「ミスターシービーなんか倒せ!」1984毎日王冠
自分の昔話を記録して、当時の雰囲気を知ってもらえればという企画です。聞いた事のない単語や用語も飛び出しますが、謎解きの気分で。
1983年、ミスターシービーが三冠馬となり、休養という名前で姿を消した。
その間、カツラギエースをはじめとしたシービー世代が台頭し、また、皇帝シンボリルドルフが、同じく三冠馬を目指していた1984年秋。
幾度となくミスターシービーの出走の予定が延期し、この年より、天皇賞秋が距離2000mになり、天皇賞秋の前哨戦として、合わせて距離が1800mに短縮された毎日王冠。
東京競馬場は、良馬場ではあるが、光のささない、どんよりとした曇り空だった。
この日の東京競馬場は、普段の客層よりも少し荒れた感じに見えた。
当時の競馬場は鉄火場そのもの。武豊騎手はまだデビュー前。大井競馬場が夜間開催をするようになり、何も知らない騒ぐだけの若い衆が、武豊は走るのかと地方競馬場で騒いで顰蹙をかうのは、この数年後になる。
毎日王冠の出走馬は、9頭。元々毎日王冠の出走馬は少ない。サイレンススズカの時も9頭立て。8枠のみ2頭。
強い馬が出るから他の馬が避ける、開催の日程の都合、秋から冬にかけての当時のローテーション等を勘案し、今でも比較的出走馬は少ない。
ミスターシービー、ほぼ一年振りの復帰戦。
報道は場外で騒ぐが、現場の馬券師達の中で、勝つと思っていた者は、自分も含めて少なかったと思う。
休養明けのシービーは勝たない。それが経験の判断。カツラギエース陣営が打倒シービーに燃えて対峙してレース登録をしたのは、もうこの時は誰でも理解しており、また少し荒れた空気の原因が、あった。
2枠2番、サンオーイ。
南関東競馬の三冠馬。シービーを倒す為に中央に移籍した、大井からの刺客。そう、煽られていた。
距離3000mの東京大賞典を勝ち、本来はこの年の天皇賞春からの予定だったが調整が遅れ、ローテーションの関係で、移籍後は、安田記念の1600m3着、札幌日経賞の1800m1着、札幌記念の2000m2着。
実際は長距離馬だったとは思うが、そのサイクルで、シービーの復活を待ち構えていた。同じ三冠馬対決。中央と地方は違うが、同じ三冠馬には変わりなし。
この日、ミスターシービーは、生涯レース唯一の、悪役だった。
「ミスターシービーなんか倒せ!」
「地方の底力、見せてやれ!」
「天馬の息子はもう墜ちた!」
地方競馬場をジグマ(地熊)にしている馬券師連中が、ここぞとばかりに、東京競馬場に押し寄せ、サンオーイを応援する。横断幕もミスターシービーよりも多い。『さらばハイセイコー』を歌う客も。今ならば、それはフラグだと言うだろう。
中央競馬は土日開催。地方競馬は平日も開催している。競馬に対する思い入れが、地方競馬の馬券師は違う。
正に、地方を無礼るなよの、世界だ。
自分は川崎競馬場の場外発売で、浦和競馬場の馬券を買うのが好きだった。小さいモニターに集中し、一喜一憂するのが、地方競馬の醍醐味。
1枠1番・トウショウペガサス。この年、ルドルフの有馬にも出走し、翌年の中山記念を制した。
2枠2番・サンオーイ。ミスターシービーを抑えて1番人気に。
3枠3番・シンボリヨーク。ちょい状態が悪い。
ただしこのシンボリヨーク、あのマティリアルの全兄である。
4枠4番・ダスゲニー。エイシンフラッシュの先輩のような位置にあり、オークス時の逸話等多いが、牝系の血を残せなかった非業の馬でもある。
5枠5番・カツラギエース。ご存知シービー大好き馬。
6枠6番・ダイナカール。ご存知エアグルーヴの母親。鞍上はルドルフの騎手でもある、岡部騎手。
7枠7番・ミスターシービー。
8枠8番・アローボヘアミン。生涯成績が、54戦7勝になる鉄馬。
8枠9番・ミサキネバアー。この馬も、一年前、大井から移籍したサンオーイの先輩扱いだが、人気は7番だった。
馬券師からすれば、これは鉄板レースに近い。
カツラギエース、ミスターシービー、サンオーイの3頭流ししかない。ならば、どの組み合わせで買うかになる。1800mの、直線の長い東京。
パドックで、1番出来が良かったのは、トウショウペガサスだったように覚えている。
ダイナカールは流石に下り坂だったが、鞍上岡部は絶対にミスターシービーをマークする。ルドルフとの直接対決も見えていた時だ。マークしない筈がない。ただし、この時にカツラギエースをマークしなかったから、JCで、してやられたという後年の意見がある。
同じ意味でシンボリヨークは、やはり元気がないように見えた。
自分としては、ミスターシービーから流すしか選択肢がない。馬券師は、好きを排除する厳しさが必要だが、待ちに待った身としては、買わずにいられない。
シービーの様子は、判断が難しい。子供でも1年合わなければ変わるのだから、馬も同じ。馬体の艶、ステップの強さ等、個々に判断基準はあるが、本番は天皇賞秋だろうから、今は上り坂でひと叩きという感じ。トウカイテイオーの有馬記念よりもわかり難い状態だった。
また今日、自分が悪役になっているとは、まったく感じていない。
こういう場合は、1着だけを狙う単勝で、3頭分を買うか、連複にするか。本当に競馬の強い馬券師は単複を買うとも聞くのだが、そこは倍率、オッズとの兼ね合い。
自分はどんなレースでも、1番人気が1倍台になった場合は、馬券で利益を出す目的としてその馬は買わない。応援馬券に切り替え、儲けは度外視にするか、見(けん)に回り、馬券を買わないかになる。
すべての博打に通用する必勝法は、最初からやらない事だ。
1番人気はサンオーイで、最終オッズは2.7倍。ミスターシービーが2.9倍、カツラギエースが4.8倍。
見にするレースではない。枠連で2-5-7の流しで特券。
まだマークシートで馬券が買えない時代。マークシートが導入されるのは、馬連と同時で1991年から。
昔は、枠連ひとつにつきひとつの窓口があったが、この頃はひとつの窓口で対応。
流れるような注文ができないと、馬券は買えない。もたもたしていたら、後ろから精神的にも物理的にも総攻撃だ。ラーメン屋の注文の方が、まだ簡単だと思う。
今思えば、お年寄りでも、杖を付いたり背が曲がった方はいなかったような。中にはセバスチャンと呼びたい執事が、老齢の主人の馬券注文を聞き、購入する光景もあったが、どこかの会社の会長さんだったようだ。
また銭に余裕がある客、上品な客は、スタンド席にいると思われがちだが、砂被りで競馬を楽しみたい層も多いのだ。
今でも、G1開催の時は、競馬場に人が集まる。これはG1しか競馬を見ない、馬券を買わない方達が多いから。何故かと言えば、儲けやすいからかもしれないが、多くは日曜の家からの脱走者だ。G1は良い口実。
G1ではない84年毎日王冠は、とても混んでいた。ミスターシービーの復活、地方競馬からの応援団、そして、大型ターフビジョンのお披露目もあったからだ。
馬券を買えたので、本馬場入場に。
スタンド前、特にゴール前は、避ける。混むし、今でもそうだが、スリに置き引きがいる。
ミスターシービーの姿が見れただけで、満足している自分がいる。良く戻って来たなと。
カツラギエースは燃えているようなオーラがあった。だがこの馬は毎回こうなので問題なし。力を出す方向を、いつも探りながら走っているような印象を受けていた。
宝塚記念を勝利しても、3番人気。人気がない訳ではない。ただ、ミスターシービーとサンオーイの人気が、桁外れだったのだ。
空はどんより。
中央の馬券師は静寂を選び、地方の馬券師は叫ぶ。
ミスターシービーの復活を見ようというファン、そして、様子見を隠さない、シンボリルドルフの陣営。
そして完全にミスターシービーしか見ていない、カツラギエース陣営。そこに割って入ろうとしていた、大井からの刺客、サンオーイ。
レースが、はじまった。
※再生できない場合は音声だけ楽しむか、元ページで。
カツラギエースがハナを切り、ミスターシービーは最後方。
そして第3コーナーからシービーがまくり始めた時、タープビジョンにその光景が大写しになり、第4コーナーをシービーが回りきった段階で、競馬場がどよめく。
実質的な、日本競馬のターフビジョンデビューを飾ったのは、ミスターシービーだった。
記録に残る脚でシービーが加速し、カツラギエースが逃げ、サンオーイが割る。
大歓声。応援であり、叫びであり、罵倒。
シービーと連呼する者、サンオーイを連呼する者、買った馬券の数字を連呼する者。
そして、激戦をカツラギエースが制する。
ゴールしてから数秒は、歓声よりも、罵倒が多かった。サンオーイが負けた事に、カツラギエースが勝った事に、ミスターシービーが1着でなかった事に。ため息ではなく、唸り声でもなく、罵倒であった。
実際、今でこそ競馬の応援はおとなしいと言えるが、競輪等は、それはもう、金網の上から選手の捌け口に向かい、文字にできないような罵倒が今でもある。当時の競馬場は、それがまだ顕著だった。応援しているから許せない、大金を張っているからこそ許せない。ガチャで目的の品が出ずに罵声を上げるのと大差ない。
カツラギエースは、ウマ娘のアニメのライスシャワーのようなヒール、悪役までには行かなかったが、最後まで、純粋に良く走ったという祝福の拍手からは、縁遠かったような気がする。勝てば毎回、唸り声だった。1番人気で1着となったこの年の宝塚記念にしても、勝って当たり前だろ、という雰囲気だった記憶がある。
この毎日王冠も、シービーがサンオーイを負かした際には、シービーに対して罵倒があった筈だから、損な馬だった。シービーが被っていたこの日の悪役まで、引き受けたのだから。
単勝は480円、枠連は770円だった。これは3番人気のカツラギエースが1着だったからだが、まず、馬券師は買っていた馬券になる。自分もそうだ。だからオケラ街道を進む者は少なかった。勝っても文句を言うのもお約束。来ると思ったんだよと、自慢する者はいない。そういう世界だった。
「はい、立川祥寺おめでとう」
「登戸小杉おめでとう」
白タクの運転手がにこやかに、勝った客に向けて声をかける。白タクとはモグリ営業のタクシーで、現代でも生き残っている。
駅までの道には、啖呵売、映画の寅さんのような露天商も多く、ベルトを紐の様にまとめて手に持っていたり、インチキなメーカーのサイフだったり、腕時計だったり靴下だったり。靴屋がいるのもお約束で、箱から靴を出してその箱の上に整然と歩道に並べていた。他、干物とか缶詰も多かった。
カンッ、カンッと、音がする。その露天商の裏で、背広を来た紳士が、新品の缶詰同士を叩いてへこませていた。
缶詰工場のご隠居が、品物を盗んで、わざと傷物にして、販売して小銭を稼いでいたのだ。その銭は、愛人と遊ぶ銭に消えるのだと、聞きたくない情報が小耳に飛び込む。
サンオーイは負けた。ミスターシービーも負けた。カツラギエースが勝った。だが、馬券的に損をした者は、少ない。
1984年の毎日王冠は、そんな不思議なレースだった。
(終)
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