見出し画像

自閉症息子13歳巣立ちの時

自閉症育児には終わりがないと思っていたのにその時期はやってきた。いや、終わりというには少し大げさかもしれない。長い休息期間が来たと思うことにしよう。

それは、突然というよりも何年も前から少しずつ準備を重ねて、そして本人のベストなタイミングで時期がやってきたといった方がいいかもしれない。

いよいよ、彼はデンマークでBørn og unge hjem, または botilbud と呼ばれている日本で言うところのグループホームのような入居施設に入る運びとなったのだ。

そこには彼のようなニ次障害を持つ自閉症をはじめとし、統一性障害や不安症、自傷行為を重ねる子供たちなど、なんらかの精神に支障を持ち学校に行けなくなった子ども達が親元を離れて、施設内で専門の職員たちと一緒に暮らし、施設内の特別支援学校に通っている。

彼は8歳で自閉症の診断を受け不登校になったので、足掛け5年間、私が家で自閉症育児を続けていたことになる。前述してきたように、この5年の間に彼は最初の普通学校も含めると4つの違う学校に在籍したことになる。ほぼ1年に1回の転校だ。そのうち学校に通えることが出来ていた期間は、合算しても通常の学校教育の1か月になるかならないかというくらいである。

ここでまた少し、デンマークでの特別支援学校や療育施設などの社会福祉制度について説明してみようと思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

デンマークでは、特別支援が必要な子供は、まず学校内の臨床心理士との面談、病院での診断を経て、月に2回のVisitation møde と呼ばれるコミューン内での評議会にかけられる。

その評議会では、コミューン内に住む支援が必要な沢山の子供たちに対して、今までの膨大な学校からの記録や病歴資料、またソーシャルワーカーによる面談記録などをもとに、どの子供にどの支援を提供するかを決定している。

社会福祉制度の一貫として、限られた行政のバジェットで、一番必要な子に一番必要な支援を届けるためのシステムだ。

そのため、その投資(コミューンが出す費用)に見合った時間数の通学や、その期間に期待されていた成長が出来ていなかったり、またはその子にあった施設ではないと判断された場合は、容赦なくその支援は打ち切られてしまう。

昨今の不登校児の数はデンマークでも勢いを増して増えており、どこのコミューンでも特別学校や療育施設の待機児でいっぱいである。

限られた施設数を効率良く循環していくという理由からも、日本のように不登校児が何年も通わずに同じ学校に在籍したままということはほぼ有り得ない。その子が通えないのなら、その枠に違う子が通えるかもしれないからだ。

そして、学校や施設が決まった場合は、今度は半年に一度の子供と施設との面談がなされ、支援がうまく行って子供に思うような成果がみられた場合も、そこでその高額の支援は打ち切られ、その一つ下のランク(コミューンの出費のランク)に戻されることも多い。

息子の例で言えば、施設に数年住んで、学校に通えるようにもなり、本人の成長目標に達した場合(これも両親を交えて、コミューンと施設のソーシャルワーカーによって半年ごとに決められ評価される)また家に戻って来て、コミューン内の特別支援学校に家から通うということも起こり得る。

もしくは、施設の評価で、息子の成長発達に必要と判断された場合は、そのまま18歳まで半年ごとの更新で居続ける可能性もある。

18歳になるとまた違う大人の法律の適用になるので、その先も同じように評価を受けながら必要な支援を受けることとになる。

デンマークで支援を受ける子供たちは、長期の待機期間中に症状が悪くなったり、悪い言葉で言えばコミューンの経済状況によりあちこちの学校や施設にたらい回しにさせられたりという、全てが無料であるが故の社会福祉制度のデメリットに悩まされることも多い。

そして、それにたいして親は不満不服の訴えを起こし、今度はその親とコミューンの間に入って判断を下すAnkestyrelsen という行政期間も存在しており、そういう面ではセーフティネットワークに守られているとも言えるかもしれない。

しかしながら、多くの特別支援を必要とする子供を抱える家庭では、常に不安定な状況を強いられることも多く、社会問題となっている。

デンマークでは良く「子どもは国からの一時的な借り物」という言葉が聞かれる。まさにその通りで、借りている間に親は、子供が社会で自立して、国に税金を納められる大人になれるよう、国と力を合わせて可能な限り最大限の支援を行っていくのだ。
ーーーーーーーーーーーー

話しをもとに戻すと、上記の理由により、我が家は結果として、4回の転校を余儀なくされてしまったのだった。そして、今彼は5回目の転校を迎えることになる。

施設に入居する話しは、遡れば去年の夏頃より、現在の彼のコンサルタントから時々出ていた。

彼女はsocial pædagog と呼ばれる大人も子供も対象とした特別支援専門資格を持っていて、自閉症入居施設で何年も働いていた経歴がある。

その彼女が、外向的な我が家の息子にはそういったグループホームが向いているのではないかと提案してくれたのがことの始まりだ。

その頃の息子は、特に家で癇癪を起こして暴れたりメルトダウンを起こすと何時間も続くことが頻繁で、コンサルタントの訪問さえも拒否したりと私たち夫婦はほとほとに疲れきっていた。

この子が施設に入ってくれたらどんなに楽だろうかと、私は罪悪感と涙とともに考えたことも1度や2度ではない。

でも、幸いなことにこの1年の間に息子はコンサルタントの訪問支援を受け、また服用しはじめた精神病薬の効果もあって、飛躍的に大きく成長した。

今まではメルトダウンを起こしたら、その日1日を棒に振らなければならないことが多かった。ところが、この1年で彼は成長を見せてくれて、メルトダウンを起こした原因となる出来事に対し、後で話し合いが持てるようになってきたのだ。そして、その持続時間も長くて30分くらいとなってきた。

その時期を待っていたかのように、この6月に彼は住み慣れた家を離れて、入居施設に住むこととなったのだ。

私たちの心の中は言葉では説明しがたい様々な気持ちが入り乱れていた。

彼の行動に振り回される毎日、前もって次の段取りを常に考えておかなければいけない日々、息子を優先に日常が進んでいく日々から解放され、彼が専門職員のもとで暮らすことが出来るという安心感、それと同時に、私たち以外の大人が彼のニーズを満たしてお世話してくれるという違和感のような複雑な気持ち、果たして自分たちは親としての役割りを果たしきれたのだろうかという罪悪感にも似た気持ち、そして何よりも息子の存在が家からなくなってしまうことへの大きな喪失感と寂しさ。

そんな気持ちを彼も知ってか知らぬか、施設入居決定の通知がコミューンから告げられる前日に、奇跡的に「お母ちゃんは僕に出来ることは今までに全部やってくれたから僕は施設に入って生活するよ」と言い出したのだ。

そして、自分で決めたその言葉の通り、とっても幸いなことに、息子は私達の予想を遥かに上回って、施設の新しい部屋をとても気に入り、新しい施設で新しい大人や周りのこどもに囲まれて楽しく過ごさせてもらっている。

新しい施設には沢山の動物(ヤギ、ヒツジ、ポニー、ウサギ、ニワトリ)が住んでいる大きなお庭があり、建物の中にはネコが歩き回り、動物好きの息子はとても喜んでいる。

また、施設内の設備も充実していて、音楽ルームやフィットネスジムもあり、専門の職員も働いていて、彼の興味の範囲を掻き立ててくれているようでありがたい。

これからしばらくは、私達夫婦2人の新しい形、そして息子の新しい生活、それに加えて、3人での新しい家族の形を作って行くことになる。

今のところ、週末に訪ねて行くと楽しそうな様子を色々と教えてくれて、彼がすでに一回り大きくなったかのように感じている。そして、これからは、家に週末時々家に帰って来て、また施設に戻るという練習を始めて行くことになる。

これからも沢山の試練はあると思う。それでも、彼が今まで家の外で経験することが出来なかった楽しい経験や難しい課題、色んなことを乗り越えて、自分の障害を受け入れ付き合っていける術を今ここで学んでいけることを心から願っている。

そして、彼に関わって来てくれた、またこれから先も関わってくれる周りの方々に心から感謝している。

世界中の全ての子ども達が、社会の中で自分の居場所を見つけて、どんな障害があろうとも自分の存在を肯定出来る社会になっていきますように…

いいなと思ったら応援しよう!