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[奇談綴り]ある犬の一生

子犬の誕生

中学生の頃、飼っていた犬が子犬を4匹生んだ。
今なら真っ先に避妊をするのだけど、昔の田舎の事で、犬にお金をかけて何かするなんて贅沢、という風潮だった。
そんな状態で外飼いだったから、父親のわからない子犬だった。

しかも母犬も子犬のお世話が苦手らしい。
ネグレクトこそしないが、人間がそばに来るとお世話を全部人間に預けて自分は遊びに行きたいとねだる。

そんな状態だったので、人の居ないほぼ里山の公園まで散歩に行き、母犬には自由に駆け回ってもらって、子犬には芝生の上で日光浴をしてもらう、というのが日課だった。

その子犬をください

目が開く頃から連れ出して、ヨチヨチ歩くようになった頃。
かごに4匹を入れて抱きかかえ、母犬をリードで繋いで歩いていると、道路の向こうを顔見知りのおじいさんが歩いていた。
おじいさんはなんとなくこちらを見て居たが、急に近寄ってきて、まっすぐに一匹の子犬を指差すと「この仔をください!」という。
あまりに急な話で面食らって反応できないでいると、続けて同じ仔を指差して「この仔がいいんです。どうしてもこの仔を譲ってください」という。
いずれ里親を探すつもりだったので願ってもない話なのだが、あまりに急な話だし、信用していいものか難しい。

「まだ離乳していないので、一人で食事できるようになったらお渡しできますけど、どうしてこの仔ですか?」
「なんだかよくわからないんだけどね、向こうから見かけて、絶対この仔だと思ったの。」
なんだろう…特別な縁を感じたということでいいんだろうか。向こうからなんて子犬が居ることすらわかるかどうか微妙な距離だけど。

顔見知りで素性の知れた人だし、家は走れば1分もかからないご近所だったので、2ヶ月ぐらいに育ったら渡すことを約束して、その日は別れた。

子犬はすくすく育ち、約束通り2ヶ月齢ほどでおじいさんの家に引き渡した。
しっかり準備していてくれて、メロメロになって子犬をなでているし、奥様も一緒に嬉しそうにしている。良いお家に縁付いたと安心できる印象だった。

最初の何日か、寂しさで夜鳴きをしたらしいが、すぐに慣れて毎朝おじいさんの散歩のお供をして歩く姿が見られるようになった。
ご夫婦の可愛がりようは驚くほどで、しかもきちんとルールを守っていてくれたので、すくすくと立派な中犬に育っていった。

最初はちょくちょく様子を見に行ったが、特に問題なく幸せに暮らしているので、徐々に回数が減り、半年ほどで行かなくなった。

家出の仲介を頼まれた

そうして2年ほど経ったある日。
当時、母犬の他に先輩犬を1匹、合計2匹飼っていて、休みの日にはブラッシングや散歩で忙しかった。
その日もブラッシングをしようと玄関に居たのだが、ふと視線を感じて隣家に目をやると、見知らぬ犬が隣家の壁からひょっこり鼻先を出してこっちを見ていた。
私の視線を感じ取って、スッと顔を出す。

当時飼っていた犬は2匹ともよその犬にとても厳しいタイプだったので、慌てて向き直ると、2匹とも知らん顔をしてくつろいでいる。
これはもしかして血縁…?
ああ、あの子犬!!!

名前を呼ぶと、耳と尻尾を下げながら近寄ってきた。
どうした?と言いながら撫でると、しょんぼりと尻尾を振る。
首輪も外れているし、毛並みも記憶とだいぶ違うけど、あの仔に違いない。さては逃げ出して、バツが悪くて帰れないんだな、と予想した。

「君のお家に行ってくるから、ここに居なさい」と言いおいて里親さんの家まで走る。犬小屋に犬は居なかったので「やっぱりか!」と思いながらお家の方を呼び出す。

奥様が出てきて、犬が居ない理由を聞くと「野良犬と仲良くなって家出しちゃって…もうだいぶ経つのに行方が知れなくて」と涙ぐんで教えてくれた。
念のため毛並みを確認すると、完全にさっきの犬だ。
「あの、いま家に来てる犬がたぶんここのコで!たぶんまだ家に居ると思うんで、連れてきますね!」

やっぱりあの仔犬で当たってたんだ…なんでリードつけて連れてこなかったんだろう。まだ家に居ますように!

祈るように玄関を飛び出して走ろうとした…その視線の先。なんと置いてきたはずの犬が門柱からひょっこり顔を出してこっちを見ているではないか。
なにやってんの!
逃してはならぬと緊張しながら名前を呼ぶと、やっぱり耳も尻尾も下げて、でもおとなしく寄ってくる。
ガッツリ捕まえて玄関をあけて「いました!このコですよね!」と呼ばわると、奥さんが名前を呼びながら泣き崩れた。

まるで「ごめんなさい」というように奥さんをなめる犬、安堵で泣き崩れる奥さん。
野良犬がちょくちょく遊びに来るようになり、その後消えていたそうで、あまりにも手がかりがないので、もう諦めかけて居たそうだ。
どうして居ないことに気がついて見つけたか聞かれたけれど、急に家に来たんです、としか言いようがない。
すぐおじいさんにも伝えないと、本当にありがとう、と感謝されたが、どうにも犬に使われた感じが拭えない。
帰り際「もう心配かけるんじゃないよ?気がつけてよかったよ」と犬に声をかけると、今度はとても嬉しそうに尻尾を振った。

おじいさんを助けること

そんな小さな事件からまた数年。
その奥さんが家に訪ねてきて、祖母と話をしていった。祖母曰く「犬がおじいさんを助けてくれたそうで、お礼を言いに来てくれた」らしい。

実はおじいさんは脳卒中の後遺症で左半身があまりきちんと動かない。その訓練も兼ねて散歩に行くのだが、ひとりで行くのはさすがに危険ということで、パートナーとして犬を求めたらしい。

その秋も、いつものように散歩に出掛けたそうだ。
散歩とは言っても田舎の事、コースには里山も含まれている。キノコのシーズンなので、食べられるキノコがないか確認しながら、いつもの踏み分け道を歩いていたそうだ。

そして、ポツポツ見つかるキノコに夢中になった結果、道を外れて居場所を見失ったそうだ。
いつもの里山という侮りもあったろう。気づいたら全く見覚えのない場所で、道も見つからない。
慌ててもと来た方へ戻って道を探すが、もう全く方向がわからない。慌てているうちに急激に暗くなり、夜になってしまった。

気温の下がる中歩き続けて体力も限界、しかも足元の見えない闇である。もうここで遭難して死んでしまうのかと覚悟を決めかけたその時、少し前方に白く揺れるものが見えた。
なんだろうと思って近寄ると、スッと離れて揺れる。
その白いものを夢中で追いかけて…そのうちフッと魔法のように、見覚えのある舗装道路に出た。いつもの散歩のコースで、街灯もついている。
白いものは飼い犬の体だった。
つまり、飼い犬が道路まで誘導してくれたのだ。

道がわかればあとは問題ない。おじいさんはなんとか家に戻ることができた。
その頃お家の方では、まさに警察に遭難届けを出す直前だった。
昼過ぎに出かけた散歩から夜9時過ぎても戻らないので、普段は家に居ないはずのお子さんまで皆打ち揃って心配しており、もうあと10分遅かったら警察に電話をする予定だったらしい。
「犬が助けてくれた。だからあの時あんなにこの子がいいと思ったんだな」と話していたらしい。

元はと言えばウチから渡した犬なので、お礼を言いに来た、ということだった。
あの日、「この仔をください」と言ったおじいさんの輝くような笑顔を思い出して、なるほどこういうご縁だったのかな、と納得した。

後日談

この話には、ちょっとした後日談がある。
なんとおじいさんが親族の借金の連帯保証人となり、親族が逃げたために借金を背負い、家を売ってアパートに移ることになったのだ。

移転先では犬を飼えないからと、知人に「こういう大切な犬なので」と伝えて引き取ってもらったのだそうだが、犬はそこから逃げ出した。
そして、おじいさんのアパートまで戻ってしまったらしい。
しかも何度も帰ってきてしまう。

その事を聞いた息子さんが「親父の命を助けてくれた犬を粗末に扱うことはできない」と自分の家に引き取り、「もう逃げないように。ここに居たら親父も来るから」と懇ろに伝えたところ、逃げる事もなくなり、そこで幸せに暮らしたそうだ。

おじいさんの家の跡には、土地を買った某企業の営業所が建っている。
その企業は全く悪くないのだが、美しかった裏庭や終の棲家のつもりで慎ましく暮らしていたおじいさん達と犬を思い出して、つい八つ当たりしそうになるのである。


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