ミスターシービーの墓は何故質素なのか
総論までの長い道
結論だけをお話し、それが新しい何故だになってしまうのを避ける為に、少々長くなりますが、時間潰しの読み物としてご利用ください。
できる限り背景資料になる物はご提示しますが、不文律にソースを求められても困るだけですので、そこはご理解ください。横書きなので、漢字表記を使い分けております。
※更新情報
2022.03.19 公開
2022.03.20 誤字脱字訂正、テンポイト証言動画追加、牧場来訪諸注意追加
紹介サイトをよりわかりやすい物に差替え。 最後に欄も追加。
2022.03.23 公式カテゴリに追加。『スポーツ・他競技』
2022.03.28 週間「もっとも多く読まれた記事」選出。
2022.04.01 無断転載に関して補足喚起とそれに付随して画像加工。
2022.06.10 参考資料追加。
2023.02.08 パーソロンの元の墓 追加。
違和感を感じたライスシャワー献花騒動
ウマ娘のアニメ2期でツインターボ師匠にやられ、1993年オールカマーを観るだけで涙が流れるようになった頃、京都競馬場にある、ライスシャワー碑に青薔薇を献花したのは如何なものか、という騒動が起きた。
要約すれば、青薔薇の花言葉と合わない、献花に薔薇を使うべきではない云々。艦これの登場から擬人化に関する各種問題はどのゲームでも大なり小なり起きているが、この話を聞き読んだ際、違和感がいくつも浮かんだ。
ライスシャワーと青薔薇が合わないのなら、何故公式が使っているのだという話や、青薔薇が作られたのがライスシャワーが召されてから7年後、という話は別なので横に置き、墓や碑に薔薇を使うべきではない、という部分。
まず、こちらをご覧いただきたい。
ウマ娘でもセイウンスカイやニシノフラワーでおなじみの西山氏の活動記録で、東京競馬場の馬頭観音入魂式での写真。菊に混じって普通に、色とりどりで多くの薔薇が使われている。
日本の競馬の歴史は欧州からするとまだ浅く、召された馬の処遇に関しても、大差がある。欧州では普通に献花が赤薔薇で埋まるのは普通。日本でも、馬が召された場合の献花台に、必ず薔薇はある。
馬に薔薇を献花しても、例えそれが紫色でも、どこにも、何も、問題がないのだ。人間相手の仏的作法に比較すると、問題になってしまう様に見えるだけの話。お坊さんがこの状態で読経するのだし。
薔薇が不謹慎ならば、馬頭観音入魂式での薔薇も不謹慎になるが、それを指摘できる者はいない。鉄火場の現地である東京競馬場で、それも競馬場関係者の前での行事なのだから、不謹慎になる筈がないし、不謹慎だと言う者が、勉強不足という話になる。実際、名馬の墓に対する献花で、写真を調べれば、当たり前の様に薔薇はあるのだから。服を着ている王様に向かって、王様は裸だという子供は、ただの蒙昧だ。
ただし、献花した側が、どのような考えで行ったかまでは、免罪符になる話ではない。
反面、もしかして、馬の墓と碑の違いを、今のファンは知らないのではないかという疑問もわいた。馬達の墓が、存在して当然だと、思ってはいないかと。
ウマ娘アニメの1期の頃から、モデルとなった馬の墓の話がされるようになり、中でもミスターシービーの墓が、雑だのしょぼいだのという話が出るようになる。
自分がこのまとめを見たのは青薔薇献花騒動の後だったが、ミスターシービーの墓は、確かに他の三冠馬からすると、地味を通り越している。
だが、それは今から見ているからであって、墓ができた当時の話を一切加味していないのが問題。
そしてミスターシービーの墓は、今後の状況が変動しない限りは、今のままでなければ、ならないのだ。
ここから先の話は、競馬という現実とウマ娘という虚構の差に暗然な気分になられる方も出ると思うので、ここで注意喚起させていただく。
そもそも墓のある馬が珍しい
予後不良や用途変更の話は、この論とは異なる話になるのでしない。調べる場合は自己責任で。踏まえ、競走馬に墓があるというのが、実は珍しい。
トウカイテイオーの東京優駿2着で、不在の菊花賞で優勝したレオダーバン(ウマ娘ではリオナタール)の墓は存在しない。馬そのものが、行方不明になったから。
ハルウララにしても、長年、行方不明の扱いだったのは記憶に新しい。
これは過去の話ではなく、2001年オークス馬であるレディパステルは2019年に繁殖引退後、行方不明となった。これもまた競走馬が背負う業だ。
名馬列伝に名を馳せる馬達も例外ではない。凱旋門賞馬ですら、日本で種牡馬になった後に行方不明になり、数年後に調査してみたら墓すらなしという事も。
ガーサント、という種牡馬が亡くなった後の話で、埋葬地の上に施設道路が作られた際のオーナーの話に落語のようなオチがあるが、確かな出展が不明なので、ここでは記載しない。
どんな馬でも、墓が作られるという事が、以前はなかった。施設内の馬頭観音に一緒に埋葬されるのが、通例であり、一般的だったのだ。扱った馬に、成績による優劣を付けたくないオーナーの意向もある。この意向が、ある意味ウマ娘化の壁になっているとも言えるだろう。
その時の状況、環境、世論が、馬の墓を望む。その転換期には、2頭の馬が存在した。ハイセイコーと、テンポイント。
馬産地に利益をもたらしたハイセイコー
ハイセイコーの戦歴や業績は、ご興味を持ったら調べていただくとして、どんな馬かと端的に言うと、概念としては中央クラシックに出走できたオグリキャップになる。オグリキャプからすると、出走できなかったハイセイコーになる。
1975年1月に引退したハイセイコーは北海道新冠町の明和牧場に。ここにファン達が押し寄せるのだが、当時まで、馬産地まで訪れるファンは、早々にいなかった。
北海道へのアクセスの悪さや当時の高額な飛行機代、また札幌等の観光地以外はまだまだ有名でもない。『北の国から』は、この6年後からだ。
ここで、馬産地や馬の繁殖が、街おこしになるのだと、個人も法人も自治体も気付いたのである。ハイセイコーには専用展望所が作られ、グッズも飛ぶように売れた。ノーザンテーストの登場で種牡馬としての人気が落ち始めた途端、産駒のサンドピアリスがエリザベス女王杯を、ハクタイセイが芦毛馬として初となる皐月賞を取り、人気が回復。それが種牡馬引退まで続き、今でも墓参者が多い。
馬の墓参を定番にしたテンポイント
ミスターシービーの父であるトウショウボーイ、そしてグリーングラスと激戦を繰り広げたテンポイント。現在のウマ娘の立ち位置としては、メイショウドトウを想像してもらえるとわかりやすい。2着に甘んじていた馬が、大舞台で勝つという流れ。
1977年第22回有馬記念でトウショウボーイに勝ち、海外遠征案が浮上。『関西のファン』からの多数の要望で壮行目的で日本経済新春杯に出走し骨折。即座に安楽死を獣医から求められる最悪の状態だった。
だが馬主が決断を1日保留した間に、助命嘆願が万に近く寄せられ、種牡馬としてどうしても残したい馬主サイドとの考えも合致し治療を開始。だが甲斐なく43日後に召されてしまうが、この期間の治療記録はその後、トウカイテイオーの治療にも活かされる話になる。
延命に賛否はあるものの、明確に、ファンが自分の意思で、競走馬の墓参りをしたいと示したのは、このテンポイントの一ヶ月以上の延命激闘によるところが大きい。
こちらの動画では、最後にちらりと、テンポイントの墓が写るが、その墓は、墓標ひとつ。ミスターシービーと同じ。
ただし来訪者が多いと判断され、同年のうちに、対外的に向けて、墓が整備された。
テンポイントの墓は、墓参りをしてもらう前提で、今の形になったのである。
サルノキング事件とターフビジョン
中央競馬は、大別すると土日に関東と関西で開催される。
現在ではどこの競馬場からも中継がリアルタイムにつながり、大画面ターフビジョンで違う競馬場の競馬も確認できるし、馬券も購入できる。
ターフビジョンが東京競馬場に導入されたのは1984年9月。ミスターシービーの天皇賞秋の前、シンボリルドルフが三冠街道をバクシンしていた時だ。
1982年、このターフビジョン設置を急がせる導火線にもなった事件が起きた。通称、サルノキング事件である。
中山競馬場、第31回スプリングステークスにおいて起こった八百長騒動になる。実際の話としては、八百長は存在しなかったとされているのだが、騒動になったのには理由があった。
サルノキングは元々関西圏で活動していた馬で、所謂、差しや追込に代表される、後方一気の馬だった。ところが関東圏で出走した2つのレースで掛かってしまい、関東の競馬ファンや馬券師は、サルノキングが先行馬だと、勘違いしてしまう。
関東と関西が、双方のレースを確認できていなかった時代の、情報齟齬。スプリングステークスで、同じ馬主の馬が一着になったのも、タイミングが悪かった。レースを観ていた『関東のファン』が、「サルノキングは本来先行馬だ! 先行馬をわざと後方待機させたに違いない! 一着に入った馬を勝たせる為の八百長だ!」と叫ぶ構図が、できあがってしまったのだ。
現在でも美浦トレセン所属馬を「関東馬」、栗東トレセン所属馬を「関西馬」と区別しているが、テレビ放映のない時代は、自分達の地元の競馬馬しか知らないのも当然であり、ターフビジョンとテレビ中継の技術向上から、2ヶ所の競馬開催が一体化したように見える提供が始まった。『関東のファン』『関西のファン』と括ったのは、それ以前の話だったからである。その中でハイセイコーとテンポイントは戦い、評価されたのだ。
テンポイントにも言えるが、関西馬が全国区に飛び立つ場合は、競馬実況も沿った内容になっていた。杉本清アナウンサーの実況が、顕著。
「見てくれこの脚! 見てくれこの脚! 関西の期待テンポイントだ!」
この実況は関東に向けてであったと、ご本人が語っている。
時代の流れにも乗り、またミスターシービーとシンボリルドルフの三冠馬が『全国区としての』人気に拍車をかけて行く。
ちなみにサルノキングの鞍上は、1993年の有馬記念でトウカイテイオーの騎手でもあった田原騎手で、サルノキングはこのレースで骨折引退。1993年に種牡馬を引退した後、行方不明となる。
カツラギエースの台頭、あっと驚くギャロップダイナが天皇賞秋でシンボリルドルフを破り、俄然競馬が盛り上がる。競馬が公営賭博から娯楽に転じる時代でもあったのだ。その勢いは1986年にシンボリルドルフが引退した後も、同年のメジロラモーヌ牝馬三冠、そして1987年には、怪物オグリキャップがデビューし、現在まで続いている。
二代目三冠馬であるシンザンの墓の謎
ミスターシービーがクラシック三冠馬になるまで、三冠馬はシンザン以来、19年間登場しなかった。シンボリルドルフからナリタブライアンの間は10年、そこからディープインパクトまで11年。三冠馬は滅多に出ない。
シンザンが召されたのは1996年の7月。当時のサラブレッドの日本最長寿記録を作り、現在でもシンザンがGIの競走勝ち馬の最長寿記録馬になる。
さて、ミスターシービーが召されたのは2000年12月。4年の差がある。
このシンザンの墓の謎をご理解いただく事で、ミスターシービーの墓に関して、また競走馬の墓が持つ特異性を認識できると思う。
いくつかシンザンの墓を訪ねてというブログが存在しているので、まずはお読みいただきたい。
まずは2005年の内容。
次に、2010年。
画像を引用させていただく。
明らかに、墓として、紹介されている物が、まったくの、別物だ。
では謎の答え合わせ。
2010年に紹介された墓標ひとつの写真が、本当の、シンザンの墓なのだ。現在の碑は17回忌で建立された。ただしこれには理由がある。ふるさと案内所の紹介記事の中に、『功績を称えられて製作された像。一般参拝はこちらでお願いしている』と別途記載されていたのにお気付きだろうか。
現地では現在でも、シンザン像を墓として扱い、本来の墓には立ち入りしないように、誘導しているのだ。だから馬の像を本当の墓だと信じている方が、実際多いと思われる。墓ではなく、碑としているのも、その理由。
本当の墓は質素なままで、別の立派な像を墓とした。何故か。
その説明の前に、ミスターシービーの墓の謎が、ひとつ解ける。
召された2000年当時、二代目三冠馬であるシンザンの墓が質素なのに、三代目三冠馬であるミスターシービーが、それより派手にできる筈が、なかったのだ。
2011年に召されたシンボリルドルフの墓も、母父のスピードシンボリと、父のパーソロンとの合同家族墓で、単独ではない。
また管理の問題もある。98年に召された四代目三冠馬ナリタブライアンの墓は、質実剛健な石造り。これは優駿メモリアルパークという背景も関係する。テンポイントと同じで、見てもらう為に最初から作るのでは理由が違う。
ちなみに、馬頭観音と馬碑の違いは歴史と哲学と宗教の戦いになるので、今回は省くが、墓という表現ではなく、馬碑とするのが一般的だ。やはり、墓とするのは、まずい理由があるのだ。
墓にしてしまうと、博徒が博打のお守りとして、墓を削ってしまうから。だからシンザンもミスターシービーも、墓が木の墓標ひとつにしか、できなかった。
シンザンの墓が馬の像にされていて、そこに誘導される理由は、墓石を削られたくないから。だから銅像にし、硬い石の土台にし、質実剛健の石の墓に、するのだ。墓ではなく、碑なのだとして。
2022.06.10追加部分
上記漫画『優駿たちの蹄跡』1巻、及び4巻に、シンザンの墓に関する記載があるので、参考願いたし。当時から、ファンの悪行があったとわかる。
尚ミスターシービーは、14巻で扱われている。
(追加ここまで)
2023.02.08追加部分
パーソロンの元の墓
こちらの記事(公開は2011年1月27日)は、まだ引退したシンボリルドルフが生きている頃の物。記事公開の2011年11月にルドルフは亡くなる。現在は、この墓に、シンボリルドルフの名前が刻まれているが、ではこの前段階は、どうだったのか。
背景の屋根やサッシがまったく同じ。つまり、この墓標一本が、千葉のシンボリ牧場の、元のパーソロンの墓になる。パーソロンはシンボリルドルフの父で、種牡馬としても特大に有名。
このパーソロンの墓は、シンボリルドルフが一緒になる前提で、現在の墓になったというのが時系列でわかる。逆を言えば、ルドルフが七冠馬にならなければ、この墓標のままだった可能性が高い。基本、ミスターシービーの墓は、当時としては別段珍しい仕様では、なかったのだ。
映像の詳細だが、ルドルフ引退式が冒頭にあり、引退後に発売された品で、題名は『シンボリルドルフ』。現在のポニーキャニオンが発売元になるが、その後『シンボリルドルフ 今、伝説が生まれた』という題名変更だが内容は同じで再販となり、バーコードも割り振られているが、作品そのものの閲覧確認できる公的記録が存在しない為、現状でどの情報が正しいのか記載できないので、ご了承願いたい。販売媒体としてVHSは古く、そこから現在のDVD等に至るまで、媒体を変えて再販が多くされるのだが、残念ながらルドルフの品は、少ない。
(追記ここまで)
歴史の悪行か、あやかりたいだけか
博徒のお守りとしての墓石を削る。
ねずみ小僧の墓は、前立てという削る用の墓石まで用意されている始末。つまり削る行為が推奨されている。これは止めても無駄だからという諦めと、江戸時代から続く民間伝承のひとつとして、生活の中に組み込まれてしまっているから。現代でも定期的に、パワースポットだのと紹介される。
問題なのは、墓を削る行為を、有名にしてしまった事実だろう。
反面、国定忠治の墓は、削られるから柵を設けた。紹介した旅行記にあるように、偉人に間違いないが今でいう反社会勢力なので、扱いが難しいと。
他、優秀な博徒の墓が削られる話は、漫画でも取り上げられている。鷲巣巌との鷲巣麻雀から生還した赤城しげるが以下略。
博徒の墓石をお守りにという話は、当然、優秀な競走馬にも通じる。それも三冠馬なら、半端ないご利益があるだろうと、皆考える。
競走馬の墓には4種類あり、削られても問題ない石の素材で作るか、木の卒塔婆や墓標にしておくか、削られない硬い石にして管理者を置くか、単独では作らないか、になる。
ここでライスシャワーの墓と、京都競馬場の碑を引用で、比べてみる。
京都競馬場の碑は、あきらかに削られても良い石で作られている。トウカイテイオーの墓もそうではないかという説がある。
削るなら、荒らすなら、墓ではなく、こちらの碑でと、暗黙に訴えているようにも見える。実際に青薔薇問題は、墓ではなく、碑で起きた。ある意味、狙い通りであったと言えるかもしれない。
名馬の墓と呼ばれる物には、形状が丸い物が場合が多い。質実剛健を含め、削られ難い対策である。
ただし、やはり三冠馬は別格。博徒が狙うのは当然で、ライスシャワーは博徒からすると、「験が悪い」のだ。テンポイントやサイレンススズカも同じと説明したら、不謹慎だがわかりやすいと思う。削る墓としては、狙われ難い。
またシービーの墓のある場所は、他の三冠馬から比べても、比較的容易に行ける場所だ。あの千明牧場三里塚分場そのものをシービーの墓に見立てていると関係者の証言があるが、確実なソースは、ない。
きちんとした管理監視がない以上、墓が削られる。これが、現在のミスターシービーの墓が質素なままの、最大の理由なのだ。それは博徒だけではなく、後述する銭の亡者共も呼び寄せる。
ミスターシービーの墓は左側で、右側は千明牧場の馬頭観音であり、母シービークインも眠っている。
施設内の馬頭観音に納められるこの姿が本来の競走馬の墓の姿であったと上記したが、この光景は並んでそれが確認できる稀有な光景でもあるのだ。
ウマ娘のおかげで、貴重な写真も、今の時代だからこそ、見れるようになった。この、ミスターシービーが召される7ヶ月前の写真は、後述するが近隣の方しか撮影できなかった事情もある。
街おこしの筈の産地訪問がお断りになった理由
コロナ云々ではない。競馬ファンの皮を被った人間の非道。それしかない。
馬が召された場合は、火葬が土葬で、現在は圧倒的に火葬。その際、尻尾とたてがみを遺髪としておく。
それが墓石と同じような効果があるとされているのが、このような非道に走らせる。自分で使うよりも、高額で売るのが目的だ。競馬人口が増え、一般人が馬の近くにまで行けるようになったから、起きた被害。
タイキシャトルのたてがみは、3999円で販売された。許せぬ。おまけに器物破損でも被害軽微とされでしまうのだ。犯人はブログで自作自演までやっていたのにも、だ。
反面、公式が、売っている場合もある。現在は愛護の観点からまずは否定されるが、ハルウララでさえ、高知競馬で一時期、販売した。
生きている功労場でさえこれだ。中には白いアイツのたてがみに挑んだ命知らずもいた。
ならば、安易に入手できる墓石の欠片があったとしたら、どのようになるのかは、考えなくてもわかる。だからミスターシービーの墓は、現状では、今のままが、ある意味理想なのだ。
千明牧場の経済的な問題があると考えるのも正しいかもしれないが、あの広大な牧場跡を雑草も生えず荒れ地にもならず維持できている現実は、それを否定する。あの跡地を処分し、墓を移設し新規にどこかに作れば、良いだけなのだから。跡地全体がシービーの墓であるというのは、あながち噂だけでは、ないのだろう。
これが、シービーの墓が、質素である理由に、なる。
現在、昨今のご時世の影響により、千明牧場三里塚分場を含め、他馬の同種施設は、立入制限が行われており、情報は個別に得るしかないのが現状。墓参をする際には、事前に現状を調べてからで。そうでなければ現地に行って立ち往生もある。
種付けの時期等の見学は、どう考えても無理なのは当然だ。
尚、競走馬の墓参りに関しては、競走馬のふるさと案内所の閲覧をおすすめする。ルールを事前に理解するのが、問題回避の一歩になる。小さな問題が積み重なり、最終的に、コンテンツが滅びる愚を、誰も見たくはないだろうから。もうその綻びは、見え始めているが、まだ間に合う。
資料引用まとめ・ミスターシービーの墓の変遷
年代順にご紹介。あの墓標に何と書いてあったのかが確認できる。そして当然のように、薔薇が、ある。
コウジュ様のご厚意により記事見出し画像使用をご了承いただきました。感謝致します。
夢の話
千葉県成田にある三里塚は、古代より馬と人との係わりが深く、1875年に下総牧羊場・取香種畜場、後の宮内庁下総御料牧場が開設された。
多くの民間牧場が現在も存在するが、成田空港問題が起き、ご存知説明不用の大事になる。
千葉時代のシービーの公的な写真が少ないのは、これが原因。良いカメラを下げて歩こうものなら、色々と大変だった。現在でも、地図にある東峰神社に参拝するだけで、職務質問の雨あられが降る。なので当時の地元の方々しか、写真を多く残せなかった。自分も撮影ができなかったひとり。
この荒れてしまった地を鎮める為に、ミスターシービーとシンボリルドルフが、成田空港を挟んで裏鬼門と鬼門に配置されたという説がある。
絵馬の起源は、神様に神馬として生きた馬を献上する風習から来ている。
どんな絵馬より強固な三冠馬らだ。鎮められない筈がなし。何より、ミスターシービーとシンボリルドルフは関東馬であり、以降の三冠馬は、すべて関西馬なのである。
そしてウマ娘内では会長が以下略。
最後に
自分はミスターシービーのレースはすべて現地で観ました。
ウマ娘で扱われているレースの多くも生観戦しております。オグリコールも、あの中に自分の声があります。テイオーの復活はパドックで予測されており、馬券を求めて阿鼻叫喚だった裏側も。
シービーの天皇賞秋。あそこで復活だったと当時は思いましたが、続くジャパンカップ。第4コーナーからの直線、シービーが、来ない。カツラギエースが逃げ切り、ルドルフが負けた。
この時に理解してしまったのです。そうか、シービーは、ルドルフとの対決の前に、燃え尽きたのか、と。
当時は馬にとってのマイナスな情報は、勝負事ですしSNSもない時代。表には出ませんでした。蹄の話も、多くは引退後から。
アナウンサーの草野仁氏が、シービーの蹄鉄を、某鑑定団に出した回がありました。名馬の蹄鉄は東京競馬場でも見る事ができ、当時の素材もありますが、シービーの蹄鉄の減り具合は、他とまったく違います。
鑑定団に出された蹄鉄は天皇賞秋の物だったと思いますが、蹄鉄が、千切れかけていました。シービーは、ルドルフとの戦いの前に、全力を出し切り、本当に、燃え尽きていたのだと物的に確認できました。
歴代三冠馬で、距離は異なりますが、天皇賞秋を制覇したのは、シンザンとミスターシービーのみ。コントレイルでさえ、無理でした。これも二頭の共通点ではありますが、シービーはここですべての力を出さないと、天皇賞秋を勝てないと、知っていたのかもしれません。
ジャパンカップ、有馬記念、天皇賞春と、シービーはルドルフと対決しますが、すべては天皇賞春での最後の挨拶に向けてのカーテンコールだったのではないかと。特に天皇賞春の走りは、菊花賞で同類になった白いアイツの引退有馬記念と同じでした。全力でやったが、もう無理だと、皆に知らしめた。負けにも美学があると、この時認識したです。
当時、一度でもルドルフに勝ちたい勝たせたいと思う陣営の意見やマスコミの論調もありましたが、馬券を買う立場、応援する立場からすると、もう早く引退させて、種牡馬で後につないでやってくれ、という意見が大多数でした。同じ三冠馬で優劣を付けるようなファンは皆無。何故なら、シービーの同期であるカツラギエースがルドルフに勝ち、シービー世代と呼ばれる本格化した馬達がルドルフと戦っていたから。その馬達に、シービーは勝っていたから。その頃には、天皇賞秋のレースの意味を、皆が知っていました。
逆にそれは、シービーが早熟馬だったとの証明にもなったのです。白いアイツの兄である暴君オルフェーヴルは、早く引退し種牡馬になりましたが、引退してから身体が更に大きくなり、強くなるのはこれからだったのかと、皆が地団駄を踏んだ話は有名で、その正しさを白いアイツが証明しました。
馬には、早熟から晩成まで、個々にそれぞれ。周囲の期待や頑張りは別にして、シービーは普通に満足して、ルドルフに負けても、仕方ないじゃんで、終わらせてたと思いますね。
馬券師は、現実的です。オグリキャップのラストランである有馬記念では、人気投票は1番、馬券人気は4番と、懐事情は人気とは別だと、嫌でも数値に残る現実を見せました。
それから約40年、ウマ娘にて、思い出のウマ達に出会い、そしてあのシービーがそれはもう美しい姿で。
実装お願いしますマジで。
最後に、一番この世界でシービーに拘った馬の墓石を乗せて、終わります。お付き合いいただき、ありがとうございました。
ゆっくり寝かせてあげなさいってw
君の扱いをどうしようかで運営はきっと困っているんだからw
以下参考資料
母父として、孫であるウイングアローが、第1回ジャパンCダートに優勝したのを見届けた20日後に、ミスターシービーは召された。
トウカイテイオーの後塵を甘んじ続けた息子シャコーグレイド(ウマ娘ではシガーブレード)は、父親譲りのイケメンを買われ、最晩年に映画に出演した。
血脈は、まだまだ続く。
ウマ娘を観てから、過去の実際のレースを観ても、泣いてしまうのですよ。
2022.04追記・無断転載に関して
ネットの特性上、転載されるとは考えておりましたが、この記事を上申してから一ヶ月以内に、少なくとも三ヶ国語に翻訳公開され、さも自身が書いた記事のように振舞う泥棒猫が残念ながら確認されました。
この記事の元URLが記載されてはいるものの、それらの記事は、当方とは一切、関係はございません。これだけは、明確に表明させていただきます。他サイトのnoteの記事が転用転載された場合の対応を調べますと、当方が他サイト側に交渉するのが基本のようです。
しかし、日本語や道理が通用しない相手に対しての労力は、徒労に終わるだけの未来しか見えませんので、ここで別途注意喚起させていただきます。
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また昨今のyoutubeの解説動画等で、wikiの丸写し等、他人の成果を簡単に盗む輩も増えております。音声等に起こす際、考における引用を明記するなら、当方は問題視しません。ルールを守って楽しく。
©2022 電撃0011
(終)