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アモスケイグからバトンを受け、501XXを支えたコーンミルズのデニム生地!その歴史とは!?

昨日の続き。
それでは1915年にアモスケイグ社から
バトンを渡されたコーンミルズ社とはどんな会社
だったのか。

コーンミルズ社は1891年に誕生。

1895年にはノースカロライナ州グリーンボロに
最初のデニム製造工場ができました。この工場は
プロキシミディコットンミルズと呼ばれる
1号工場として知られています。

そして1905年に同じくグリーンボロに
ホワイトオーク紡績工場が誕生するのです。
この工場は2017年に閉じられるまで、リーバイスの
生地のみを供給する工場として稼働しました。
このホワイトオークという名前は
工場近くにあった寿齢200年の樫の木にちなんだ
名前です。

1910年にはこのホワイトオーク工場から
世界のデニム生地のうち3分の1を供給。
1915年にはリーバイス社と独占契約を結び
生地サプライヤーとして長年のパートナーシップが
スタートするんです。
ここでリーバイス社のデニム生地に「赤耳」が
採用されたんです。

ここから続く長い間のパートナーシップには
コーンミルズ社が常に新しい生地に対して取り組む
姿勢があったからのようです。

1921年には今も続く連続ロープ藍染め機の特許を
取得。
こうして中白と呼ばれるインディゴの糸は安定的に
且つ大量に供給されるようになるんです。
この特許がなければジーンズがここまで愛される
こともなかったかもしれません。

アモスケイグ社時代のデニム生地も中白の糸で
なかったわけではないのですが、染め方が
ロープ染色ではなかったのでおそらく供給量には
大きな差があったと考えられます。

ここで生産量について雑記します。
記録によると1932年にはプロキシミティと
ホワイトオーク工場で年間生産量7,500万ヤード。
約68,250,000メートル。
ジーンズ一本の要尺が2.5メートルとして実に
2,730万本ものジーンズを供給していたことになります。

さらに
コーンミルズ社の新しい試みの一部を書き出すと
1932年にはサンフォライズデニム生地を生産。
1936年にはコーンディープトーンデニムが誕生。
※色落ちしにくく、耐久性のある生地として人気の
 高かった生地です。おそらくジェルトデニムに近い
 生地と推測できますね。
1962年には世界で初めてストレッチデニムを
生産します。

またコーンミルズ社の先見の明があった事例として
多くの工場がまだ環境汚染など考えなかった
1940年代にすでに排水処理プラントを開発、建築し
いち早く環境問題にも取り組んだんです。
すごいですよね^_^

第二次大戦中には工場の敷地をアメリカ陸軍にリース。
軍の存在はグリーンボロの経済を助けて、
終戦時にいち早く平時に戻ることができたそうです。
こうしたことも戦後デニム生地をいち早く供給し、
ジーンズの生産を助けた大きな要因かもしれません。

コーンミルズ社は新しい試みを重ねながら
長きに渡ってデニム生地のナンバーワンを保って
来た会社ではないでしょうか。

そんなコーンミルズ社も2003年に破産。
2004年からはコーンデニム社と名前を変え
再出発しています。

そして2017年。
惜しまれながらホワイトオークの工場は112年の歴史
に幕を下ろすんです。

駆け足でちょっとコーンミルズ社の歴史を
追っかけてみました^_^

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