小学4年生の頃の話


<文字数:約8200字 読了目安時間:約16分>

なんで知っとん
 母の観ている番組を後ろから見ている。時々、例えばドラマの人物について指摘すると、母は驚いたように言う。
「え~!?なんで知っとん?」
こう言われると、馬鹿にされているような気持ちになってしまう。幼稚園児に対して言っているようなリアクションだ。
知ってちゃいけないのか?という気持ちになる。今後は母の前では、母の得意分野について何も知らないフリをする。そうしていれば、馬鹿にされるような気持ちを味わわなくて済むからだ。

円周率
 ある日思った。円周率を100桁覚えてみよう。円周率を覚えていると天才っぽくてかっこいいだろう。僕が一所懸命覚えようと頑張っていると、兄の方が早く円周率を100桁覚えてしまった。兄は僕よりも学校の成績がよく、記憶力も高いのだった。通知表を見れば兄はほとんど全てAが並んでいる。僕のはAとBが同じくらい並んでいる。ジャンプ力や図画工作なら兄にも絶対に負けないのだが。

将棋クラブ
 「クラブ活動」という時間があった。4~6年生がひとつのジャンルで週に一度集まるのだ。僕は「将棋クラブ」を選択した。ちなみに兄も将棋クラブだった。将棋は楽しいが、勝ったり負けたりする緊張感には少し怖さも感じた。そこそこ強い方だったのだが、一番強い生徒には僕も兄も太刀打ちできなかった。

熱血教師
 新しい先生は、考え方がはっきりしていて喜怒哀楽の激しい人のようだ。人情派で曲がった事が大嫌い、という感じだろうか。とてもフレンドリーで、生徒達も先生を信頼するようになった。先生というより、友達の延長のように接してもいいくらいの身近さがあり、僕もこの先生とは接しやすいと思った。ある日、クラス対抗「大縄跳び大会」が催されることになった。
「優勝目指すぞ!オー!」先生と生徒は一体となった。先生の指導の下、生徒達は繰り返し縄跳びの練習をした。
僕はもともと飛び跳ねる事については大の得意で、なにも苦労する事は無かった。勝敗を決めるのは、縄跳びの苦手な生徒がいかにミスをしないかだ。

元気ボーイ
 教室を動き回る変なヤツとして名物キャラクターになる。休み時間だけでなく、授業中すらも動き回っていた。クラスの皆は笑っていた。元気が有り余っているのか、飛んだり跳ねたりしているうちに学校の物をよく壊してしまい、よく怒られていた。特にやらかした時、先生は僕の胸倉を掴んで怒鳴ったが、
「どうしてそんなことをした!」
「なんとなく…」
自分の行動について自分で理由を説明することができなかった。
「お前はいつもそれなんだよ。なんとなく、じゃなくて、考えて行動しろ。」
「うん。」
今までは怒られるといつも涙目になっていた。ただ最近は、状況を上空から俯瞰するような目線で、怒られている光景をイメージする。こうすれば我慢できる程度の事だなと思った。どれだけ怒られても無表情でいられるようになってきた。

大縄跳び大会
 縄跳び大会当日。うちのクラスは特に問題なく、スルっと優勝することができた。先生のテンションが最高潮に上がっている。
「どうだ嬉しいか!俺は嬉しいぞ!嬉しいと思うなら手を上げろ!」
席についている。なんとなく僕は手を上げた。他の数人も手を上げた。
僕は
「ニヤニヤ。嬉しいねえ。」
と、いつもみたいにふざけてみた。先生は言う。
「下げていいぞ。それなら今度は、別に嬉しくない奴は手を上げろ!」
少数だが、数人が手を上げた。
「下げていいぞ。でも、もう一回だけ聞いていいか?」
うまい。こういうのは最初は手を上げることに抵抗を感じるものだ。再度聞くことによって、より多くの意見を収集できるのだ。僕はそんな先生の手腕に感心した。
「嬉しいと思うなら手を上げろ!」
まあまあ多くの生徒が手を上げた。
「下げていいぞ。別に嬉しくないなら手を上げろ!」
それ以外の全員の生徒が手を上げた。その瞬間、先生の顔から笑顔が一瞬にして消え、鬼のような形相に変わった。
「おい!なんで嬉しくないんだ!!」
絶叫し、黒板に拳を激しく打ち付けた。教室中に轟音が響き、その迫力に一瞬にして教室は静かになった。クラスの皆が呆然とした。
「頑張ってたのは俺だけか?なあ。」
先生は怒りと悲しみの混じったような声をあげた。一体、先生の感情はどうしてしまったのか。僕はひるまず聞いてみた。
「なんで怒ってる?」
先生は更に激昂して叫んだ。
「わからんのか!!」
僕は食い下がった。
「わからん。」
先生は僕に近づいて、僕の胸倉を掴んだ。
「そういう所だ!お前の悪いところは!」
先生は教壇に戻った。優勝を喜ばない事は良くない事なのだろうか。先生は熱血教師として純粋すぎるのだろうか。なにか教育的な意図があるのだろうか。答えは見つからない。不可解な出来事だった。子供の僕にとって、大人はまだ理解できない存在だ。

嫌いな給食
 わけぎのぬた、そらまめ…食べられないものがあった。給食時間が終わっても、僕は少しずつ食べ続けた。余りにも苦痛だったので、「トイレに行って来ます」といいつつ、それをティッシュで包んでポケットにしまい、こっそりトイレに流した。

掃除時間にも勉強し続ける
 掃除は簡単だ。勉強は苦痛だ。それが常識だから、掃除と勉強なら掃除の方が楽だ。
僕は掃除時間にも、勉強をし続けていた。気になる計算があったからだ。
「先生、見て!エス君は掃除時間にも勉強し続けてるよ!エス君凄い!」
と、みんなが言った。すると、先生は突然怒った。
「掃除時間には掃除をしろ!」
その場の全員が、意表を突かれた。勉強よりも、今は楽な掃除をした方がいいらしい。掃除の時間には掃除を、勉強の時間には勉強をすべきだ、という事を突き付けられた。

空想にふける
 オリジナルのゲームや、オリジナルのストーリーを常に頭の中で作っている。意識的にしているわけじゃなく、気が付いたらついそうしている。オリジナルの音楽も頭の中でよく作っている。ゲームのBGMのような音楽だ。高音・低音・リズム等が同時に頭の中で鳴っている。鼻歌で歌う事はできるけど、1パートだけだ。そんな日常を送っていると少し困ることがある。教室の前で先生が大事な話をしていても、空想にふけっていて上の空な事が多い。ちょっと長めの話になるといつの間にか自分の妄想の世界に没頭してしまう。ふとした時に気づいて、
(あれ?今先生なにか話してた?)
と、置いてけぼりになっているのだった。僕がいつも怒られる原因はこのあたりにあるのかもしれない。

図画工作
 自分はクリエイティブな方面でセンスのある方なのかもしれない。いままでずっと立体や迷路を描くのが好きで、ハマっていた。図画工作の成績はいつも良くて、先生もクラスメイトも満場一致で凄いと言ってくれる。絵画コンクールには毎年入賞する。好きな事だし、みんなからの評価も貰える。これからも創意工夫を活かしていろんな物をつくっていきたい。

自由帳漫画
 漫画を描いてみようかなと思った。自由帳で漫画を描き始めた。漫画を描いていると、皆から注目される。これがきっかけで面白い奴だと思われて、友達が増えるのである。むしろ、僕が友達を作る方法は、面白い動きをするとか、漫画を描くとか、そうして興味を持ってもらう事が全てかもしれない。
 描いていると、どんどん話が展開していく。その時その時で描いているのに、自分であとから読んでみたら、面白くて笑ってしまう事がよくある。

流行りのゲーム
 近頃は本当に「ポケモン」と「たまごっち」が流行っている。男子がポケモン、女子がたまごっちという傾向があるが、必ずしもそうとも限らない。男子がたまごっちをする事も女子がポケモンをする事もいくらでもある。僕も御多分に漏れず、ひたすらポケモンをプレイしていたし、たまごっちにも興味があった。
 このブーム以降、ゲームボーイやプレステを中心に、モンスターやペットを育成するゲームが様々なメーカーから発売されるようになった。キーホルダーのサイズのデジタルゲームが流行り始め、デジモンを筆頭として、昔ながらのテトリス等、様々なものがリリースされた。

バグ技
 ポケモンを普通にプレイしていた僕であったが、やがて兄が怪しいバグ技を使って遊びはじめた。兄はバグの法則を追求し続けて、やがて様々な裏技を開拓した。兄の編み出したバグ技を知った自分はクラスのみんなにも教えて回った。

ゲーム開発
 多くのゲームはエンディングのスタッフロールで名前が次々に表示される。知らない大人達の名が。大人は頭が良いから、こんなゲームを作れるのだろうか。それなのに、ゲームには予測不能なことも起こりうる。ファミコンのカセットを無理矢理抜いたりすると、画面がぐちゃぐちゃになる。その事に幼少期はそこまで疑問に思わなかった。そういうものだと思っていたが、どうしてこうなるのか。賢い大人にすら想定できなかったバグだ。興味を引かれる現象だ。ゲームはどんな仕組みで動いているのだろう?全てのバグ技に理由があるのではないか。いつかその謎がわかるのだろうか。自分でもゲームが作れる日がくるのだろうか。

パソコン
 父が仕事に使っていたというワープロでは、ミニゲームとしてスロットマシンができた。ゲームとしてはドラクエ5やポケモンのスロットとあまり変わらないようなものだったが、しらないマシンでゲームができる事に何故か面白さを感じた。
 ある日「パソコン・ウッディ」というものが家に導入された。「ウィンドウズ」という仕組みで動いているらしい。いきなり電源ボタンを押すとデータが消えるらしく、デリケートだ。マインスイーパやソリティアをはじめ、面白そうなミニゲームがいくつかあった。フロッピー等の外部メディアによって好きなソフトが追加された。「ファインアーティスト」というお絵描き学習ソフトが印象的だ。「フラッピー」というアクションパズルゲームが面白い。「EMIT」という英語学習ノベルゲームは重厚なストーリーで引き込まれる。

2分の1成人式
 10歳になった記念に、保護者のみなさんに今の成長した自分を発表する会、通称「2分の1成人式」がクラス内で執り行われる。熱血先生としては、お母さん達を泣かせられるような感動的な会にしたいようだ。
 最初の挨拶、各グループの演劇、名作文学の朗読、夢の発表、先生の弾き語り、最後の挨拶。先生の考えた一連のプログラムは、4年B組という1つのクラスの中でだけ行われる演目としては、物凄い充実ぶりだ。事前に何度も練習が行われた。
 そしていよいよ本番。教室の後に保護者の人達が立ち並んだ。予定通りの演目が行われた。走れメロスの朗読の途中で、大人達のすすり泣く音が聞こえ始めた。
 次は皆で自分の夢を発表するプログラムだ。保護者も見守る中、クラスのみんなが順番に壇上に出て、将来の職業を真面目に話すのだ。「プロ野球選手になりたいです!」「弁護士になります!」「花屋さんになりたいです」そんな発表が次々になされる。お母さん達も泣いている。感動も最高潮を迎え、ついに僕の発表だ。壇上に上って一言、自分の夢を大きな声で宣言するだけだ。…自分は将来どうなるかなんて分からないが、ゲームを創りたい。でも漫画も描きたい。大工もいいか。とにかく、なにかを作る人になりたい。でも、まだひとつには決められない。とにかく皆と同じように型にはまった事をしたくない。そんな思いから、僕はこう叫んだ。
「90歳まで、長生きしたいです!」
この文言で、僕は声を張り上げて発表した。泣いている保護者達から、笑いが生まれた。

先生のオリジナルソング
 最後のプログラム、先生のギター弾き語りだ。これは先生の考えたオリジナルソングを先生がギターを弾きながら先生が歌うというものだった。曰く、歌詞は大人の目線と子供の目線が入れ替わる構成になっているらしい。リハーサルでは、子供の目線の歌詞だけを聴かされていた。大人の歌詞は先生の秘密だった。
 先生はその人柄から学校内の名物キャラクターのように信頼されていて、こういうことを自然にできるのだ。先生はギターを構えた。大勢の見守る教室は静まり返った。先生はギターをジャーンジャーンと鳴らして確かめた。少し声を出し歌えそうかどうかを確認した。その姿はいつもよりサマになっている。これから聴くのは熱血先生の魂の込もった歌だ。

 『君が産まれた朝を 覚えているよ 廊下の端まで響き渡る 初めての声を
 小さな小さなその手を開いて 何かを掴もうとしていたね
 君の未来を信じてる どんな大人になってゆくか
 躓いても転んでも守ってあげるよ 父さんと母さんの子供だから
 僕が産まれた朝は 覚えていないけど 誰かに届いてほしくて 初めての声をあげたんだ
 優しい母さんの 腕の中で 抱きしめて欲しいと思っているくせに 強い自分を見せたくて
 僕の未来を楽しみにしてね どんな大人になってゆくか
 躓いても転んでも立ち上がるよ 父さんと母さんの子供だから 父さんと母さんの子供だから』

歌い終わった
 先生は歌い終わった。演奏が終わった。先生は仕事を終えたヒーローのようだった。あくまでも授業参観の延長だが、保護者の半数以上はすすり泣いていた。見回してみると同級生の半分も顔を紅潮させ涙を浮かべていた。そして僕も、確かに充分にグッと来るものを感じた。だがしかし、こんなお涙頂戴の企画で涙するほど安い人間だと思われたくない。そんな気持ちがどこかにあるのだった。出ようとする涙をひっこめるために、この状況を冷静に観察しようと思った。

後日の先生
 あの会の後、先生は僕に個人的に言った。
 「エス。お前が90歳まで長生きしたいですって言って皆が笑った時、もうダメかと思ったわ。あのあと、なんとかなって良かったわ。でも、お前、いつもより緊張してたよな。これはお前の成長だ。嬉しいわ。ありがとうな。」

恥と緊張
 これまでの僕は、恥ずかしいという感情が無く、緊張も無い人間だった。しかし最近は人の目を気にするようになってきた。言いたい事を思う存分言えなくなった。緊張して言いよどむ…これが成長なのか?恥ずかしいとは、なんなのか。

先生の余談
 先生が授業の合間によく余談をしてくれる。僕はほとんどの場合、自分の空想の世界に入っていてあまり聞いていない。よほど興味を引く話であれば集中して聞けるのだが。例えば面白かったものとしてはこんな話がある。
 とある男が、医者からあと半年後に死にますと余命宣告された。絶望し、なにもしなくなるのかと思いきや、逆にその日から人が変わったように図書館や本屋であらゆる本を読み漁るようになった。今更知識を得ても無駄ではないのか?と聞くと、男は答えた。「世界のことを何も知らないまま死ぬのは悔しいからだ。」
…という話だ。もし自分が余命宣告されたら同じように思うのだろうか。自分の命を大事に、限られた人生を漫然と過ごさないようにしようと感じた。

散髪
 父はよく散髪をしてくれた。僕は椅子に座っていて、じっとしている。散髪屋みたいだった。床屋に行くお金を節約できるらしい。そしていつものように、おぼっちゃんのようなヘアスタイルにしてもらう。母は僕のヘアスタイルの出来栄えを見て、「いい。」「ちょっと、前髪が長すぎる。」「後ろ、もっと丁寧にやって」と細かく指示した。父は母の意見を尊重し、「これどう思う?」と母の意見を求めた。母は家族のおしゃれ番長のような存在だった。かつて服屋で働いていたからなのだろうか。内心少しだけ、店で散髪している方が気が楽だと思った。

いただきますの話
 食べ物で遊んでいたら、父が怒鳴った。
「お前は食べ物がいかに有難いものかを分かってねえ。そういえばいつもいつも、いただきますの挨拶もしないし。幼稚園児だって挨拶はできるだろ?世の中には貧困で飢え死にしてしまう子供もいるんだから。 食べ物はありがたくいただくものだ。粗末にしたらダメだ。わかったか?」
(どうもなにか腑に落ちない。本当にそうか?うまく説明はできないが…)
「わかったか?って聞いてんだぞ。」
(いや…うーん…それって必ずしもそうとは言えないような気がするんだが…)
「反省の色がみられんな。わかってないようだ。どうしてわからない?貧困で死ぬ人達が可哀想だと思わないのか? 食べ物のありがたみが分からないのか?牛、豚、ニワトリ、魚!…命をいただいているんだぞ。いろいろな人が関わっているから食事できるんだぞ。ワシが汗水たらして働いてお金を稼いで、お母さんが頑張って料理してくれる。そうだろう!?人の心があれば普通にわかる事じゃないのか!?どうやったら理解してもらえるんだ?これがわからないって事は常識がねーんだ。」
 (……)
「まだ反省できないのか。黙ってても仕方ないだろ。なんか言いたい事があるんだったら言ってみろ。言わないとわからんぞ。ワシを論破してみろよ。説明できないってか?じゃあなにも分かってないって事だ。負けを認めたんだお前は。ずっと黙ってるな。こうしていても仕方ねえ。 わかったって言えるようになるまで正座しとけ!!」
 いつもいつも、こうなる…なんなんだこれは… 心が無いわけじゃない。 僕は、自分の考えていることが難しくて言葉にできない。うまく自分の考えが言葉にならない。やっぱり争う必要はない。また、ごめんなさいわかりましたと言うまで永遠に終わらない流れだ。それが言えないのは、なにかしらの不服を強く感じているからだ。
「おい三時間も正座してんのか。そろそろ反省したか?お?」
(反省ってなんだろう。)
「ま~だ、わからんのか?はあ。お前には反省の色が無い。まだお前は未熟だってことだな。大人になればわかるよ。」
(反省の色…?大人になればわかる…?)
「わしはお前が憎くて言ってるわけじゃない。本当はこんなこと言いたくないが、お前のために心を鬼にして言ってあげてるんだ。そのことを分かって欲しい。」
(……)
「まぁ、まだわからんだろうな。でも、大人になったらわかるよ。わしだって昔はそうだった。わしもお爺ちゃんにいろいろ厳しくいわれた。でも今は感謝してる。お前もきっとわかる。」
(……)
「もう晩飯だからメシは食え。いただきますって言うんだ。当然な。」
こうして僕はようやく開放された。しかし、父に対して心は閉ざされたのかもしれない。
 既に母の料理が並ぶ食卓に、家族がやっと揃う。
「…いただきます。」
と、僕は嫌々ながら言った。
「あれ?めっずらしい。いただきますって言ったじゃん。え~いつもと違う!」
母は嬉しそうだ。父も得意げだ。
「そうなんよー。ま、ちゃんと厳しく、粘り強く言えばわかるって事だよな。な?そうだろ。ワシの教育もなかなかのもんだな。エスが分かってくれて良かった。なあエス、わからん事があったらこれからもこうやって教えてあげるから。親ってのは有り難いもんだろう?こうやって人は成長するってこっちゃな。」
 心に黒いヘドロが急速に溜まっていくようだった。

異変
 激しくイライラし、歯をくいしばり、拳を握りしめ、顔面に力を込めた。肥大化するストレス、湧き出てくる攻撃的な衝動、破裂しそうな苦悶。漏らしてはならない。我慢をしなければいけない。これ以上ストレスを受けるとブチ切れてしまう。ブチ切れるなんてみっともない人間に成り下がりたくない。ここで不快感をあらわにして叫んでしまうような事があったら、野蛮人に成り下がって、すべてが台無しだ。血圧が上がって、体が今にも暴れ出しそうだ。その時、鼻から血が流れ出た。床にボタボタと血が落ちた。僕は急いでティッシュを掴み、鼻を押さえながら寝室に向かった。不信に思われないように。食卓から撤退する。しばらく横になろう。布団に籠って、頭を冷まそうとしながらも考える。父の口からは無限に不愉快な言葉が出てくる。近くにいたら病気になってしまう。こんなことが続いたら、良くないと思う。僕が鼻血を流した事は、父、母にどう思われたのだろうか?明らかに偶然の鼻血ではない。過度のストレスからの鼻血であることを分かってくれたら良いのだが、あまり期待はできない。重い足音が近づいてくる。父が寝室に入ってきた。(来るな。なにか言いに来たのか。なにも聞きたくない。これ以上追い詰めるような事をしないで欲しい。そんな事は、暴力だ。)そこで実際に父が発した言葉はこうだった。
「ふて寝か?」
僕は心を無にした。父はしばらくして立ち去った。この出来事はもう思い出さないようにした。

小5年 https://note.com/denkaisitwo/n/n6fada4d15a00


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