偽武蔵

○街道(夕暮れ)
N「江戸時代初期。泰平の世になったとはいえ、まだまだ地方の山々には山賊や野武士が潜んでおり、治安が行き届いているとは言い難かった」
二刀を差した30がらみの男が歩いている。髪はぼさぼさ、髭は伸び放題。着物も薄汚れ、下駄もぼろぼろである。
絹を裂くような女の悲鳴「いやあーっ!」
立ち止まり、声のした方を見る男。
林の木々の間を縫うようにして逃げる女と、追う男の姿がちらりと見える。
男、無視して再度歩きだそうとするが、足を止め、ぼりぼりと頭をかきむしると、自分も林の中に分け入って行く。

○林の中
娘、大木を背に追いつめられている。野盗、獣欲に満ちた笑みを浮かべながらじりじりと娘に歩み寄る。
身を翻して逃げようとする娘。その袖を野盗の手がつかむ。地面に倒れる娘。野盗がその上にのしかかる。
娘「……!(目を閉じる)」
と、急に野盗がぐんにゃりとなって娘の体の上に倒れ込む。
娘が目を開けると--鞘ごと抜いた刀を肩に担いだ男が立っている。野盗は頭を殴られて昏倒している。
男「大丈夫かい、娘さん」
娘、上体を起こしながら衣服の乱れを直し、
娘「あ、ありがとうございます。あの、あなた様は……」
男「俺か?俺は--」
と、鉄砲の音が響き、男のすぐ後ろの木の幹に穴が空く。
男「誰だ!」
周囲を見回す男。いつの間にか、10人ほどの野盗に遠巻きに囲まれている。
男「(M)やべえ、10人はいるぞ……しかもこちらは女連れ……」
ちらりと娘の方を見る男。娘、すがるような目で男を見る。
じりじりと近づいて来る野盗たち。
男「(M)今さら謝っても許しちゃもらえねえだろうし……ええい、ままよ!」
男、肩に担いでいた太刀の鞘を抜き払い、同時に脇差しも抜き、翼を広げるような姿勢で両刀を構える。
男「そこな野盗ども!儂を新免宮本武蔵と知っての狼藉か!」
驚く娘。野盗どもの方からもどよめきが伝わってくる。
男「貴様らなど斬っても刀の錆となるばかりだが、どうしてもと言うのなら是非もない。二天一流、冥土の土産によく見ておけ!」
男の額から冷や汗がだらだらと滴る。
男と野盗たち、しばしにらみ合うが--逃げて行く野盗たち。
野盗の姿が消えたのを確認して、その場にへたりこむ男。
男「(つぶやく)助かった……」
と、娘がすがりついてくる。
娘「武蔵さま!」
男、慌てて
男「いや、俺は……」
娘「宮本武蔵さま、お助けください!私の村はあの野盗どもに荒らされてひどい目に遭っているのです!是非とも武蔵さまのお力で、我々をお救いくださいませ!」
男「(狼狽して)いや、だから、俺は……」
何か言おうとした男の目が、すがりついてきた娘の瞳に吸い寄せられる。
男「(つぶやく)マブい……」
娘「(怪訝そうに)え?」
男「い、いや……とにかくもう陽も暮れる。とりあえず、村まで案内いたせ」
娘、ぱっと明るい顔になって
娘「はい!」
立ち上がって歩き出す二人。
男「そういえば、そなたの名は?」
娘「はい……志乃と申します」
頬をかすかに赤らめる志乃。

○村全景(夜)
20戸ほどの小さな農村である。
その真ん中にある、もっとも大きな家=庄屋の家にだけ明かりが点っている。

○庄屋の家の中
村人が集まって宴会をしている。その中心にいるのは、もちろん男=偽武蔵である。
偽武蔵「(M)やべえよ……俺、何やってんだろう……」
と、庄屋が近づいてきて、
庄屋「いや、天下の名人、宮本武蔵さまにいらしていただければ、野盗どもなど何人いようと、怖くありませんだ」
偽武蔵「そ、そのことだがな。実は……」
と、志乃が徳利を手に近づいてきて、
志乃「ささ、武蔵さま、お一つ」
志乃の酌を受けながら
偽武蔵「(M)まさか、今さら『あれはハッタリでした』とも言えねえしな……」
庄屋「野盗どもは30人ばかりおるようですが、何、あんなごろつきども、武蔵さまの手にかかれば、100人か200人だろうがイチコロですだ」
偽武蔵「う、うむ。まかせておけい……(M)と、とにかくこいつらが全員酔い潰れるのを待って、こっそり逃げ出すしかないな……」
と、戸を叩く音。
声「夜分相済まぬ。この村に武蔵どのが御逗留と聞いて参った。拙者、柳生十兵衛三厳と申す者。武蔵殿に是非お目もじしたい」
慌てて戸を開ける村人。片目に眼帯をした旅装の男、柳生十兵衛が立っている。
   X     X     X
偽武蔵と十兵衛を囲み、盛り上がっている村人たち。
庄屋「(十兵衛に酌をしながら)いやいや、天下の剣豪が二人も揃っておる村を襲おうとは、これは野盗どもも災難じゃわいなあ」
偽武蔵、ちらちらと十兵衛の方を盗み見しながら、
偽武蔵「(M)やべえよ……柳生十兵衛くらいにもなりゃあ、俺がニセモノだってことくらい、一目でわかっちまうはず……なんとかこの場を逃げ出さないと……」
と、背後から囁く声。
十兵衛「本物の武蔵は、もうすっかりジジイだよ」
びくっとして振り向く偽武蔵。背後にいつの間にか十兵衛が座ってニヤニヤしている。
十兵衛、思わず逃げ出そうとする偽武蔵の首筋を捕まえ、
十兵衛「安心しな。俺もニセモノなんだよ」
と、一瞬だけ(偽武蔵だけに見えるように)眼帯を上げて見せる。
眼帯の下には、目がある。
偽武蔵「(小声で。以下の会話、全て小声で)どういうことだ?」
十兵衛「天下の柳生十兵衛のフリをしてりゃあ、とりあえず食いっぱぐれはねえからな。お前さんも似たようなもんだろ?」
偽武蔵「いや、俺……拙者は……」
十兵衛「隠すなって。それより、いい儲け話があるんだが、一口乗らねえか?」
偽武蔵「え?」
十兵衛「この村を、野盗どもに売っ払うんだよ」
邪悪な笑みを浮かべる十兵衛の姿に、愕然とする偽武蔵。

○村はずれ(夜)
十兵衛と偽武蔵が密談している。
十兵衛「いいか。俺たちゃ所詮ニセモノだ。30人からいる野盗どもに敵うはずもねえ。それだったら、この村を丸ごと野盗に売って、いくばくかの銭にありついた方が得ってもんじゃねえか」
偽武蔵「売るったって、どうやって……」
十兵衛「何、簡単よ。村の奴らは、俺達がいるから勝てると思って、野盗と闘う気になってやがる。ところがその俺達が、実はニセモノだったとなりゃあ、たちまち戦意喪失して降伏するに決まってらあな」
偽武蔵「しかし……」
十兵衛「(下卑た笑みを浮かべて)ははあん。あの娘だな。確か志乃とか言ったか……何も褒美は、銭と決まった訳じゃあねえんだぜ」
偽武蔵「どういうことだ?」
十兵衛「おめえは、あの志乃とか言う娘を貰やあいいんだ。俺は銭を貰う。よし、これで決まりだな。じゃあ、俺は野盗のところへ行って交渉してくらあ」
偽武蔵が引き留める暇もなく、闇の中へ消えて行く十兵衛。
ため息をつく偽武蔵。と、その背後から
志乃の声「……武蔵さま?どうかなさいました?」
飛びあがらんばかりに驚く偽武蔵。
偽武蔵「(M)やばい、聞かれた?」
慌てるが、志乃の様子が普通なのを見てほっとする偽武蔵。
志乃「今走って行かれたのは、十兵衛さまですか?」
偽武蔵「う、うむ。野盗どもの様子を探りに行かれた」
志乃「(無邪気に)そうでございましたか。何しろ武蔵さまと十兵衛さまが揃っておられるのですから、野盗が何人来ようとも、怖くはありませんわ」
偽武蔵「……う、うむ。任せておけ」
急にうつむく志乃。
偽武蔵「ど、どうした?」
志乃「武蔵さまや十兵衛さまのようなお方に守っていただけると言うのに、私どもの村は貧しくて、ろくなお礼どころか、おもてなしもできずに……」
偽武蔵「い、いや。これも修行の一環じゃ。お気になさらぬよう……」
と、偽武蔵にしがみつく志乃。
志乃「ごめんなさい!私どもなんかのために……」
硬直している偽武蔵。ぎこちなく志乃の背中に手をまわす。
志乃「私には、こんなことしか……」
目を閉じて顔を上向ける志乃。偽武蔵の唇が、ぎこちなく志乃の唇に触れようとした、まさにその時、
見張りの声「野盗だあ!野盗の襲撃だぞお!」
半鐘の音に、はっと我に返る二人。

○村の境界
柵を挟んで、50人ほどの村人たちと、30人ほどの野盗どもが睨み合っている。両者とも手にはたいまつ。野盗の何人かは馬に乗っている。村人たちの手にはクワや竹槍。
村人たちの先頭には、庄屋と偽武蔵。志乃は後ろの方で見守っている。
庄屋「野盗ども、あきらめて引き揚げろ!こちらには、宮本武蔵さまと柳生十兵衛さまがついていらっしゃるんだ!」
十兵衛の声「……そいつあどうかな」
野盗の間から進み出て来たのは--十兵衛。
動揺する村人たち。
庄屋「こ、これはいったいどういうことですか、十兵衛さま!」
十兵衛、鼻先でせせら笑って
十兵衛「こういうことよ」
と、眼帯を投げ捨てる。
眼帯の下の目玉が、たいまつの明かりを反射してぎらぎらと光る。
庄屋「そ、そんな……それじゃ……」
十兵衛「ニセモノなのは俺だけじゃあないぜ。そこの(と偽武蔵を指さし)宮本武蔵さんもニセモノよ」
ショックを受けてがっくりとひざまづく庄屋。
志乃の声「嘘よ!そんなの嘘!」
偽武蔵、志乃の方を振り向く。
志乃「武蔵さま!あなただけは本物でしょう?私たちを……守ってくださるんでしょう?」
偽武蔵を見つめる志乃。偽武蔵、唇を噛んでうつむく。
十兵衛「さあて、と……抵抗が無駄だと言うことはわかっていただけたかな?なあに、おとなしく家財一式と年頃の女どもを差し出せば、命まで取ろうとは言わん」
ぽとぽとと武器を捨てる村人たち。
十兵衛、偽武蔵に歩み寄り、
十兵衛「おい、早くこっちに来いよ。あの、志乃とか言う娘は、ちゃんとお前にくれてやるぞ」
はっとして志乃の方を見る偽武蔵。志乃、呆然としてへたりこみ、涙を流しながら--それでも偽武蔵を見つめている。
十兵衛、偽武蔵野前に立ち、
十兵衛「どうした?偽武蔵」
偽武蔵、うつむいて唇を噛みしめ、
偽武蔵「(つぶやく)俺は--だ」
十兵衛「え?」
偽武蔵「俺は新免宮本武蔵だ!」
十兵衛に抜きつける偽武蔵!
十兵衛、驚いたような顔で倒れる。
ざわめく野盗、そして村人たち。が、偽武蔵はそれには構わず
偽武蔵「おおおおおっ!」
肩に太刀をかついで、野盗の群れに突進していく!
   X     X     X
野盗「こいつなかなか遣うぞ!」
野盗「所詮偽者だ。やっちまえ!」
野盗の群れと斬り結ぶ偽武蔵。一人斬り、二人斬りながら
偽武蔵「(M)武蔵のような剣士になるっつって、生まれ故郷の村を飛び出したのは、15の時だったなあ。結局、大して強くはなれなかった……まあ、俺にはふさわしい死に場所かもしれねえな」
三人目を斬ったところで、がっくりと膝をつく偽武蔵。
と、そこに騎馬の野盗が突っ込みながら、槍を繰り出してくる!
偽武蔵「(M)だめだ!」
目を閉じる偽武蔵。
が、槍の穂先は偽武蔵に届く前に切断されている。
十兵衛の声「……なかなかやるじゃねえか。見直したぜ、宮本武蔵」
驚いて目を開ける偽武蔵。
目の前に立っているのは、十兵衛である。
偽武蔵「柳生……十兵衛?」
十兵衛の着衣は、先の偽武蔵の抜きつけで切れてはいるが--切れているのは着衣のみである。
騎馬の野盗「ふざけるなっ!」
馬首を返し、二人を馬蹄にかけようと突撃してくる騎馬の野盗。
十兵衛の一閃!
騎馬の野盗、馬もろともに一撃で両断される!
志乃の声「危ない!鉄砲です!」
離れたところから鉄砲で二人を狙う野盗の姿。
十兵衛、咄嗟に片目をくり抜いて投げる。
ガラスの割れるような音がして、倒れる狙撃手。
十兵衛「……あーあ。長崎でしか手に入らねえ、ぎゃまんの義眼だ。高かったんだぜえ」
にやりと笑う十兵衛。その片方の眼窩は空洞である。
野盗「ほ、本物の柳生十兵衛だあっ!」
算を乱して逃げ出す野盗ども。
十兵衛、刀を鞘に納め、偽武蔵を助け起こす。
偽武蔵「……本物なら最初から助けてくれよ」
十兵衛「それじゃあ面白くねえだろう。それに、宮本武蔵殿の太刀筋も拝見しちたかったしな」
偽武蔵「勘弁してくれよ……」
と、偽武蔵に飛びついてくる影。
志乃「武蔵さまっ!」
偽武蔵、志乃を抱き留めながら、
偽武蔵「お、おい、俺は……」
何か言おうとするが、泣きじゃくる志乃の姿を見て口をつぐむ。
にやにや笑ってそれを見ている十兵衛。

○街道(昼間)
十兵衛が歩いている。
偽武蔵の声「待ってくれえ」
振り向く十兵衛。と、後から追ってくる偽武蔵。
偽武蔵、十兵衛に追いつくなり土下座して、
偽武蔵「あんたの弟子にしてくれ」
十兵衛「(驚いた様子で)おいおい。お志乃ちゃんをほったらかしておいていいのか?」
偽武蔵「(真剣に)構わねえ。俺は、もう一度、本当に強くなりてえんだ」
十兵衛、きなくさい顔で、頬をぽりぽりとかいて
十兵衛「……まあ、いいか」
偽武蔵「有り難え!」
並んで歩き出す二人。十兵衛、ふと思い出したように
十兵衛「ところで、お前の名は?」
偽武蔵「俺の名は--」
N「柳生十兵衛三厳の門人帖の中には十数人の名が記されている。だが、その中の一つが、この男のものであったかどうかは、定かではない」
(完)

いいなと思ったら応援しよう!