たとえば、マルチェロ・マストロヤンニ
生きている人でも、もう故人でも、身近な人でも、世界の偉人でも、テレビのタレントだってかまわない。自分が<見ていてほしい>あるいは<ほめてもらいたい>と思える、この人を見つけよう。
自分が、迷っているとき、それは、とても便利で確実な<指標>となる。
その人に見られていても<恥ずかしくない人>でいようとすれば、おのずと「生き方」は決まってくる。<ほめてもらいたい>という相手がいれば、自分の行動は迷いなく決定される。
でも、その人に気に入られようとすることにだけ、気ばかり遣っていると、その人は不思議に去っていく。その人の気を引くだけの薄っぺらで小手先だけのテクニックは、自分自身を失くしてしまうからだ。
ときに、相手を裏切るかもしれない<我>も必要だ。
それは、相手を落胆させ、取り返しのつかない失敗となるかもしれない。しかし、一瞬の絶句の後、相手から拍手や微笑みがこぼれれば、自分自身、いきなり新たなステージに立つことになるだろう。
期待を裏切らずに、予想を裏切る---。これは単なる「わがまま」ではない。いうならば「愛」だと思う。・・・僕は、いつだってそうやって生きてきた。
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