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[奇談綴り]お寺の呼び鈴

ある日、お寺に桜を見に行った。
規模は小さいが由緒あるお寺で、境内を観光客向けに開放しているので、大きなソメイヨシノとそれよりは小さめだがボリューム満点の八重桜が気兼ねなく楽しめる。
ソメイヨシノは葉桜に近くなっていたが、少し遅れて咲く八重桜はちょうど満開だ。
桜は本堂の周辺にあるので、お参りをしながら美しさを楽しんだ。

このお寺では桜の他にも気になる場所があった。入口近く、金網のフェンスで囲まれている小さな池である。
小さいながらも周囲にみっしりと様々な木が植えられており、とても野趣あふれる感じに仕上がっているし、大きな錦鯉も美しい。
入口側から見た感じだと、建物の裏手からフェンスなしで見られる場所まで行けそうだった。

確認したところ、どうやら建物に挟まれた細い道をたどれば、池まで出られそうだ。
道は人がすれ違うのは難しいほどの幅で、突き当りで左右に別れており、左側に社務所があるという小さな表示が出ていた。
なんとなく社務所の方を見てみたのだが、池へ続く道より鬱蒼としていて関係ない人間が行っていいような雰囲気ではないように感じた。
檀家以外禁止、というわけでも無さそうだけど。

そもそも桜見物に来ただけの観光客なので、おとなしく池へ続く道へと進む。
思ったとおり池の裏手に出られて、入り口側からとはまた違った雰囲気を楽しんだ。

もう一度桜を見ようと道を引き返すと、本堂の方から人が来る気配がする。
すれ違いが難しいほど狭い道である。
小さい池を見に来るような酔狂な観光客がそうたくさんいるとも思えないので、社務所に用がある人なのかなと考える。
ならば向こうを先に通すほうがスムーズだろう。

少し引いた位置で待っていると、すぐに人が現れた。
作業着のような服を着た背の低いおじいさんで、こちらが待っている事に気づいて軽く会釈をすると、そのまま社務所に向かっていった。
作業着に違和感があったので背中を見送るが、それ以外に特に異常があるわけでもない。
そのまま本堂前に戻り、満開の八重桜をスマホで撮影していた。

どう撮影すれば一番美しいかと悩みながらあれこれやっていると、後ろから声をかけられた。
先程から何度か見かけていたお寺の関係者らしい女性である。

「あの、もしかして社務所の呼び鈴を押しませんでしたか?」

私はかなりポカンとした顔をしたのだろう。問いかけるような表情が、すぅっと不安に変わる。

「いえ、池の方には行きましたけど、そのあとはずっとここで桜を見ていました。
そういえば、戻る途中でおじいさんが社務所の方に行きましたよ。
近くにいらっしゃいませんでしたか?」
まあ…居たら私に声をかけるはずもないわけで。

「それが、二度呼び鈴が鳴らされたので慌てて出てみたら誰も居なくて…。」
確かにおじいさんが一人、ちょうどその呼び鈴が鳴るようなタイミングで社務所に向かったはず、と改めて伝えると、かなり困ったような表情になる。
多分私も同じ表情をしているだろう。

その日は池の植栽のメンテナンスが入っていて出入口付近にずっと業者さんがいたので、お寺の方はそちらにも声をかけて聞いてみたのだが、何も気づかなかった、という返事だった。

私も不思議だった。
社務所への通路を見張っていたわけではないが、常に出入口の方を向いて撮影しており、誰か通れば気づくはずだった。
このお寺は住宅地にあるので、出入口は一つしかない。

「社務所の向こう側とかお墓の方に行かれたのではないですか?」と聞いてみたが、首をかしげるばかり。
お寺の方はその後も近隣で作業している人に声をかけたりしていたが、やがて諦めて社務所へ戻っていった。

結局、私の見かけたおじいさんは煙のように消えてしまったようだった。
皆が見落とした可能性はあるが、それほど歩みの早くないおじいさんを何人も見落とすのも不自然な気がする。
ピンポンダッシュの可能性も考えたが、会釈を返すほど他人の存在を認識しているのに、いたずらという事もないだろう。

そういえば、全体の印象は覚えているのに顔が思い出せないな、と思う。
まあジロジロ見るのも失礼かと思って足元中心にしか見ていなかったんだけど。

結局、それが生きた人間でなにかの都合で皆の目をかいくぐって帰っていったのか、生きた人間に見えるほどの幽霊であったのかは全く分からなかった。
仮に幽霊だとしたら初めて見たことになるのだけれど、快晴の午前中にあんなにはっきりと見えるものかなあ、と、今でも不思議な出来事だった。

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