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[奇談綴り]後ろを歩くもの

昔勤めていた会社での話である。

ある時、社長さんが亡くなった。
そこにオカルト要素は全く無い。不運な病気にかかった、というだけだ。
とはいえ突然の話であり、会社は混迷を極めた。
社長さんは元々長期の休みを取る予定で、様々に準備していたことは幸いだったが、だからといって物事がスムーズに動くわけではない。
私がひとり残業をしていたのも、その混迷ゆえだった。
なにせ納期は待ってくれないのだ。

お客様とて鬼ではない。
非常事態にあたってできる限りの配慮はしてくれた。ただ先方にも都合がある。

空調を切り、自分の机の周囲だけ蛍光灯を残した社内で、一人ため息をつく。
いつもなら数人残業をしているはずの時間だが、怖いから、と言って他には誰も残っていない。
さすがに深夜まで残るつもりはなかったが、シンとした中で作業を続けた。

ふと、集中力がとぎれた。
休憩の頃合いかな、と画面から目を離し、冷めきったコーヒーをひとくち飲む。

その時、ふーっと背後の空気が動いた。
空調かな、でも切ってるよなあ、と思ったところで、今度は逆からふーっと動く。
気のせいではない。
背後に謎の空気の流れがある。

まるで、前社長が社員を見回っていた時のように。

普通は怖がるのだろうが、その時の私は激務とショックとで、感覚が麻痺していた。
コーヒーを置いて仕事に戻る。

ふーっ。……ふーっ。

背後では2分ぐらいの間隔で空気が動いている。
聞き耳を立ててみたがやはり空調は切ってあり、ドアも窓も閉まっているこの状態で部分的に空気が動くことはありえない。

突然ものすごく腹が立ってきた。
後ろの何かが前社長かどうかは分からないが、この非常時に邪魔をするなど、言語道断だ。

怒りのままに下っ腹に力を込めて、脳内で「誰か知らんが邪魔!うるさいからやめろ!」と叫ぶ。
腹を立てたことで集中力も戻った。
カンカンに怒りながら作業をして、目処がついた頃にはおかしな空気の流れは絶えていた。

怒りが収まると、途端に恐ろしくなったので、慌てて帰り支度をして会社を飛び出した。
そういえば、まだ初七日は過ぎていなかったな、と帰りの電車で思い出した。

納品はちゃんと間に合った。
皆が元のように残業するようになったのは、四十九日が過ぎた頃だった。


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