魔法の時間
京都みなみ会館が建物の老朽化のために3月31日をもって閉館。来年春に移転再開とのことだが、今の歴史ある建物とはこれでお別れとなる。昨日はいつものようにふらっと寄って、最後の映画を2本観てきた。
京都に越してきて以来、もう5年の付き合いだ。徒歩で通える距離なので、自宅の一部のように思っている。
はじめてふらっと入ったのは「悪魔の毒々モンスター」か「ダークホース リア獣エイブの恋」のどっちかだった。それから題名を聞いたことすらない映画ばかり、思い立ったときにふらっと観に行くようになった。月一の特撮怪獣特集にも通いだして、特撮熱が再燃したりもした。
今思うとどうだろうか、文句なしに面白かった! と言える作品は、まあ、割合として多くはないけど、理解不能、ひたすら退屈、睡魔との闘いの果てに、それでもああ、今ここでこの時間を過ごして、なにかちょっと人生にコクが出たかもしれない、という作品にはたくさん出会えた。本当の大ハズレは一回しか引いてない。それ以上に、ポスターを見て気になっていたが観逃した映画も山ほどある。
短い間だったが、いろいろひっくるめて、みなみ会館は青春だったと言って差し支えない。
最終日一本めの台湾映画「ヤンヤン 夏の想い出」は、ある家族ひとりひとりのひと夏の恋と別れの顛末を淡々と追う。観たあと、外に出ると少し傾いた春の陽気で無性に世界が輝いていて、東寺の堀の生臭い淀みすら美しく、ちょっと泣いてしまいそうになった。束の間の魔法の時間だった。
もう一本は、また台湾映画の「楽日」(英語字幕)。ある映画館の最後の1日という、まさにこの時のための一本。映画館の客席、廊下、映写室やトイレで、思い思いに過ごす観客やスタッフ。しかし、上映時間は着実に終わりに近づく…。とにかく長回しの固定ショットで映画館の空間自体、そしてその中にうごめく光と影をじっくり見せる。映画の中の時間と空間が、そっくりそのまま現実と重なって入れ子構造を作る稀有な体験だった。
いつかどこかで同じ映画を観ることがあっても、同じように魔法の時間が訪れることはないだろう。人生において同じ瞬間は二度と繰り返されない。
最後に、みなみ会館で観た映画からベスト10を順不同で紹介する。
狂い咲きサンダーロード
ザ・生きている映画。ストーリー展開とともに撮影・演出技術そのものも加速度的に進化し続ける。パルメザンチーズみたいに命削って作りましたんでヨロシクゥ!という感じ。これと比べると他の全ての映画はしゃらくせぇということになってしまう。
激動の昭和史 沖縄決戦
中野特技監督特集オールナイトで。容赦ない残虐描写がしんどすぎるのでもう二度と観たくない。そしてあの呪詛のようなラストシーンが頭から離れない。
不思議惑星キン・ザ・ザ
すべての距離感が狂ってる世界。クー!
野のなななのか
大林作品初体験。画面も演技も違和感の塊なのに、むちゃくちゃおもしろい。今まで見てきた映像作品のルールってなんやったんや…
パスカルズたちが妖精。
鯨神
特撮大全集で。大人向けの黒々としたザ・日本映画の枠組みで特撮怪獣(と言って差し支えなかろう)! 他の怪獣ものとはトーンが全く違う、パラレル怪獣映画を発見した。
海炭市叙景
架空の地方都市の群像、ドライだけど情感ある描写、むちゃくちゃ良い。ラストショットの力強いふわふわ感!
アンダーグラウンド
ジプシー音楽に乗せて、人生とか時代とか戦争とか壮大なものを厚切りジューシーに切り出した大長編。おもしろ悲しくてものすごいぞ。
リアリティのダンス
ホドロフスキー夫妻の奇妙な愛情。ハイメもサラもかわいすぎるけど自分の両親だったらとても嫌だ。過去へ向けるアレハンドロのやさしいまなざしにホロリ。
神々のたそがれ
理解不能、睡魔との闘いと書いたのはこやつのことじゃ。美しくて汚くて意味不明に長い。なんで映画観る人に苦行を強いるの?
ミツバチのささやき
幼少期の異界に属する感覚と、家族という脆い集団幻想。世界にどんな符丁を見出し、どう読み解くかの違いで、人それぞれが異なる幻想を生きている。映画ってこういうことでしょ、といわれている気がする作品。
お店の準備やら何やらであまりお金がありません。おもしろかったら、何卒ご支援くださると幸いです。