電子書籍『小山田圭吾 冤罪の「噓」』を出版しました
拝啓
台風が発生し、天気予報が気になるこの頃、皆様におかれましては低気圧にも負けずお元気でご活躍のことと存じます。
私、電八郎は、このたび2冊目となる電子書籍を出版する運びとなりましたことをお知らせいたします。
アマゾン(Amazon Kindle)でご購入いただけます。
『小山田圭吾 冤罪の「嘘」: 中原一歩先生、経歴詐称をしていませんか?」』(出版社 危ないイチゴ)
電八郎(「孤立無援のブログ」管理人)
ブログ記事を元にしてますが、大幅に加筆した書き下ろし批評集です。
原稿用紙換算で360枚くらいあります。
「でも、お高いんでしょ?」
「いいえ! それがなんと、今回も電子書籍だからこそできる価格破壊! 出版界の常識をぶち破ります! こんな濃い批評集をこんな低価格で出されたら、他の出版社はもう終わり、やっていけません!」
「あら、すてき」
「しかも、今だけ、特別ご奉仕。なんと今回も初回に限り無料キャンペーンをやります! タダで読みたい人はそれまでお待ちください! このことをお友達に、じゃんじゃん宣伝してください!」
「買うわ! 買っちゃう!」
本書の冒頭を無料で公開します。
まえがき「中原一歩先生、経歴詐称をしていませんか?」
中原一歩が『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』(文藝春秋)という本を出した。
この大仰なタイトルは週刊誌の「釣り」見出しみたいなもので、炎上の嘘が暴かれてもいないし、東京五輪騒動の知られざる真相が明らかにされてもいない。ようするに、三年前の炎上時に中原一歩が小山田圭吾にインタビューをしてそれが「週刊文春」の記事になったその内容を、性懲りもなく繰り返しただけである。
中原一歩というのは英雄気取りの物書きで、取材対象が何であれ、自分がいかにすごい人物かという芝居がかった自分語りをやる。今回も、小山田圭吾が炎上した時に、どのメディアも小山田本人に当たった形跡がない、誰も裏取り取材をしなかった、と言っているがそんなわけはない。
この件を最初に報じた毎日新聞デジタルの記事は、以下のとおり書いている。
「毎日新聞は、小山田さんの所属事務所に対し事実関係を照会しているが、15日午後6時現在、回答は寄せられていない。」
(毎日新聞デジタル「小山田圭吾さん、過去の「いじめ告白」拡散 五輪開会式で楽曲担当」2021年7月15日)
このように、毎日新聞は裏取りのために取材依頼をしたのだが小山田圭吾の事務所がそれを断ったのだ。他のマスコミだって同様である。あの時、誰もが小山田圭吾に取材したかったのだが、小山田の事務所に取材拒否されていたのだ。
ではなぜ、「週刊文春」の中原一歩によるインタビュー取材だけ受けたのだろうか。ここには何らかの裏取引があったと私は見ている。現在に至るまで、小山田圭吾がいじめ炎上事件について取材を受けたのは、この中原一歩と荻上チキだけである。ほかに吉田豪もインタビューしているが、これは音楽活動についての話題がメインである。
つまり、小山田圭吾の事務所は中原一歩と荻上チキ以外の取材を拒否することによって、メディアをコントロールしている。そもそもこれだけの騒ぎを起こしていながら、記者会見もやらず、新聞社の取材にも応えないということ自体、前例があっただろうか。
私は中原一歩というノンフィクション作家のことを、この騒動が起きるまで知らなかった。
音楽ライターかと思ったらそうでもない。むしろ、小山田圭吾の音楽を聴いたこともなかったと自慢し、小山田のソロユニット名「コーネリアス」をバンド名だと思っているばかりか、フリッパーズ・ギターのことを「フリッパーズ・ジター」と発音していた。音楽業界ではロッキング・オン社が絶大な権力を握って「ロッキン村」を形成しており、これに逆らった音楽ライターは業界から干される、という与太話を、裏取りもせずに本気で信じていた。
騒動に乗じて、急にしゃしゃり出てきた胡散臭い物書きだなと思った。それでこれまでに出している著書をすべて買って読んでみた。
そしてあることに気づいた。
本の奥付にはたいていその著者の略歴が載っている。
出身地、学歴、職歴、専門分野、などだ。ところが、中原一歩は、本を出すたびにこの経歴が変わっているのである。
最初の本では、「高校時代に家出をして、ラーメン屋台で調理・接客修行をする。」「上京後、世界各地を放浪。アマゾンから南極、アフガニスタンの戦場まで訪問国は80カ国に及ぶ。」などと書いてある(『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル』朝日新書、2011年)。
これだと、中卒で職人気質の、かつ、ワイルドで社会派のジャーナリストである。ところが別の本では「高校卒業後」になる。やがて、学歴の記載が消える。
また、「19歳で上京」となっていたのが、「18歳で上京」に変わる。かと思ったら、藤井誠二との対談で、「僕は中学卒業後、高校にもほぼ行かずに仕事を始めました」と語っている(『僕たちはなぜ取材するのか』(皓星社、2017年)。さらにこの対談では、中原一歩が、ピースボートの専従スタッフをやっていたことが明かされている。
最初の本では、「南極から北朝鮮、アマゾンの源流からアフガニスタンの戦場など、世界を放浪する」とあった。これだと読者は通常、バックパッカーのような単身旅行を思い浮かべる。
そうではなく、ピースボートの専従スタッフとして船に乗って世界一周、というのならずいぶん印象が変わる。まして「放浪」ではない。中原一歩がスタッフとして乗船していた時期のピースボートによる「世界一周クルーズ」を調べると、南極へも北朝鮮へも行った記録がある。
世界を放浪したノンフィクション作家というのは、じつにかっこいい。中原一歩の看板ともいえる経歴である。まして、「世界放浪の旅に明け暮れた」と書くのである。男のロマンさえ感じる。
ところがこれが、ピースボートによる「世界一周クルーズ」だったらどうだろう。
話はこれで終わらない。
ピースボートの船旅では、著名人がゲストとして招かれて乗船する。それを「水先案内人」と呼んでいる。中原一歩もまた水先案内人として、2013年、2016年夏、2017年春、2018年冬、と乗船している。しかし、パンフレットやサイトで紹介されている経歴には、中原一歩がピースボートの専従スタッフをしていたという経歴は一切書かれていない。
そのかわり、「国際NGO職員として世界中を巡る。」と書かれている。
(2013年、第80回ピースボート地球一周の船旅「水先案内人紹介」)
https://peaceboat.org/wordpress/wp-content/uploads/2013/07/80_mizan_p6-p12.pdf
NGOとは、非政府組織のことであるから、ようするに市民団体のことである。外務省ホームページの説明によれば、海外の課題に取り組む活動を行う団体をNGO、国内の課題に取り組む団体をNPOと呼ぶ傾向にある。
また、ジャーナリストの田中圭太郎の取材によれば、ピースボートは法人格のない「民法上の任意の組合」である。
(田中圭太郎「100万円以上の赤字負担で、シェアハウス住まい」世界一周の国際NGOが職員に隠していたこと ピースボートという「やりがい搾取」PRESIDENT Online 2022年2月16日)
したがって、ピースボートの専従スタッフをしていた中原一歩が、「国際NGO職員」を名乗ることは間違いではないが、そもそも「水先案内人」としてピースボートに乗船する者が、なぜ「国際NGO職員」という言い換えをするのか。これは、経歴を盛る表現ではないか。
「国際NGO職員」という肩書を見て、「ピースボートの専従スタッフ」のことだとわかる人がどれだけいるだろうか。
中原一歩のデビュー作は『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(2011年)であるが、これは東日本大震災で被災地となった石巻で、ボランティア活動を行うピースボートの姿を英雄的に描いている。この時に中原一歩は、自身が元ピースボートの専従スタッフだったという経歴を隠してこれを書いた。
したがって、元ピースボートの専従スタッフが読者にそれを知らせずにピースボートの礼賛本を書いたということで、いわばステルスマーケティングであり、公正中立を欠いており、極めて問題のある本である。実際に、ピースボート災害支援センターのホームページでPRに使われている。
問題はそれだけではなく、中原一歩が同書で「奇跡の災害ボランティア」と絶賛したNPO法人の会長は、その後、石巻市から復興事業の補助金5千7百万円余りをだまし取っていたことが発覚し、仙台高裁で懲役4年の罪が確定している。
このような犯罪者を英雄として持ち上げた中原一歩にも道義的責任があるはずだが、中原一歩は何の弁明もせず、事件に言及することもなく、この本は訂正もされないままいまだに販売されている。
さて、ピーボートとはいかなる団体か。中原一歩が書いていることをそのまま引用しよう。
改めて言うまでもないことだが、中原一歩の肩書はノンフィクション作家である。
ノンフィクション作家には、公正中立の立場が求められるところ、中原一歩の経歴や人脈を見ると明らかに政治的に偏向している。しかもそのことは、CLP問題が明るみになるまで、隠されていたのだ。
CLP問題とは、ネットメディアのCLP(Choose Life Project)が立憲民主党から多額の資金提供を受けていた問題で、中原一歩がその仲介役だったのである。中原一歩は、株式会社GENAUという制作会社を経営しており、これが立憲民主党からCLPに活動資金が提供される際の仲介業者となっていたのだ。
(「立民のネットメディアへの1500万円提供 背景に〝活動家〟の仲介業者が」所収『週刊新潮』2022年1月20日号)
中原一歩はこれまで雑誌『AERA』(朝日新聞出版)で、数年にわたって政治家へのインタビュー記事を連載し、また、立憲民主党の小川淳也衆議院議員と共著で『本当に君は総理大臣になれないのか』(講談社現代新書、2021年)を刊行し、国政にも影響を与えかねない仕事をしてきた。
その職責の重さからすれば、ここまでのことは経歴詐称に該当するだろう。自分の経歴さえ詐称する人物が、小山田圭吾に取材して、「何が事実で何が事実でないか」を確かめたと言っているのである。
信用できるだろうか?
東京都知事選で蓮舫を支援した「市民連合」という政治団体がある。これは正式名称を「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」という。安保法制反対の官邸前デモで話題となったSEALDs(シールズ)ほか五つの団体有志による呼びかけで発足した政治団体である。
SEALDsの後見人が立憲民主党・前事務局長の秋元雅人で、枝野幸男前代表、福山哲郎前幹事長の信頼が厚く「立憲事務局のドン」と呼ばれていた人物である。
(立憲民主党と謎の会社「ブルージャパン」の危険な関係|山岡鉄秀 月刊Hanadaプラス 2022年5月27日)
中原一歩はSEALDsの奥田愛基を『AERA』や『クイック・ジャパン』で取材し、奥田愛基の著書『変える』(河出書房新社)の編集協力をしている。
秋元雅人は、「市民運動を担う活動家たちがメシを食えるようにと、彼らに会社を作らせ、そこを通じてビラ作りや広報といった党の業務を外注する手法を編み出した。」(「週刊新潮」2022年1月20日)。そして、CLP問題で、立憲民主党の資金を、株式会社GENAUを通じてCLPに流す「迂回融資」を考案したのも秋元雅人だと言われている。
中原一歩が代表取締役を務める株式会社GENAUは、選挙になると立憲民主党から立候補のチラシやパンフレット、動画制作等の仕事を数多く請け負っている。2022年の参議院議員選挙の時には、「市民連合」から中原一歩の経営する株式会社GENAUに対し、宣伝事業費の名目で、ユーチューブ動画制作に係る「チャンネル配信技術料」「ロゴ制作費」として219万1094円が支払われている。
(「市民連合」政治資金収支報告書、2022年度)
https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/uploads/04teiki-a_110.pdf
蓮舫の東京都知事選出馬については、立憲民主党・東京都連の手塚仁雄幹事長の説得によるもので、また、手塚幹事長は、小川淳也が立憲民主党の代表選に出馬した時の推薦人である。中原一歩が小川淳也と共著で、『本当に君は総理大臣になれないのか』(講談社現代新書)を出版し、小川淳也の「香川1区」での当選を支援したのは周知のことである。
(参照: 【東京都知事選スペシャルvol.2】蓮舫候補を支援する「市民連合」を追いかけたら「CLP問題」につながった!!「立憲共産党」の支援者たち 別冊!ニューソク通信)
したがって、中原一歩の本業は政治活動家であろう。
中原一歩は、『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』の記事を読んで、「これは完全にアウトだなと思った。目を疑うような内容が記載されていたからだ。」と書いている(『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』文藝春秋「はじめに」)。
それでいながら、小山田圭吾が声明文で、「事実と異なる内容も多く記載されております」と表明したのを読んで、「どの部分が事実で、どの部分が事実でない」のかをはっきりさせるのがノンフィクション作家の使命だと考えるのである。
そして、障害者をいじめていたのは別の生徒で、小山田圭吾はそばで見ていただけだから冤罪だ、と主張する。
この議論の立て方は、異様である。尋常ではない。
東京オリンピックでは、元ラーメンズの演出家、小林賢太郎が、過去に「ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)」をネタにしていたことから、開閉会式の制作チームを解任された。また、竹中直人も過去に「竹中直人の放送禁止テレビ」(1985年)というビデオで、障害者を愚弄するコントをやっていたことが発覚し、開会式への出演を辞退した。
さらに、東京オリンピック期間中の8月7日には、メンタリストのDaiGoが、自身のYouTubeチャンネルで、「ホームレスの命はどうでもいい」などと発言をして炎上し、謝罪に追い込まれた。
こうした差別発言に対し、小林賢太郎が実際にホロコーストをやったわけじゃないし、竹中直人が実際に障害者を虐待したわけではないし、DaiGoが実際にホームレスを殺害したわけではないから、などといってもそれは擁護にならない。当然である。問題とされているのは、そうした発言を生んだ差別思想なのだから。
雑誌に掲載された小山田圭吾の発言は、障害者を激しく蔑視し、愚弄し、嘲笑し、差別している。まずは、こうした発言が差別思想に基づくものであり、それは決して許してはならないものだということが糾弾されなければならない。さらに、和光学園でのいじめ事件でありながら、被害者が誰も救済されていないことを問題視しなければならない。
それが通常の議論の立て方である。小山田圭吾が実際にいじめ行為をやっていたなら、なおさら問題であるが、いじめの実行犯が他にいるとしても、著名なミュージシャンとなってからの雑誌での差別発言が擁護される理由とはならない。中原一歩の本では、いじめ被害者の名誉は回復しない。
中原一歩がさらに問題なのは、いじめ問題の専門知識を欠いていることである。中原一歩がいじめ問題の研究書や学術書を参照した形跡はないし、専門家に取材してその見識に触れた形跡もない。
「徹底取材」を謳っているが、小山田圭吾の仲間にしか取材していない。それが、小山田圭吾と中原一歩の裏取引を私が疑う理由である。
したがって、『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』の目的は、小山田圭吾を擁護することであり、中原一歩はその目的に合う証言をピックアップし、その目的通りに書かれた本に過ぎない。
中原一歩は、たとえば医学者・中井久夫の『いじめの政治学』を読んだか。中井久夫によれば、いじめか、いじめでないかを見分ける一つの規準は、そこに相互性があるかどうかである。
鬼ごっこで言えば、誰が鬼になるかをジャンケンで決めるのが普通の鬼ごっこで、そこには相互性(立場の入れ替え)がある。しかし、鬼がいつでも特定の誰かに決まっているならば、それは遊びではなくいじめである。
小山田圭吾と沢田君の間に、立場の入れ替えはない。沢田君は常に劣位に置かれており、この立場が逆転することはない。よって、小山田圭吾と沢田君の間に、友情は成立しない。
また、いじめ問題の研究者・内藤朝雄が唱える「暴力系」のいじめ(殴る、蹴る、衣服を脱がせる、など)と、「コミュニケーション操作系」のいじめ(シカトする、悪口を言う、嘲笑する、デマを流す、など)の相違について知っているか。
「暴力系」のいじめは、警察の介入で対処できる。しかし、「コミュニケーション操作系」のいじめには、根本的な対処法がない。いじめの被害者が自殺し、遺族が訴訟を起こして敗訴するケースが多いのも、「コミュニケーション操作系」のいじめである。
「村上清のいじめ紀行」は、小山田圭吾を「いじめグループの中でも〝アイデア担当〟だったらしい」(55頁)と書いており、こうした行為は、「コミュニケーション操作系」のいじめに該当する。学生時代のいじめを成人になってから被害者の承諾もなく雑誌記事として公表したのも、いじめである。
このように、少しでもいじめに関する専門知識があれば、小山田圭吾はいじめをそばで見ていただけだから冤罪だ、という主張がいかに愚かであるかがわかる。
さらに、中原一歩は、「孤立無援のブログ」を匿名で文責不明の「まとめサイト」だと書き、私の引用には、「巧妙な編集が施されていることがわかった」とまで書いている。
(参照:「検証ルポ「小山田圭吾事件」#2 「圭吾ってそんなキャラだっけ」和光学園同級生が「いじめ告白インタビュー」に抱いた〝違和感〟」『週刊文春』電子版
私はこの件については当事者であるので、中原一歩から事実確認の取材依頼があればいつでも受けるつもりでいたが、一切ない。それでこちらから、誤解があるので訂正してください、と『週刊文春』を通じてメールしたが、返信をよこさない。
それでとうとう頭に来て、名誉毀損で訴えたのだが、その訴状さえ受け取りを拒否された。私のブログのことを文責不明と罵ったくらいなのだから、自分が書いた記事の文責を問われたら、なにより率先して責任を果たそうとするのが通常の物書きではあるまいか。
私がもし中原一歩の取材を受ける機会があれば、話そうと思っていたことがある。
それをここに書いておこう。
『ロッキング・オン・ジャパン』(1994年1月号)が発売された当時、私はこれを買って読んでいた。小山田圭吾が「ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」と語っていることに、たまらない不快感を覚えた。
じつは、その5カ月前の『ロッキング・オン・ジャパン』(1993年9月号)でも、小山田圭吾はインタビューでいじめを告白していた。
その記事の見出しは、「中学の頃はすっげーいじめっ子だった。人ブン殴らないで、ゲタ箱ん中にカエルの死骸を入れるようなタイプ」というものである。
該当箇所を次に引用する。
この記事の後に、「ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」と語っている記事が出たわけである。したがって、小山田圭吾は『ロッキング・オン・ジャパン』誌上で、二回いじめについて語っている。
それから一年が過ぎた1995年1月15日、小山田圭吾はコーネリアス名義でNHKの番組『青春メッセージ』に出演した。
これは『NHK 青年の主張全国コンクール全国大会』の後継番組である。病気や貧困や差別という苦難にも負けず懸命に生きている勤労青年によるスピーチコンテストを中継した、社会教育的なまじめな番組である。
私はこの番組も放送時に見ている。
番組司会は、NHKの堀尾正明アナウンサーとタレントの持田真樹だった。
小山田圭吾は、隣に並んだ堀尾正明アナの鼻の下をのぞき込むと、「あっ、鼻毛が出ている!」と声に出して嘲笑したのである。生放送である。会場には一般の観客もいる公開放送である。
もちろんそのままテレビで放映された。
私は『ロッキング・オン・ジャパン』の記事での「ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」という発言を思い出し、こいつ、マジで性格悪いな、と思った。視聴者は誰でもそう思ったはずである。
小山田圭吾の外祖父は、第1回と第2回の『NHK紅白歌合戦』で総合司会を担当した元NHKアナウンサーの田辺正晴である。こうした大物がバックにいるのであれば、小山田圭吾が番組でどれほど非常識な振る舞いをしても、また、どれほどの侮辱を受けても、堀尾正明アナは何も言えないだろう。
小山田圭吾は、こうした自分より立場の弱い者を選んで、いじめているのだろうと思った。
それから8か月後に発行されたのが『クイック・ジャパン』(第3号、1995年8月1日)で、私はこれもすぐに買って読んだ。「村上清のいじめ紀行」によれば、同年の2月22日に村上清からいじめ企画のオファーを受け、4月2日に最初のインタビュー取材を受けている。
小山田圭吾は「お詫びと経緯説明」で、「村上清のいじめ紀行」の取材を受けた理由を次のように説明している。
「『ROCKIN'ON JAPAN』で誤って拡がってしまった情報を修正したいという気持ちも少なからずあったと記憶しています。」
本当だろうか?
それならどうして、全国ネットのNHKの番組で、男性アナウンサーを公然と侮辱したのだろうか。なぜあのような露悪的なイメージを上塗りするような言動を取ったのだろうか。
つじつまが合わない。
今に至るも、私はあの時に『ロッキング・オン・ジャパン』と『青春メッセージ』と「村上清のいじめ紀行」から受けた小山田圭吾の悪印象が、間違っていたとは思わない。
私が問題とするのは、小山田圭吾の発言にある差別思想である。
私は前作『小山田圭吾はなぜ障害者をいじめなかったのか: 根本敬から読み解く「村上清のいじめ紀行」』で、「村上清のいじめ紀行」にある差別思想を批判した。
本作では、「村上清のいじめ紀行」の編集者だった北尾修一を中心に、その差別思想を批判する。したがって、中原一歩への直接の批判は、ここまでである。
期待されていた向きには申し訳ないが、前述のとおり、私は中原一歩を名誉毀損で訴えたので、これから裁判が始まる。したがって、その裁判に影響を与えそうなことは今のところ書けない。しかしながら、中原一歩というノンフィクション作家の真相は、いずれ徹底的に暴いてやるのでそれまでお待ち願いたい。
本作の構成を述べる。
まずは、鬼畜系・悪趣味系カルチャーを生んだ90年代の壊れた倫理観について論じ、次に、「人を傷つけても作品が面白くなればいい」といった俗論を批判し、さらに、ブラック・ユーモアなどの反制度的な表現にまで考察を広げた。
このことに関連してバクシーシ山下からバッキ―事件に至る暴力AVについて批判している。論評に必要と思い、かなり陰惨な暴力描写に紙面を割いているので、そうしたものに嫌悪感がある人はどうぞ読み飛ばしてほしい。
書いている私でさえ精神的なダメージを負ったほどなので、どうか無理しないで読み飛ばしてもらいたい。なぜこんなことをあえて書いたかというと、90年代のサブカルを享受してきた者の責任として、それにはこうした暗黒面があったのだということを記録に残しておくべきだと思ったからである。
そして、特別付録をいくつか付けた。
まずは、北尾修一への反論と公開質問状である。小山田圭吾の炎上について、「孤立無援のブログ」のデマが原因だなどと、いわれのない誹謗中傷を受けるようになったのは北尾修一のせいである。もともと「孤立無援のブログ」に掲載したものであるが、北尾修一からはいまだに返答がないのでここに載せる。
そして、私が18年前に楽天ブログに掲載した「小山田圭吾における人間の研究」(2006年)を掲載した。これがいわゆるファースト・エディションである。その後、いくらか加筆修正したが、論旨はこの時のままほとんど変わっていないことがわかるだろう。
もう一つ、遊井かなめという編集者が拡散したせいで、みょうに注目を浴びた「俺のブログが炎上しててワロタ」(2012年)も収録した。遊井かなめ、碧ちゃん、はっぴーりたーん♪、こべにのツイートに踊った者たちが、その後、私から訴えられて、職を失い家庭も崩壊し、人生を棒に振ることになった顛末は、いずれ書くことになろう。
「孤立無援のブログ」管理人・電八郎
目次
■まえがき
■「孤立無援のブログ」の誕生
■2021年の東京オリンピック
■北尾修一の言い逃れと責任転嫁
■北尾修一の免罪符に踊った業界人
■「恣意的な引用」という形容矛盾
■『クイック・ジャパン』三人組(赤田祐一、北尾修一、村上清)の逃亡
■北尾修一とバクシーシ山下
■バクシーシ山下『女犯』の中のレイプ
■見世物としての障害者虐待
■「朝日文化人」としてのバクシーシ山下
■「AV人権ネットワーク」の失敗
■いじめは面白いか
■平野勝之『水戸拷問』と『監督失格』の間にあるもの
■AVメーカーとユーザーの一体化による「無責任の体系」
■バッキ―『問答無用 強制子宮破壊』と「監禁友の会」
■『女犯』から15年後のバッキ―事件
■松江哲明『あんにょん由美香』のきれいごと
■松江哲明『童貞。をプロデュース』と『童貞の教室』
■差別用語の基礎知識
■ブラック・ユーモアは「文学サロン」でしか通じない
■太田光、1995年の障害者差別
■団鬼六におけるSMと朝鮮人差別
■会田誠の女子便所覗きと「よかまん」
■うちわのお兄さんを笑ったのは誰か
●特別付録1
■北尾修一氏に問う 著作権法をご存じですか
■「村上清のいじめ紀行」は障害者への人権侵害です
■北尾修一氏への公開質問状
■【悲報】北尾修一が俺の悪口を400円で売り出す
●特別付録2
■小山田圭吾における人間の研究
■俺のブログが炎上しててワロタ
■あとがき
「孤立無援のブログ」の誕生
私は、「孤立無援のブログ」の管理人である。
ブログを始めたのが2004年の7月8日だったから、かれこれ20年にもわたって、インターネットを使ってきたことになる。私がインターネットの利用を始めたのはこれの数年前で、当時は電気街だった秋葉原で型落ちのNEC一体型デスクトップパソコンを買ったのだった。
ディスプレイの下にフロッピーディスクドライブがついていて、OSはウィンドウズ95だった。ダイアルアップ接続でインターネットにつなぐと、ピーピーガガガ……、という音が鳴って、そのつど接続料金を気にしながら利用していた。それがADSLになり、光回線となり、定額料金で好きなだけ利用できるようになってからネットにはまり、自分でもブログを書くようになった。
最初は楽天ブログで、「電八郎は、アンドロイドの夢を見るか?」というタイトルだった。これはフィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』をもじったものだ。映画『ブレードランナー』の原作である。
「茜さすアンドロイドの片腕に」(倉阪鬼一郎『魑魅:倉阪鬼一郎句集』邑書林)
「人造人間(アンドロイド)の疑惑もたるる少年が転んだ場所に落ちているネジ」(笹公人『念力家族』インフォバーン)
こうした俳句や短歌を知って「アンドロイド」という響きが気に入った。
ハンドルネームは、ばかばかしいものにしようと思って「電八郎」を名乗った。