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電子書籍第3弾『毒ガス攻撃とバックドロップ━━小山田圭吾で文藝春秋は二度死ぬ』を出版しました。

 拝啓
 寒の入りを迎え、冷気も一段と深まる今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 このたび、私、電八郎は、三冊目となる電子書籍『毒ガス攻撃とバックドロップ━━小山田圭吾で文藝春秋は二度死ぬ』を出版いたしました。
 Amazon(Kindle)にてお求めいただけます。

 本作は、私が積年、取り組んできた調査をもとに、小山田圭吾の炎上事件や、その背後に潜む有象無象の実態を白日の下に晒した社会派ノンフィクションです。原稿用紙500枚分の熱量を込め、膨大な資料を精査し、真実を追求した一冊となっています。

 皆さまの読書ライフに新たな視点をお届けできれば幸いです。
 ぜひご一読ください。

 敬具
 電八郎

■まえがき

 世の中には、正反対の意見がしばしば存在し、どちらが真実かを判断するのは容易ではない。

 西岡壱誠の『東大読書』(東京経済新報社)によれば、「東大生はカバンに『2冊の本』を入れている」という。すなわち、東大生は2冊の異なる立場の本を同時に読むことで、偏った視点を避け、よりバランスの取れた判断ができるというのである。
 べつに東大生でなくても、こんなことは常識の部類に属することだ。偏った意見だけを信じ込んでいる奴はやばい、ということくらい誰でも知っている。自分の考えや推論を支持する証拠だけを重視し、その一方で、支持しない証拠を無視する態度を「確証バイアス」と言う。

 中原一歩の著書『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』(文藝春秋)を読み終えて、私は唖然としている。このようなまったく非論理的で確証バイアスに満ちた本を、天下の文藝春秋がよくも出版したものだ。
 私はノンフィクションが好きで、これまで名作と呼ばれるものを含めて、何百冊も読んでいる読書家であるが、中原一歩の本はノンフィクションの名に値しない「小説」である。ただし、小説としても最低の部類である。

 ここは小山田圭吾いじめ炎上問題の第一人者である私が一言モノ申さねばならないと思った。いやもうすでに二冊の電子書籍を出版しているので、いろいろモノ申してはいるのだが、まだ言い足りない。というのも、このような本ですら、称賛する者がいるのである。
 そしてそういう者らのほとんどが、私の反論に耳を貸そうともしない。
 たとえば橘玲のようなエビデンス(証拠)を重んじる作家ですら、中原一歩の本を評して、小山田圭吾炎上事件の「決定版」だと書いている(「週刊文春」 2024年9月26日号)。

https://bunshun.jp/articles/-/73582

 なにが「決定版」なものか。こんなものを「決定版」にされてはたまらない。

 なぜ一方の意見しか聞かないのかという問題は、現代社会において特に深刻である。多くの人々が自身の信じるメディアや情報源だけを追い、その結果、対立する意見や異なる視点を無視することが多い。これは情報の偏りやバイアスを助長し、真実に基づいた理解を妨げる要因となる。
 私が学生の頃は、新聞を読むにしても、朝日新聞と産経新聞のように異なる政治的スタンスを持つメディアを比較して読むことが必要だと教わったものだった。そうすることで、どちらか一方の主張に流されずに、より客観的な理解を深めることができる。

 橘玲のようなエビデンス(証拠)を重んじる作家にこんなことをモノ申すのは、釈迦に説法のようで気が引けるが、こと小山田圭吾の炎上問題に関して、橘玲はあきらかにエビデンスを欠いている。そうでないというのなら、どんなエビデンスに基づいているのかを示してもらいたい。
 そして、橘玲は、その間違いを訂正しないことにおいて、晩節を汚した。

 小説家の早見和真は、中原一歩の本を毎日新聞で書評し、「一般の人のみならず、たきつけたメディアの人間が本書をどう読むかに興味がある」と書きながら、私の本は一切読もうとしない。
 雨宮処凛もまた、連載コラム「生きづらい女子たちへ」で中原一歩の本を取り上げて、「小山田氏に怒りを爆発させていた数十万、数百万の人たちの多くはだんまりを決め込んでいるように思えるのだ」と書きながら、私の本は一切読もうとしない。
(早見和真「今週の本棚・話題の本」毎日新聞東京朝刊2024年9月14日)
(雨宮処凛「『炎上』と『戦争』の親和性 ~3年前の小山田炎上を振り返る」)

https://imidas.jp/girls/1/?article_id=l-60-145-24-09-g421

 前原政之という「ライター歴37年、ブックライティング200冊以上、インタビュー経験2000人以上」とのプロフィールを誇るライターは、Amazonレビューを投稿し、中原一歩の本を「ノンフィクションの傑作だ」と絶賛し、「名誉毀損の裁判で言う『真実相当性』は十分極められており」と評した。そこで私は、「前原政之先生は、どのような判例に基づいてこう書かれてますか? よろしければご教授ください」とXでコメントを求めたら、即座にブロックされた。
 そればかりか、前原政之は自分が投稿したばかりのAmazonレビューまでごっそり削除したのである。 おそらく「真実相当性」の判例を調べたことも読んだこともないのであろう。生半可な法律知識で、てきとうなことを書くライターである。

 さらに、大島育宙というお笑い芸人は、中原一歩の本についてXで、次のとおり投稿していた。

小山田圭吾氏の炎上について当時から「そういうことじゃない」って言い続けてきたけど「そういうことじゃない」と薄々わかってる人にしか届かななかった。調査が本にまとめられて、売れて、やっと世論が覆った気がするけど、この本がなくてもやはりあの時点でイカれた炎上だったと改めて言いたい。」

@zyasuoki 2024年9月1日 午前1:45

本が出たから「そういうことじゃない」とわかったんじゃなくて、2021年夏の時点で「そういうことじゃない可能性は充分にあるし別々の問題が混同されて魔女狩りみたいになってるから一旦落ち着いた方がいい」ことは少し調べれば絶対にわかったので、あの時叩いたまま逃げようとしてる人はちゃんと謝ろ?

@zyasuoki 2024年9月1日 午前11:13

 ところが、大島育宙は私の本どころか、中原一歩の本さえ読んでいなかったのである。
 そのことは投稿した翌日のポッドキャストで自ら語っている。
 リスナーから中原一歩の本を「おすすめコンテンツ」として紹介されたのを受けて、「読んだ方がいいかも」というのである。
 いやいやいや、読んでからしゃべれよ。

(参照:【有料級】みなみかわと大島育宙の炎上喫煙所【Podcast】2024年9月2日)

 読まずに語るのもたいしたものだが、その程度の客層にウケているのだろう、大島育宙のテレビドラマ評も噴飯ものだ。宮藤官九郎脚本のドラマ『不適切にもほどがある』について、昭和のディテールがすごい、などと訳知り顔で語るのである。あまりにモノを知らない。不勉強というか、勉強する気がないのであろう。
 それで、あのドラマの舞台となっている1986年の時代考証は間違いだらけで、「大島育宙という人は、間違ったことを平気でドヤ顔で語るって芸風なのかな」と私がXで投稿したら、即座にブロックされた。
 この大島育宙は、東大法学部を出ている。
 最近は、こんなふうに芸でないところで笑いを取る芸人が増えている。
 竹中労の薫陶を受けた私は、「芸のない有名芸人」と「分をわきまえず偉ぶる芸人」を徹底して憎んでいる。

 私の知る限り、中原一歩と私の本とを読み比べて何かを言ったのは、今のところ吉田豪だけである。
 吉田豪は、中原一歩をゲストに招いた渋谷ロフト9でのトークイベントにおいて、私の著書に触れてこう発言した。

 ちなみに、孤立無援のブログの人の電子書籍2冊ともパラパラとですが、ちゃんと読みまして、読んだ結果は、文化的なバックボーン、そういう知識はものすごい詳しい人ですね。その悪趣味文化がどうとか、そこはほんとに中原さんの正反対で、そういう知識はすごいある人。

「久田将義&吉田豪のハードコアトーク・ゲスト中原一歩」2024年9月5日、LOFT9 Shibuya

 しかしながら、その吉田豪でさえ、中原一歩の「取材力」を褒めているのは心外である。中原一歩の本は「徹底取材」を謳いながら、その実、小山田圭吾の関係者にしか取材していない。
 初めに結論ありき、で書いている。

 小山田圭吾ファンの残念がるこんな声をよく耳にした。
 もしもあの炎上がなければ、東京オリンピックの開会式はもっと素晴らしいものになっていただろう。
 日本を代表する映像ディレクターの児玉裕一が制作したクリエイティブな映像に、コーネリアスのサウンドが乗ったプロジェクションマッピングが、新国立競技場を飾り、東京の夜を彩る、そんな光景を目にしたかった。

 しかし、そんなイベントが、すでに実現していたことをほとんどの人が知らない。
 2017年に、都庁の都民広場で、「東京2020オリンピック・パラリンピック フラッグツアーフェスティバル ~みんなのTokyo 2020 3 Years to Go!~」という記念イベントが開催された。
 この音楽監督を務めたのが、小山田圭吾である。
 そして、イベントで上映されるプロジェクションマッピングを制作したのが児玉裕一である。

 すなわち、2021年の東京オリンピック開会式の制作チームに抜擢された二人は、すでに2017年に一緒に組んで仕事をしていたのである。それも東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会、日本オリンピック委員会が主催するイベントでの仕事を。
(「3年後、この場所で東京オリンピックが!…」ほぼ日刊イトイ新聞)

(「東京2020オリンピック・パラリンピック フラッグツアーフェスティバル みんなのTokyo 2020 3 Years to Go! 」)

 それなのに、中原一歩は、そもそも小山田圭吾にはオリンピックの仕事を引き受ける意思がなかった、と書いている。
「自分にはまったく縁のない仕事だろうと思っていた。何せ小山田は五輪だけでなく、スポーツ全般にまったく興味がなかったからだ」(中原一歩、前掲書84頁)。
 小山田圭吾も、こう語っている。
「組織委員会の人が会いにきて『音楽を作ってください』と言われていたら、そもそも引き受けていないんですよ、きっと。でも、自分の音楽仲間が開会式をやっていたから、彼らが困っていたから、じゃあやろうかとなった。」(同、278頁)

 しかし、小山田圭吾は東京オリンピック開催予定の3年前の時点で、すでに音楽監督という重要な仕事を引き受けている。名前も公表されている。
 この事実は、中原一歩の本と決定的に矛盾する。

 私は本書において、中原一歩と小山田圭吾が積み重ねた嘘を、ファクト(事実)を基にして徹底的に暴いている。

 西岡壱誠は『東大読書』の中で、「世の中にはいろんな意見がある」と述べている。たとえば、「幽霊はいる」「幽霊はいない」という対立する主張や、「ヒトラーは悪だ」「ヒトラーを一概に悪者にするのはよくない」という意見の対立を挙げて、どちらか一方にだけ基づいた見解ではなく、様々な観点を取り入れることの重要性を強調している。
 人の数だけ正しさがあり、その正しさに気づくことが難しいからこそ、複数の異なる視点を持つ本を同時に読む「検証読み」が有効だという主張である。このような比較読書の方法は、情報に対してバランスを保ち、物事をより広い視点で考えるために非常に重要である。

 中原一歩の『小山田圭吾 炎上の「嘘」』では、私が運営している「孤立無援のブログ」が、「一連の炎上騒動のソースとなっていた」と書いている(同書、10頁)。そういうことを書くのであれば、ブログ運営者の私に、事実確認の取材をするべきであろう。しかし、今に至るまで、私は中原一歩から一切の取材を受けていないし、取材依頼のコンタクトさえ受けていない。
 逆に私の方から、「週刊文春 電子版」のお問い合わせフォームを通じて、中原一歩への苦情を何度も申し立てたが返信さえよこさない。

 このことは初めて明かすが、私が送ったメールに対して、「文藝春秋 法務部」からは返信が来た。その内容は、私がもし中原一歩と週刊文春を訴えるならば、株式会社文藝春秋は、対抗策として損害賠償請求などのあらゆる法的手段を採ることを明言する、というものである。

 もちろん、このような恫喝に屈するわけにはいかない。

 中原一歩は、「何があろうとも取材協力者を全力で守るのが編集者の矜持」だなどと芝居じみたことを書いているので、自分のことも文藝春秋が守ってくれると高をくくっているのだろう。
(「失われた夏」から半年、小山田圭吾との再会 次会う時にどうしても聞きたいこと 検証ルポ「小山田圭吾事件」#5、以下「検証ルポ#5)

 ピースボードだの、立憲民主党だの、文藝春秋だのの後ろ盾がなければ何も言えないのである。
 かつて竹中労が揶揄した「寄らば文春、大樹のかげ」である。
 本書では、中原一歩の著書『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』(文藝春秋)のどこがおかしいのか、徹底的に検証している。
 橘玲のひそみに倣って言えば、本書で述べたことにはすべてエビデンス(証拠)がある。

 はっきり書こう。
 この本だけでなく、中原一歩というノンフィクション作家はこれまで読者をだましてきた。
 それが許せない。

 中原一歩の本を読んだ人は、ぜひ本書にも目を通してほしい。
 目次を見て、気になる項目があればそこだけでも拾い読みしてほしい。
 読んで損はさせない、自負がある。

 異なる立場の著作を比較して読むことは、偏った視点に陥ることなく、より広範な視野で問題を捉えるために不可欠である。小山田圭吾の炎上事件に関しても、どちらが正しいかを検証するためには、両方の言い分を確認し、事実に基づいた判断を下すことが重要である。
この比較読書の姿勢こそが、読者にとって情報を偏らせずに真実を見極めるための有力な方法となるはずである。

目次

■まえがき


■毎日新聞が誤報道をしたというデマを流したのは誰か

〇第2章 いじめの四層構造
■小山田圭吾は高校でいじめをしていなかったか
■いじめられっ子は二人だったか
■メディアは小山田圭吾に取材しなかったか
■匿名の同級生の証言は信用できるか

〇第3章 左翼活動家
■小山田圭吾との連絡を仲介した音楽関係者とは誰か
■株式会社GENAU(ゲナウ)とは何か
■左翼メディアに報道倫理はあるか
■なぜ中原一歩の出版イベントがロフトで行われたか
■なぜ小山田圭吾は脱原発フェスに出演したか
■なぜサヨクはフジロックに集まるのか
■宇川直宏に政治団体からの資金提供はあったか
■なぜ中原一歩だけが小山田圭吾に取材できたのか

〇第4章 いじめ被害者
■なぜ企画を週刊文春に持ち込んだのか
■小山田圭吾は「ゲタ箱ん中にカエルの死骸」を入れたのか
■「小山田君のヤな事」という作文が書かれたのはいつか
■ウンコを食べた同級生に取材したのか
■沢田くんのエピソードはほほえましいか
■なぜ村田さん母子は中学時代に自殺を考えたのか

〇第5章 プロパガンダ
■中原一歩はなぜ電八郎に取材しないのか
■なぜ小山田圭吾はオリンピックの仕事を引き受けたのか
■太田光の発言のどこが問題か
■なぜ殺害予告当日に餃子を食べたのか

〇第6章 バックドロップ
■なぜ「小山田の名誉を回復しなければならない」のか
■なぜ中原一歩は和光出身の障害者に取材しないのか
■村田さんは「プロレスごっこ」を喜んでいたか
■小山田圭吾はバックドロップをやったのか
■なぜ小山田圭吾は沢田君に年賀状を出さないのか

〇第7章 カエルの死骸
■『ロッキング・オン・ジャパン』の見出しは嘘か
■なぜ中原一歩は「ロッキン村」と言わなくなったのか
■なぜ中原一歩は「カエルの死骸」を無視するのか
■なぜ「架空インタビュー」をやったのか
■出版社は原稿チェックをさせる必要があるか
■『クイック・ジャパン』の取材手法はフェアか

〇第8章 証明責任
■なぜ竹島ルイは毎日新聞に取材しないのか
■なぜ山崎洋一郎は牧村憲一に挨拶しないのか
■小山田圭吾はどんなキャラなのか
■小山田圭吾の同級生はいじめや万引きをしたのか
■小沢健二の万引き自慢は捏造なのか
■柴那典のコメントにリスクがあるか
■山崎洋一郎に責任はあるか
■インタビューを捏造してはいけないのか

〇第9章 小山田ファン
■なぜ木村紅美は小山田圭吾を擁護するのか
■なぜ床山すずりは小山田圭吾を擁護するのか
■なぜ小山田圭吾は「孤立無援のブログ」を訴えないのか

〇第10章 中原一歩
■小山田事務所が水面下で交渉したのは山崎洋一郎だけか
■小山田圭吾は「いいヤツ」だから炎上したのか
■キャンセルカルチャーは悪いのか
■なぜ中原一歩はブギーバック・マンションに住めたのか
■中原一歩はピースボートで何をやっていたか
■なぜ奥付の著者略歴が毎回ちがうのか
■なぜ中原一歩は息をするように嘘をつくのか
■中原一歩は中卒なのか高卒なのか
■中原一歩は食品偽装の料理屋か

〇第1章 こべに

■「はるみ」のツイートが「炎上の発端」か

 これから、中原一歩が『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』で書いていることを一つずつ検証していこう。いわゆるファクトチェックである。
 もちろんこのファクトチェックという言葉は、コーネリアスファン有志とか名乗る奴らが作った「2021年夏に起きた小山田圭吾氏の炎上問題について時系列の整理とファクトチェック」という匿名まとめサイトを皮肉ってのことだ。

 この匿名まとめサイトは、「こべに」と称する匿名コピーライターが中心となって作ったものだが、残念ながらすでに見られなくなっている。サイトの説明では、「更新作業のため現在準備中です」となっているが、おそらく二度と復活することはあるまい。ファクトチェックとは名ばかりの、嘘(フェイク)まみれのデマサイトであった。
 私が何度抗議しても無視するので、こべにの素性を調べ上げて、所属する東京コピーライターズクラブと勤務先の制作会社に法的手段を取ると告げたら、サイトを消して逃亡したのだ。
 敵前逃亡である。夜逃げである。
 ちなみに、このデマサイトを参考文献として学術論文を書いたのが、五野井郁夫である。それを掲載したのが岩波書店の雑誌『世界』である。
(五野井郁夫「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか?」所収『世界』2023年6月号、岩波書店)。

 中原一歩の『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』という書名は長いので、以下「中原本」と略す。この本からの引用はすべて初版からのもので、単行本の該当ページを明示する。
 また、レイアウトの都合上、引用文の半角英数字を全角に変えている箇所があることをお断りする。

 中原本は、二〇二一年七月十四日のこととして、「小山田圭吾 五輪音楽担当に就任」とのニュースが流れた後の印象を、「なかでも一九九〇年代のポップシーンに影響を受けてきた四十代後半から五十代の世代は、『あの小山田が開会式の音楽を担当するのか』と、期待と感慨を抱いてニュースを受け止めていた」(7頁)と書くのだが、そんなことはない。
 小山田圭吾のことをよく知る世代の者ほど、これはやばい、と思ったはずだ。中原一歩が知らなかっただけで、小山田圭吾は障害者いじめ発言でもう二十年くらいずっと炎上しているのである。それがパラリンピックの音楽を担当するとなったら、さらに燃え上がるだろう、誰もがそう危惧し、そしてその通りになった。
 そして翌日(七月十五日)の朝、中原本は、「Xにある奇妙な書き込みが投下された」(7頁)と書くのだが、当時はツイッターである。これは文藝春秋の校正者の責任かと思うが、出版不況でこんなミスもチェックできないほど校閲部の予算を削られているのか知らないが、しっかりしてもらいたい。
 中原本は、「書いたのは、ある匿名のユーザーだった」(8頁)としているが、「はるみ @harumi2015」というアカウントであることは調べればすぐわかる。中原一歩は投稿の内容を全文引用しているのだから、著作者名を書かないのは、著作権法違反である。「はるみ」は、ぜひ訴えてほしいものだ。
 それで、「このポストが、小山田をめぐる騒動の〝種火〟であった」(8頁)と続けるのだが、ここも「ポスト」ではなく「ツイート」とすべきである。Twitterの名称がXに変更になったのは、この2年後の2023年7月24日のことである。
 中原一歩はいかにも事情通ぶって当時のことを書いているが、しかし、これは片岡大右の考察をそのまま拝借しただけで、独自の裏取りを行っていない誤った説明である。片岡大右は『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』(集英社新書)のなかで、「はるみ」のツイートが「炎上の発端」になったとして、次のように書いている。

「自公政権と五輪開催への反対姿勢で知られ、約2万5000フォロワーを抱える有力アカウント『はるみ』によるこのツイートは、大規模に拡散された。リツイートしたなかには、毎日新聞デジタル報道センターのある記者の個人アカウントもあった。そして早くも同日19時59分には、同センターの別の記者により毎日新聞デジタルに記事が掲載される。
(片岡大右、前掲書、40頁)

 これも事実ではない。
 実際には、「はるみ」の投稿が「炎上の発端」となったわけではなく、因果関係が逆転している。

 小山田圭吾が五輪音楽を担当するとのニュースを目にした人は、まず「小山田圭吾」をネットで検索する。すると、「孤立無援のブログ」に掲載された「小山田圭吾における人間の研究」という記事がヒットする。それを読んだ人たちが驚愕してこの記事をツイッターでリツイートしてさらに広まり、炎上したのだ。
「はるみ」も小山田圭吾の名前を検索して初めて私のブログ記事を読み、いじめ発言を知ったのだろう。したがって、炎上の発端というのであれば、それは私が書いた「小山田圭吾における人間の研究」というブログ記事に他ならない。こんなことは論理法則に従えば誰でもわかる。
 そもそも、中原本は、「はるみ」の投稿には「小山田圭吾における人間の研究」のリンクが貼り付けてあったと書いているのだから(10頁)、自分でこの矛盾に気づけよと思う。

 さらに中原本は、「二〇二一年五月の時点でも、検索サイトで『小山田圭吾』と検索すれば、あの『孤立無援のブログ』が上位に掲載されていたからだ。つまり、検索すれば誰でも、雑誌で語っていた〝いじめ疑惑〟について知ることができる状況だった」(94頁)とも書いている。
 だから、私のブログが炎上の発端である。

「孤立無援のブログ」にはアクセスカウンターをつけているから、アクセス元の記録が残っている。
 当日のブログへのアクセスの52%がGoogleの検索エンジンからで、12%がYahoo!検索からのものである。つまり、これだけで全体の約6割強を占めている。そして、ツイッター経由でのアクセスはわずか8%であった。
 これはべつに不思議でも何でもない。
 2021年7月15日、「孤立無援のブログ」のアクセス数は、たった1日で30万6489アクセスであった。「はるみ」について片岡大右は、「約2万5000フォロワーを抱える有力アカウント」などと書いているが、片岡大右にだって2千人ほどのフォロワーがいるくらいだから、これで「有力アカウント」は盛りすぎである。
 また、「はるみ」の投稿について中原一歩は、「およそ半日で一万人以上のユーザーがリポストし、その日のうちに七千人以上がこの投稿に『いいね』をつける事態に発展したのだ」(8頁)などと書いているが、リポストも「いいね」も同時にする人がいるから、この数はダブっている。仮に「はるみ」に1万7千のアクセスがあったとしても、30万を超えるアクセスの「孤立無援のブログ」に遠く及ばない。
 ちなみに、「一万人以上のユーザーがリポストし」、七千人以上が「いいね」をつけた、と書いたのは毎日新聞の記事で、中原一歩は毎日新聞が誤報道をしたと書きながら、一方で、その毎日新聞の記事を断りもなくソースに使っている。
 つまり、「孤立無援のブログ」の影響力が先行し、その後にツイートで拡散されたというのが正しい因果関係である。
 このことは、大月英明の『コーネリアス炎上事件とは何だったのか』(Independently published)で、実証的に明らかにされている。大月英明の調査によれば、2021年7月14日から7月20日までの期間、「小山田圭吾」を含むツイートを行ったアカウント数は、単純リツイートを除くと6万4567アカウントであった(大月英明、同書、86頁)。
 すなわち、「はるみ」のツイートなどは、この6万以上あるアカウントの一つでしかない。それがたまたま毎日新聞の記者の目に留まり、記事で言及されたに過ぎない。

 かわいそうなのが、悪し様に書かれた「はるみ」である。
「はるみ」はただの一般ユーザーで、さほどの影響力を持つわけでもないのに、たまたま毎日新聞の記者にリツイートされたせいで狂信的な小山田圭吾ファン有志に目をつけられた。そして熾烈な攻撃を受けてアカウントを閉鎖する事態にまで追い込まれた。
 こうしたことは、私に事実確認をすれば簡単にわかることなのに、中原一歩はそれを怠り、誤った説明をしている。著者が独自に検証を行わず、他の書籍やネット上の情報を安易に信用した結果、無関係な人物を炎上の原因として指弾しているのである。
 これを、報道被害と言うのではなかったか。
 えらそうにマスメディアの責任を問うなら、まずは自分が「はるみ」に、土下座してあやまれ。

■「孤立無援のブログ」は匿名ブログか

 中原一歩は、「はるみ」というアカウントのことを匿名ユーザーと書いた後に、「孤立無援のブログ」についても、「管理人は匿名」だと書いている(9頁)。
 しかしながら、私は2004年7月7日から「電八郎」という筆名を使ってブログを運営しており、二十年間で千本を超える記事を書いている。小説家やマンガ家がペンネームを使っているのと同じである。
 これだけの実績があれば、スーパークレイジー君だって通称認定されるのだから、私だって「電八郎」の名前で選挙に出るくらいのことはできるはずだ。
 そもそも「中原一歩」がペンネームである。ペンネームで書いて、しかも経歴詐称をしている人物に、匿名を非難される筋合いはない。
 中原一歩は、書籍のもとになった「週刊文春電子版」の記事で、以下のとおり書いている。
(「「圭吾ってそんなキャラだっけ」和光学園同級生が「いじめ告白インタビュー」に抱いた〝違和感〟 検証ルポ「小山田圭吾事件」#2」、以下「検証ルポ#2」)

「コーネリアス」にも「渋谷系」にも縁のない人生を送っていた私が、この騒動を取材しようと思った理由は2つある。
 ひとつはこの事件が広まるきっかけとなった「孤立無援のブログ」というまとめサイト。このサイトを初めて目にした時から、私はこのブログの書きぶりに違和感しか抱かなかった。
 早速、私は「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」の当該誌を入手し、ブログの記述と照らし合わせてみた。すると、一見、小山田氏の当該インタビューを「引用」した風に読めるこのブログには、実は巧妙な編集が施されていることがわかった。この騒動が拡散されてゆく過程で、このサイトが世に与えた影響力は大きかった。だが、そもそもこのブログは匿名で記されており、文責が誰にあるのか分からない。文責不明のサイトがソースになって、小山田氏の印象が決定づけられてゆく現象そのものに私は違和感を覚えたのである。
(検証ルポ#2)

 私が運営している「孤立無援のブログ」は、「まとめサイト」ではない。ブログである。
 ブログとは何かというと、総務省の公式サイトの説明によれば、「自分の考えや社会的な出来事に対する意見、物事に対する論評、他のWebサイトに対する情報などを公開するためのWebサイトのこと」である。
 まとめサイトというのは、一般にキュレーションサイトのことを指すので、ブログとは別のものである。そのことはスティーブン・ローゼンバウム著『キュレーション』(プレジデント社 2011年)に書かれている。
 そもそも私がブログを始めた2004年には「まとめサイト」などなかった。日本でキュレーションサイトのサービスが始まったのは、2009年の「NAVERまとめ」からである。
 したがって、2006年に書いた「小山田圭吾における人間の研究」が、「まとめサイト」の記事であるはずがない。
 こんな当然のことを書いてきて気づいたのだが、中原一歩は本当にものを知らないようだ。おそらくキュレーションの意味すら知らない。
 知らないことは誰にでもあるので、そのことは責めない。
 なぜ調べないのか。ましてノンフィクション作家である。事実を書くのが仕事だろう。調べれば、「孤立無援のブログ」がまとめサイトではないことくらい、すぐにわかるはずだ。
 担当編集者もなぜ教えてやらないのか。
 わかったうえでわざとそう書いたのなら、完全な誹謗中傷である。私を貶めようとしているのである。
「ブログは匿名で記されており、文責が誰にあるのか分からない。」と書いているのも間違いである。たとえ匿名ブログであろうと、書いた者が責任を負うのが当然である。だから私は、発信者情報開示請求をやって匿名ツイッタラーの身元を突き止め、裁判をやっているのだ。
 当然のことながら、私の著作物に対する責任は全て私にある。匿名であることを理由に信頼性を損なうという論理は浅薄であり、むしろ、中原自身がペンネームで記事を書いていることを考えると、自己矛盾に満ちた主張である。
「孤立無援のブログ」は、個人が自らの考えや論評を公開するものであり、他の情報を単に集めて整理する「キュレーション」行為に基づくサイトではない。中原一歩は、ノンフィクション作家としての職業倫理に反し、正確な事実確認を怠っている。ブログが「まとめサイト」であると断じる前に、実際に「孤立無援のブログ」の性質や目的を調査するべきだったが、その過程が欠けている。
 また、中原一歩は「孤立無援のブログ」内の記述について「一見、小山田氏の当該インタビューを『引用』した風に読めるこのブログには、実は巧妙な編集が施されていることがわかった。」と述べているが、これも誤りである。
「小山田圭吾における人間の研究」を書くにあたって、私は『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』に掲載された小山田圭吾インタビュー記事を、著作権法に基づいて引用している。何ら問題はない。中原一歩は、「引用」に対する理解が不足しており、事実に基づかない非難を展開している。
 中原一歩の誤報によって「孤立無援のブログ」が不正確に描写され、さらには筆者個人に対する誹謗中傷が行われていることは、明確な報道被害である。
 中原一歩は当該記事を「週刊文春 電子版」で連載するだけでなく、「【音声番組】小山田圭吾「独占告白」の〝舞台裏〟」でも同様の内容を語っている。さらに、「ビジネス・インサイダー・ジャパン」の、「なぜ小山田圭吾は『週刊文春』での独占インタビューに応じたのか? 〝音楽ロッキン村〟問題を今考える」という有料配信記事でも、同様のことを語っている。

 いずれも、中原一歩がインタビュー取材を受ける形で、事実に反する内容を語り、私を誹謗中傷している。中身のない同じネタを何度も使いまわして、しかも事実誤認のヨタ話で金儲けしているのが気に食わない。
 これら配信記事の文責は誰にあるのか。
「週刊文春」の編集部か。西山里緒(編集部)と、浜田敬子(ジャーナリスト)か。事実に基づかない報道が行われた結果、ブログの信頼性や筆者個人の名誉が傷つけられたことは深刻な問題であり、えらそうにマスメディアの責任を問う前に、自らを省みよと言いたい。

■「孤立無援のブログ」が炎上騒動のソースとなったか

 中原一歩は文章が下手である。出版する場合は、文章におかしな点があれば担当編集者が「赤を入れる」のが通常であるが、それでこのレベルだから生原稿はたぶん意味不明だろう。
 中原一歩は、「孤立無援のブログ」のついて次のように書いている。

「さっそく、小山田の名前で検索すると、あるブログに辿り着いた。タイトルは『孤立無援のブログ』。管理人は匿名で、二〇〇六年から『小山田圭吾における人間の研究』と題し、小山田が過去に障がい者をいじめていたと告白している、雑誌のインタビュー記事の内容が掲載されていた。
『小山田圭吾』『いじめ』と検索すると、 一番上位に表示されるのがこのブログで、前述の匿名ユーザーが投稿にリンクを貼り付けていたのもこのブログだった。当時の雑誌記事が簡単には手に入らない以上、同ブログの内容が一連の炎上騒動のソースとなっていた。」

中原本10頁

 この文章を添削してみよう。
 まずは、「あるブログに辿り着いた」と書いているのに、次の段落では「検索すると、一番上位に表示されるのがこのブログ」と書くのはおかしい。辿り着くまでもなく、すぐにアクセスできる。
 また、「当時の雑誌記事が簡単には手に入らない」と書いているが、これも次の段落で「私は知り合いの編集者経由で、すぐに雑誌の該当部分のコピーを入手した。」と書いている。読者を笑わせようとしているのか、それとも書いた端から、自分が書いた内容を忘れてしまうのか。
 これも校正者と担当編集者の責任ともいえるが、元の原稿を修正してこの程度かも知れない。

「当時の雑誌記事が簡単には手に入らない以上、同ブログの内容が一連の炎上騒動のソースとなっていた。」(10頁)というのも意味がわからない。
 どうやら、「孤立無援のブログ」というデマブログが捏造した記事に基づいてマスコミが誤報道をしたと言いたいようだが、もちろんそんな事実はない。私は雑誌に載った小山田圭吾インタビューをきちんと引用していたし、毎日新聞を始めとするマスコミは、『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』の記事を確認したうえで報道している。
 したがって、炎上騒動のソースとなったのは、雑誌の小山田圭吾インタビューである。
「デイリー新潮」の記事によれば、東京オリンピックで小山田圭吾の炎上が起きた時、各報道機関が一斉に元記事を入手するために、大宅壮一文庫に資料請求をしたという。
(「大宅文庫」でケタ違いに検索された記事は「時の総理を追い詰めた歴史的レポート」…では、ここに来て“激減”しているのはどんな記事か?「デイリー新潮」2024年7月15日)

 マスコミはこのようにきちんと裏を取ったうえで報道している。当然である。小山田圭吾にも各報道機関は一斉に取材を申し入れている。それを拒否したのは、小山田圭吾の側である。

■毎日新聞の報道は間違っていたのか

 小山田圭吾が炎上していることを最初に報道したのは、『毎日新聞デジタル』の2021年7月15日の配信記事である。
 これについて中原一歩は、以下のとおり誤報道だと書いている。

「手に入れた過去の雑誌のインタビューを精読してみたが、『長年にわたって同級生をいじめていた』、『小学校から高校で障がい者をいじめていた』という記述はどこにもない。『クイック・ジャパン』で小山田は小学生時代にはいじめをしていたが、中学生・高校生ではしていないと語っている。『同級生をいじめた』と『長年にわたって同級生をいじめていた』では、常習性のあるなしを含め、読者の印象は大きく異なるだろう。」

中原本16頁

 本当に精読したのかね?
 中原一歩は、「『クイック・ジャパン』で小山田は小学生時代にはいじめをしていたが、中学生・高校生ではしていないと語っている」と書いている。しかし、『ロッキング・オン・ジャパン』(1994年1月号)では、中学時代の話として次のように語っている。

「あとやっぱうちはいじめがほんとすごかったなあ」
●でも、いじめた方だって言ってたじゃん。
「うん、いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドいことをしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)。だって、けっこうほんとキツいことしてたよ」

『ロッキング・オン・ジャパン』30頁

 なぜこれが中学時代の話だとわかるかと言えば、このインタビューは小山田圭吾の生い立ちを時系列に沿って聞いていて、和光中学での小沢健二との出会いを語った後に、この発言となるからだ。
 いじめ話の直前には、中学時代に総額で百万円近い万引きをしたと以下のとおり自慢している。

「よく僕は学年総会とかで小沢に怒られたりしたんだよ(笑)」
●何で同級生に怒られんだよ。
「いや、怒られるっていうか、小沢は議長席に全校生徒の前でこうやって座っててさ、それで○○事件とかいうのが起きて、その当事者として僕はみんなの前にこうやって座っててさ。それで「□□君どうですか?」って言われて「もうこれからはしません」とかってマイクで言ってさ(笑)」
●(爆笑)情けねぇー
「ははははは。でもそういうのなかった?」
●いや、あったあった(笑)。
「なんか万引きが発覚してさ、先生が「何が何日」にどこどこで万引きして」とか言ってさ。調布のヘンなショッピングセンターみたいな超万引き場所みたいなのがあってさ。で、最初はくだらないもん盗んでたんだけどだんだんエスカレートしいて、一人デッカいカーステ盗んだやつが居てさ(笑)」
●見つかるに決まってんじゃん(笑)。
「盗んだ時は見つかんなかったの。それで便所に行ってもう箱が邪魔だからトイレの外にポーンって捨てたら、トイレの外に落ちたのが見つかって(笑)。僕はそん時には居なかったんだけど、捕まってそいつが全部白状しちゃって。で、そこまでやってたのがもう半端じゃない金額になってて、マジで100万円近くになっちゃってて」
●ああいうのってエスカレートすんだよね。
「そうそうそう! 1コうまく行くともうガンガン行くじゃん(笑)。それで小沢に怒られて」
●別に小沢に怒られたわけじゃないじゃん。
「いやいや、小沢に怒られたわけじゃないんだけど、あそこでいちばん偉いのは小沢だから、何か小沢に怒られた気分になるんだよ(笑)」

『ロッキング・オン・ジャパン』1994年1月号、29頁

 このように、元雑誌のインタビュー記事によれば、小山田圭吾が小学校と中学校でいじめをしていたと発言していることは確認できる。高校時代のいじめについては後述するが、『毎日新聞デジタル』が、「長年にわたって同級生をいじめていた」と報道するだけの根拠が、小山田のインタビュー記事から読み取れる。
 したがって、誤報でない。
 さらに中原一歩は、次のように書いている。

「この場を借りて謝ります(笑)」という記述に至っては、もともと「ロッキング・ オン・ジャパン」に記載されている発言を、「クイック・ジャパン」が引用したものである。この場合、普通は出典を「ロッキング・オン・ジャパン」と明記すべきである。「毎日新聞デジタル」の記事の写真には「クイック・ジャパン」しか写っておらず、「ロッキング・オン・ジャパン」はない。炎上が起こってからすぐに記事を書いたため、原典に当たれたのが、片一方の雑誌だけだったのかもしれない。(16頁)

 本当に精読したのかね?
 前記の引用文にあるとおり、『ロッキング・ オン・ジャパン』に記載されている小山田の発言は、「この場を借りてお詫びします(笑)」である。「この場を借りて謝ります(笑)」という記述は、「クイック・ジャパン」にしか存在しない。中原一歩の指摘とは逆である。
 その箇所を『クイック・ジャパン』から引用しよう。

「小山田圭吾といえば、数年前にアニエスb.を着て日本一裕福そうなポップスを演っていた、あのグループの一員だ。ソロになった今でも彼の音楽は裕福そうだが、そんな彼は私立小・中学時代いじめる側だったらしい。ヤバい目つきの人だなあとは思っていたが。
『全裸にしてグルグル巻きにしてオナニーさせて、バックドロップしたり』とか発言してる。それも結構笑いながら。
 僕も私立中学・高校とエスカレーターで通っていたので、他人事とは思えなかった。僕の当時の友人にはやはりいじめ加害者や傍観者が多いが、盆や正月に会うと、いじめ談義は格好の酒の肴だ。盛り上がる。私立って、独特の歪み方をする。
 小山田さんは、『今考えるとほんとヒドかった。この場を借りて謝ります(笑)』とも言っている。

『クイック・ジャパン』3号 53頁

 上記の通り、「この場を借りて謝ります(笑)」との記述があるし、「それも結構笑いながら」という描写もある。このインタビュー記事をソースとして、『毎日新聞デジタル』は、次のように報道した。

「クイック・ジャパンの記事には『この場を借りて謝ります(笑)』との記述もあるが、笑いながら語ったと描写されている。」
(毎日新聞デジタル、2021年7月15日)

 この記事を書いたのは山下智恵記者だが、じつに正しく報道している。やはり大手新聞の記者はさすがだ。自称ノンフィクション作家のような事実に基づかないデタラメは書かない。
 それなのに、誤った報道をしたなどいうデマを流されて、かわいそうでならない。
 これこそ冤罪である。
 元雑誌の記述さえ確認せず、思い込みやネット上の情報を安易に信用した結果、無関係な人物を炎上の原因として指弾しているのである。
 えらそうにマスメディアの責任を問うなら、まずは自分が山下智恵記者に、土下座してあやまれ。
 そもそも中原一歩はなぜこのような間違いを犯したのか。それは、狂信的な小山田圭吾ファン有志のデマを信じたからである。


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電八郎
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