ルブリン合同
ポーランドとリトアニアを繋ぐ電子ポータルがあると云うネタがあった。
設置されているのは、ポーランドのルブリンと、リトアニアのヴィリニュス。
ポーランド語とリトアニア語で、意思疎通は可能なのか?
ポーランドとリトアニアは、友好国の様である。
かって、両国で、君主制の共和国を結成していた。
ポーランド・リトアニア共和国である。
ポーランドは王国、リトアニアは大公国である。
そこはそれ、アブダビもドバイもアミールだかスルタンだかいる君主国だけれども、アラブ首長国連邦には大統領いるやろ。
まあ、議会があって、選挙王制だったらしい。
議会と云っても、身分制議会。貴族の合議である。
議会と云っても国会議事堂を想像するのではなく、大河ドラマで戦国武将の前に家臣団が居並んで軍議とかしているのとかあるやろ。家臣は、自身が小領主でもある。あれが「議会」と呼べるかどうかは別として、あんなものだろう。
ポーランド・リトアニア共和国は、大きなポーランドに、小さなリトアニアが呑みこまれた様な感じである。
だが、当時のリトアニアは、モスクワ大公国からの圧力を受けており、救済合併だったらしい。
リトアニアもポーランドも、親日国だと云われている。
リトアニアは、杉原千畝の行動が大きいだろう。
ポーランドとは、ロシアとの対立に際して、独立前からの友好関係があった。
ポーランドのピウスツキ兄弟が、日本との関わりを持っている。
当時のポーランドは、ポーランド分割により国を失っていた。ピウスツキ兄弟はロシア領側で生まれ、反ロシア運動で捕まる。
兄のピウスツキはシベリア送り。
現地の原住民研究から、樺太アイヌの女性と結婚。アイヌ語の研究者として名を残している。
その子孫は、日本国内で暮らしている。
弟のピウスツキは脱獄し、独立運動を指導。日露戦争中に来日し、支援を請うたと云う。
後、旧ドイツ領と旧ロシア領から旧領を復し、ポーランド共和国が成立。ピウスツキは国家元首となり、建国の父とされる。
この頃のポーランドは、第二共和国とされる。第一共和国は、前述の君主制の共和国。第三共和国は、現在の共和国。第二共和国と第三共和国の間には、ナチスドイツとソ連による分割占領時代と、人民共和国時代がある。
第二共和国の成立に際しては、日本はいち早く国家承認をしている。
一方、シベリアでは、ロシア領時代にシベリア送りとなった多くのポーランド人がいた。
親が斃れ、孤児となったポーランド人の子供たちも大勢いた。
せめて、子供たちだけでも本国に帰したいとウラジオストックで運動が起きたが、欧米各国は耳を貸さなかった。
そんな中、シベリア出兵中の我らが帝国軍が呼応し、ポーランド孤児を救出し、日本に連れ帰った。
日本国内での療養中、貞明皇后も慰問したと云う。
療養後、独立を果たしたばかりの祖国ポーランドに、送り届けた。
TBSの加藤シルビアアナウンサーは、ポーランド人とのハーフ。
局内、またはバラエティ番組等でポーランド・モードになるときは、フラスンケビッチを名乗る。
母方の旧姓なのだそうだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?