ミスターシービーの、12の小噺
ミスターシービーの墓の記事が海外にも飛び火し、何故だと思って調べてみると、香港や台湾の競馬人口は思った以上に多く、ウマ娘に関しても、日本以上の盛り上がりを見せており、シービーの墓の話も、相当な話題になっていたようです。
なので、今回はウマ娘内の話も含めながら、ちょっとマニア向けなお話。
その前に、前回の記事で問題となりました、無断転載に関する注意喚起です。
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①タマモクロスの夏合宿にシービーが出る理由
タマモクロスの父シービークロスは、ミスターシービーと同じ、千明牧場の馬。
ミスターシービーの母であるシービークインの二歳下になる。
2分28秒辺りで、ミスターシービーと同じ吉永騎手で同じ勝負服、同じ戦法を取る馬、シービークロスが見える。
天馬一族ではなく、千明牧場一族とするべきだろう。尚、ウマ娘内でのトウショウボーイ天馬一族は、ミスターシービー(父)、スイープトウショウ(母母父)、ウオッカ(母母父)、マチカネフクキタル(母父)になる。繁殖牝馬にトウショウ一族が多いからだが、②でもう少し、掘り下げる。
尚、ミスターシービーの妹か弟が、タマモクロスと兄弟姉妹になる可能性が、あった。
②ファイントップ系
ダビスタならおなじみの血統は、ウマ娘から入ると、正直わからん、という場合が多い筈。メジロマックーンと白いアイツの関係、キングヘイローとカワカミプリンセスの関係等、早い話が親子親戚関係の話。
ファイントップという馬が、数ある仔の中で、有名な二頭に血を残した。一頭は、シービークインの父である凱旋門賞馬のトピオ、もう一頭がディクタス。サッカーボーイ(ウマ娘ではディクタストライカ)、イクノディクタスの父になる。
サッカーボーイはナリタトップロードの父であり、後継種牡馬として期待されたナリタトップロードは残念ながら九歳で召される。
サッカーボーイの全妹であるゴールデンサッシュが、サンデーサイレンスとの間に産んだのが、阿寒湖総大将キンイロリョテイこと、ステイゴールド。そこから先はご存知の通り。
ファイントップ系の特徴は、気性難・マイルから中距離馬・日本より海外の芝が良く走る、とされる。ただし血が引き継がれる段階で、変化するのは当然なので、これは現状の話。
ミスターシービーのパドック映像を観ると、日本ダービーまでは、相当にやんちゃなのだが、菊花賞からおとなしめになり、ジャパンカップでは、静かそのものだった。逆に、このパドックの様子を見て、馬券的にミスターシービーを切った馬券師も多かったのを記憶している。
ちなみにツインターボ師匠も、母レーシングジイーン、母父サンシー、母父父サンクタス、母父父父ファイントップとなる。
③上がり3ハロン、33.7秒の衝撃と比較基準
1ハロンは200mで、上り3ハロンは、ゴールまで600mのタイム、という意味。
現在では珍しくないタイムではあるが、過去の芝の比較対象として、ミスターシービーが毎日王冠で記録した上がり3ハロン33.7秒は、現在では旧芝様式での記録として、基準器扱いとなっている。
ただしこの毎日王冠では、ミスターシービーはカツラギエースに負けている。
④芝2000mの一族
1984年の天皇賞秋で、ミスターシービーは東京競馬場芝2000mを、1:59.3というタイムでレコード勝ちした。
1977年の毎日王冠で、シービークインは東京芝2000mを、2.00.2でレコード勝ちしている。つまり母と息子で、同じ競馬場の同じコースの記録を塗り替えたのだ。
ちなみに、1984年当時の、2000mのレコードタイム所有馬はミスターシービーの父であるトウショウボーイが記録した、1976年神戸新聞杯の、阪神芝2000mの、1.58.9になる。
後述する⑥で、2000mサンケイ大阪杯でもハナ差の激走。ジャパンカップと有馬の敗戦を考えれば、ミスターシービーは2000mがベスト距離であると、当時の競馬素人でもわかる結果となった。
⑤天皇賞秋が2000mになった理由
シービーに勝たせる為に距離を短くした、という噂があるが、間違いなく嘘。最大の理由は、1981年からのジャパンカップ実装にある。直前に3200mも走っていたら、疲労してジャパンカップで走れない、という現実を踏まえての距離変更になった。
何故勝たせる為に云々という噂が出たのかは、ミスターシービーが天皇賞秋に勝利するまで、一番人気の馬が18連敗をしていたからによるところが大きい。そしてシンボリルドルフ以降の三冠馬は、天皇賞秋を勝利していない。それだけ難しいローテーションという意味でもある。
またニッポーテイオーからテイエムオペラオーまで、一番人気の馬が12連敗した。
またミスターシービーのジャパンカップ10着という事実が、天皇賞秋への参戦の足枷になっていると考える節もある。
以下天皇賞に関する参考文献。
⑥ステートジャガー事件
ミスターシービーをサンケイ大阪杯でハナ差で下し、シンボリルドルフが出走回避した宝塚記念で一番人気になりながら4着になったステートジャガー。宝塚記念後に尿からカフェインが検出されドーピングによる失格となった。
ただしこの事件は謎が多く、出走前に匿名の告発があったと報じられるが、これは、一着から三着まで尿検査があるが、四着のステートジャガーにどうして尿検査を行ったのかという疑問の答えとして用意された物であると判断する。実際は人気馬が着外になった場合にも、尿検査は実施されるから。
また騎手が、サルノキング事件の騎手でもあった田原騎手というのも事件の棘となってしまった。
何故カフェインが検出されたのかは未だに不明。尚、ステートジャガーの父はサンシャインボーイ、その父はテスコボーイ。つまりサンシャインボーイは、ミスターシービーの父トウショウボーイと父が同じだった。
ステートジャガーは、南関東公営競馬で活躍した後、笠松競馬場に移籍し、古馬になってから中央に移籍した苦労場であり、地方の星でもあった。展開によれば、ハイセイコーとオグリキャップの間に位置できた馬だったのだ。躓いてしまったが、相当に強い馬だった事実は変わらない。
高松宮杯に出走予定であったが、疑惑のある馬と批判が起こり出走取消。その後故障により引退となり、1997年より行方不明。
尚、1989年に、サンシャインボーイはオグリホワイトの父になる。オクリキャップの半妹。
以下参考レースと文献。
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* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 最多出走記録250戦を更新し、最終的に266戦まで伸ばした。
現在、この記録は更新されてしまったが、ハルウララ後の高知競馬を盛り上げたのは間違いない事実である。
⑧初の親子顕彰馬選出
JRA顕彰馬とは、殿堂入りした競走馬という概念になる。選出方法が昔と今とは違うが、そこは興味を持った方がお調べいただくとして、1984年の制定時にトウショウボーイ、1986年にミスターシービーが選出され、初の親子顕彰馬選出となった。
その後、親子顕彰馬選出は、現在までに、4組。
近接の文献で、3組としている場合があるが、これはクモハタとメイヂヒカリを親子と認識していない勉強不足からによる。
以下西暦は選出年。
1組目 トウショウボーイ1984年 ミスターシービー1986年
2組目 クモハタ1984年 メイヂヒカリ1990年
3組目 シンボリルドルフ1987年 トウカイテイオー1995年
4組目 ディープインパクト2008年 ジェンティルドンナ2016年
⑨産駒が走らなかったのは何故か
理由は各種あるが、総論としては当時の血統云々以前に、残した産駒の総数からして、種付け料が、高額過ぎたから。これはミスターシービーだけではなく、シンボリルドルフにも適合する話。数撃てば当たるの数そのものが、少ない。
初年度産駒ヤマニングローバル、二年目のシャコーグレイドの好走により、種付け料が当時の最高額2000万円になった。
その額は名誉ではあるが、バブル時期とはいえあまりにも高過ぎて、おいそれと種付けができなくなり、結果、産駒の総数が減ってしまう。産駒の数が少なくなれば、それだけ走る可能性が低くなる。
現在ではその反省を生かし、白いアイツの種付け料は300万円前後が毎年の推移。
ただし、産駒の成績が上がれば種付け料が上がるのも経済論理。ディープインパクトは初年度1200万円の種付け料で215頭の種付け総数となったが、現在の種付け料はコントレイルやジェンティルドンナの活躍により、4000万円になってしまった。
もちろん種付けも進化しており、ミスターシービーやシンボリルドルフの時代より、強い競走馬を作れるようになり、ディープインパクトは4000万円の種付け料でも種付け総数はあまり変わらなかった。これは、ミスターシービーとシンボリルドルフの、過去の失敗から学んだ結果なのだ。
ちなみに、シンボリルドルフやオグリキャップは、種付けを株化したシンジケート方式が取られたが、反面、種付け数は年間70頭前後に抑えられた。これはディープインパクトの毎年種付け数の、およそ4分の1の頭数にしかならないのも、血統云々以前に産駒が先細った原因でもある。また、繁殖牝馬の質も、当時と今が違うのは、留意点になる。そして当時の種付け制度の問題もある。ミスターシービーの誕生秘話になっているが、本来シービークインは、トウショウボーイとは、種付けできなかったのだ。千明牧場側は、トウショウボーイにシービークインを種付けしてほしかったが、トウショウボーイは所属する日高軽種馬農協の組合員以外との種付けは受け付けていなかった。だがトウショウボーイ側も、当時からすれば、繁殖牝馬として一級品だったシービークイン(毎日王冠をレコード勝ちした牝馬)を逃したくないという実績作りが合致して、同じ新馬戦でデビューした二頭は見事にミスターシービーとして結実するが、制度からは外れていたのは確か。またステイゴールド産駒の活躍が目覚ましいが、例えば、オルフェーヴルと白いアイツの仔同士は、世代を挟まないと、種付けは、できない。サンデーサイレンス産駒全般にも言えるが、強い仔同士でも血統的に種付けできない場合、結果的に先細るという現実が何度も繰り返されているのが、競馬なのだ。
⑩追込戦法には、種類がある
競走馬の脚質である追込とは、レース前半は後方待機、最後の直線で一気に瞬発力でになるが、実際、展開次第では、どん尻になる、他の娘にブロックされる等、ウマ娘では正確に描写され、日夜目覚まし時計を我々から奪い続けている。最近は、「たづなの言葉は信じるな」が、座右の銘。
追込戦法は『シービー戦法』とも呼ばれるが、それはあくまでも広義の話で、実際、ミスターシービー以前にも、追込馬は存在した。①で紹介したシービークロス、先駆としてはタニノムーティエになるが、勝って初めて評価される戦法なので、シービークロスと相まって、『シービー戦法』になった。鞍上吉永騎手が原因以下略。
追込とは聞こえが良いが、早い話、ゲートからのスタート下手、気性難と、結果的に癖のある馬の戦法になる。なので本来は、出遅れ追込と表現するのが、正しい。
また、『まくり』というのは狭義の追込になる。直線の短い競馬場で、3コーナー4コーナで後方から先頭を抜き去る。これが決まるのは、京都競馬場の菊花賞、天皇賞春が代表例で、他、コース設定の短い地方競馬場で起きる。ミスターシービーや、ライスシャワー、ディープインパクトが京都競馬場で見せた戦法は、この『まくり』に該当する。
では、白いアイツこと、ゴールドシップのステゴ一族は、どうか。同じまくりでも、更に二分化されており、スピードにものを言わせたミスターシービーとは違い、スタミナお化けを最大に活かし、他の馬より早めにスパートをかけて最後まで持続させるという、正にゴールドシップの固有スキルそのものが、もうひとつの『まくり』とされている。
要は、馬の能力により、異なる『追込』と『まくり』が存在するという認識で、結構。ゴールドシップが菊花賞でミスターシービーと同じ戦法をしたと表現されるが、実際は、違うのだ。
ウマ娘のミスターシービーの固有スキル演出や性能詳細等は、実装されてみないとわからないので、この内容は将来更新されると予め、お伝えしておく。
⑪『最強コンビ1-7 一点日本の夢』横断幕は本当にあったのか
第4回ジャパンカップのパドック横断幕に、『最強コンビ1-7 一点日本の夢』と書かれた物があったと、wikiを始めとして、各媒体で扱われている。
1枠ミスターシービー、7枠シンボリルドルフで、枠連1-7の意味。
反面、初の三冠馬対決になった段階で、そんなぬるい横断幕が本当に存在したのか、という意見も、2000年代になってから新しく競馬に参戦した、若い衆の間で囁かれた。
これは当時、クラスでビデオデッキを持っているのが三人いれば多い時代だし、今youtube等で確認できる当時の映像は、レースを挟んだ前後のみ。結果、あった、ないと、悪魔の証明の言い合いになる。ファンタのゴールデンアップル論争と同じである。
ではその答えを出す。無断転用防止策に、ご理解願いたし。
見ての通り、最強コンビ、という表現は、パドック横断幕には、なかった。前後が重なったのでもないが、たくさんの横断幕があったので、記憶が一緒になったのかもしれない。最強コンビと書かれた横断幕が正面スタントにあったかもしれないが、自分の記憶にはない。
当時のジャパンカップは、三冠馬対決という雰囲気ではなく、諸外国勢vs日本勢だった。だがカツラギエースが一着で駆け抜けた瞬間、東京競馬場が唸り声で包まれたのも、確か。一瞬の静寂と書かれた記事もあるが、それは絶対に、ない。
ミスターシービーとルドルフの対決構図が鮮明になったのは、ジャパンカップから有馬記念にかけての両陣営の舌戦であり、ファンや馬券師の考えは、それとはあまり、関係なかった。
⑫ブルードメアサイアーは、今日もどこかの競馬場を走る
ブルードメアサイアーとは、母父系。父系が廃れたとしても、この母父系は、強い。
今日も、ミスターシービーが母父系の競走馬は、必ずどこかの競馬場を、走っている。
さて、クワイトファイン、という種牡馬を、ご存知だろうか。
父にトウカイテイオー、父父シンボリルドルフ、父母にトウカイナチュラル(ダービースタリオンでは、アキタコマチとしてお馴染み)を持ち、母父にミスターシービー、母母父にシンザン、母母母父に、⑩で紹介したタニノムーティエ。
血統内に、5頭の東京優駿馬を抱え、その前身である東京優駿大競争を牝馬で初めて勝利したヒサトモも含めると、広義の意味で、日本ダービー馬6頭がいる。また母母母母のレディロックは、天皇賞秋を勝利しているメジロタイヨウの全妹という、これでもかと日本競馬の歴史を詰め込んだ血統の馬だ。
ただし、生涯成績は、142戦6勝。
この血を何とか後世に残そうというのが、ご紹介したコミュニティになる。
踏まえ、ブルードメアサイアーの直近の例として、母父にトウカイテイオーを持つ、ブレイブスマッシュをご紹介する。
このブレイブスマッシュ、海外で種牡馬になったが、その種付け数、初年度で、122頭。この段階で、トウカイテイオーの母父系は、確実に確保できたと言える。
クワイトファインの母であり、ミスターシービーの娘でありシンザンの孫であるオーロラテルコはなかなかの豪傑お母っちゃん。
2001年産駒 グランデゴール牡 父シンボリルドルフ
2002年産駒 キューティホーク牝 父トウカイテイオー
2004年産駒 カワイミチコ牝 父シンボリルドルフ
2005年産駒 ロワソレイユ牡 父ミホノブルボン
2008年産駒 キョウモアリガトウ牝 父サクラローレル
2009年産駒 ハツネ牝 父トウカイテオー
2010年産駒 クワイトファイン牡 父トウカイテイオー
何と父と息子で以下略。繁殖では良くある話である。父の名前を見る限り、相当な夢配合を狙ったとしか思えないが。
牝馬の多くは繁殖牝馬になり、カワイミチコは2021年にも、ネオユニバースとの間に牝馬を産んだ。
いつか、その血が爆発するのを期待して、名馬の血は、残り続ける。
最後に
チャーチャーチャチャーチャチャーチャチャー♪
大阪や! 早よ実装せんかいシービー!
実装されました!
(終)