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[奇談綴り]国道4号線にまつわる話

【注意】人が亡くなっている事故の話になりますので、苦手な方は読まないでください。

最近読んだ「奥羽怪談」に、青森県の話として国道4号線(現在は旧国道)の話が載っていた。
具体的な恐ろしい何かがあったというよりは、事故に誘われた、と言う話である。
4号線は生活道路であったことも影響してか、昔からとんでもなく事故が多いのだけれど、その中のいくつかは怪異が原因なのではないか、という話。

であれば、その怪異は道路の特定の場所にいるのか、それとも周辺を巡っているのか…?
もし「誘われた」として、それはどの時点から関係しているのだろう。

まもなくお盆というこのタイミングで怪談が出版されたのも、それを読んで思い出したのもなにかの縁。
地元では話題にする人も稀になっているだろう昔の話ではあるが、同級生が巻き込まれた事故の話を書いておきたいと思う。

あの夏。
私は高校生で、ある試験を受けるためにクラスの数人と3泊ほどの日程で他県に滞在していた。
そして試験の最終日、沈痛な面持ちの担任から、地元で高校生3人が事故で亡くなり、そのうち2人は同級生であることを知らされた。
私の通っていた私立高校はスクールバスで県内全体から学生をかき集めていたうえに専門が分かれており、同級生といえども面識も接触もない学生が多数なのだが、それでも悲鳴があがった。

私は声も上げられないほど呆然としていた。
なぜなら亡くなったのは地元の人間3人であり、親しくはなかったが話したこともあるし、1人は同じ保育園に通っていて、別の1人は中学時代には同じ部活だったから。残りの1人も当然同じ中学校出身で。

本当は観光をして帰ろうという話だったのだが、事故とはいえ同じ学校から2人、近隣の公立高校から1人亡くなったとあっては緊急事態である。
慌てて全員帰宅することになった。

新聞やニュースで報道された事故の概要はこうだ。
“大雨の中、高校生3人が国道4号線の中央分離帯を超えて対向車の大型トラックに衝突し、炎上。乗車していた3人が亡くなった。”

全校集会でもほぼ同じ話が繰り返され、学校は悲しみにつつまれた。
当然しばらくは事故の話で持ちきりになるが、葬儀に出かけた親や地元の同級生からは一回り詳しく、かつ胸が痛くなるような話が聞こえてきた。

彼らは夏祭りのあとの振る舞いで酒を飲み、周囲が止めるのを振り切って、豪雨の中を出かけていって事故を起こしたらしい。
しかも、その様子からこれはヤバいと判断したシラフの数人が車で後を追っていたのだとか。
それでも、これほどの悲劇は想像していなかっただろう。

彼らはノーブレーキで中央分離帯を超えて、大型トラックのなかでも特大サイズの車体に正面から突っ込み、道路脇に弾き飛ばされ、そこで炎上した。
豪雨のためにスピードを出せず引き離され、少し遅れて現場に着いた後続グループが見たものは、燃え盛る同級生の車だった。
彼らに出来たのは、警察と消防に連絡することだけだった。
トラックの運転手が軽症だったことが、この悲劇の中のたったひとつの救いとなった。

後を追った車が居たことは公式には発表されていない。
夏祭りの振る舞いに参加していた同級生が、悲痛な表情で語ってくれた事だ。

ここで先の怪談に立ち戻る。
その話は、場所は多少違うが、まさにその旧4号線での出来事だった。
「いつのまにか判断がつけられないような状態になっていて、普通に走っているつもりがとんでもない速度で、車線もあまり気にしなくなり、大きな事故を起こすところだった」というものだ。
奥様の必死の説得で正気にもどり、ギリギリで難を逃れたのだという。
ではそのように誘導されたのはいつの時点からだったのだろう。もしかして、出発からすでに誘導されていた可能性はないだろうか。

彼らはなぜ前も見えないような豪雨の中、止める大人や友人たちを振り払い、制限速度を超えて車を飛ばし、ほぼ真っ直ぐな道路で対向車線にはみ出し、大型トラックに突っ込んだのだろう。

バイパスができて旧国道となり、交通量も減った旧4号線。
それでも事故現場を通るたびに、未だに「なぜ」と思うのである。

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