの映画のラストを思い出さない人はいないだろう。半透明の海、怪獣と人間、愛と死。イライザと"彼"が惹かれあったように、芹沢大介はゴジラに他人ならぬ思いを抱いていた筈だ。世界から隔絶された怪獣セリザワと、世界に一頭だけ取り残された怪獣ゴジラ。その運命は悲劇だったが、もし出会いが違う形であったら、彼らと同じ孤独やひねくれを抱えた僕らも少しは救われるかもしれない。この映画は、僕たちの中の怪獣を抱きしめる青緑の水である。願わくば、怪獣ストリックランドにも心安らぐ結末を迎えさせてあげたい。

安らぎよ 光よ とく還れかし 青緑の怪獣たちへ。

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