「さまよう刃」を読んだ
「自分だってこの世の中を作った共犯者なのだ、と長峰は気づいた。そして共犯者たちには、等しくその報いを受ける可能性が存在する。
だからこそ自分は彼女に償いをしなければならない、と長峰は思った。スガノカイジのような人間の屑を生み出したのが自分たちならば、その後始末もまた自分たちの仕事だ。」
本書を読んで一番ハッとした部分だ。
確かに自分は少年法について何も知らなかったし、考えようと思ったこともなかった。
今回これを機に少年法について少し勉強した。
令和3年に特定少年の新設が行われたこと、そしてそもそも14歳未満は保護処分のみで刑法の規定により処罰されることがないということなど、全く知らないことだらけだった。
本書が発行されたのは2004年で、そこから少年法は少しずつだが改善されてきた。
ひとによって考え方は違うのでなんとも言えないが改善の余地はまだまだあるように思う。
自分と同じように本書を読んで少しでも少年法について考えてくれる人が増えるといいなと思った。そして出来るだけ多くの人が納得のいく判決が増えればいいなと思う。
タイトルについても触れたい。
「さまよう」とは少年法に賛同する気持ちや反対する気持ち、またこの問題に対して答えを探し彷徨うという意味で、「刃」とはひとを裁く法律のことだと自分は解釈した。
つまり、ひとを裁くはずの刃(法律)もまだまださまよっている(迷っている)ということなのではないだろうか。また久塚のことを「さまよう刃」と表現しているようにも思います。
少年法については、自分の身の回りに起きなければ中々考える機会を持てないテーマかもしれませんね。
しかしある日突然、自分が被害者になってしまうこともあるかもしれないし、自分の子供が加害者になってしまうこともあるかもしれない。
他人事だと思わず、考え続けていきたいテーマだと思う。